血闘
皇宮一階には、大更衣場と呼ばれる部屋がある。
そこには幾つも並んだ更衣室と、仕立て屋の作業用スペースがある。
更衣室一つ一つが部屋一つ分の大きさを誇っており、仕立て屋が数人必要な、大きな衣装でもきちんと着付けができるのだ。
舞踏会を明日に控え、ドレスの調整は最終段階に差し掛かっていた。
主にアリスの。
「ど…どうだ?」
はにかみながら、更衣室からアリスが出てくる。
「凄く似合っているわ。」
アリスに与えられたのはノースリーブのチャイナドレス。
紅い布地に金色の刺繍。胸元から脇腹にかけて、アルスケインを象徴する有翼の山羊が大きくあしらわれている。
「普段出ないとこが出て、なんかすーすーするぞ。それに武器を隠せるような場所がどこにも…」
「会場は武器持ち込み禁止よ。大丈夫、舞踏会では何も起きないわ。」
「ほんとかなぁ…」
対するミディが纏うのは、銀色の薄手の衣装。
パーティードレスとしても違和感は無いが、構造はネグリジェやナイトドレスに近い。
これがアルスケインの伝統衣装である。
「ていうかさー、やっぱこの国おかしいって。何だよ同意年齢12歳からって。」
「あなたの故郷では違ったの?」
隣の更衣室が開く。
出てきたのは、愛らしくドレスアップを果たしたアルテだ。
銀白の布地の薄手のドレス。
腰には大きな桃色のリボン。
頭にはカチューシャ。
「ねえねえ何の話?」
「まあアルテ!貴女、凄く素敵よ!」
「えへへ、ありがとお姉ちゃん。お姉ちゃんも凄く綺麗だよ。」
ミディは、アルテのドレス姿を今日初めて見た。
前世のアルテは、舞踏会にも出なければミディとの親交も無かった。
「ウチも王子様見つけられるかなぁ?出来ればルクスィア教徒だと良いなぁ。」
「ふふ、貴女ならきっと見つかるわ。でももう5年はお預けね。」
「ええ〜?何で〜?」
目の前で繰り広げられる異様な光景に、アリスは静かに狼狽する。
100歳超えのミディはまだしも、アルテまでもが年に見合わぬ会話をしている。
(文化が違うだけでこんなマセるもんなのか…それとも、これもこいつらの特性か?)
突然の喧騒で、アリスは思考の海から引き戻される。
「はぁ…今度は何事?」
呆れた様子で、ミディは入口の方を見る。
男子禁制の大更衣場に、20名以上の白虎騎士が上がり込んできたのだ。
「お泊まり下さい!これより先は…」
「るっせえ退け!おめえには用は無え!」
止めようとした使用人が弾き飛ばされ、アリスに受け止められる。
「大丈夫か?」
「あ…貴女は…」
使用人を下ろし、アリスは白虎騎士と相対する。
「何だよ、お前ら。」
「テメェがダストタウンのアリスか。」
「だったら何だよ。」
白虎騎士の一人が、アリスの足元に牛の生首を落とす。
「うっわ!?なんだよこれ!?きっもちわる!」
「刻は明日の明朝。場所は皇都闘技場。既に女皇陛下の認可も頂いている。絶対に逃げるなよ。」
白虎騎士達はそれだけ伝えると、大更衣場を後にした。
「闘技場?認可?なあミディ、これって決闘の申し込みって事で良いんだよな?」
アリスはミディの方を向く。
ミディはぶつぶつ独り言を呟きながら、一人考え事に耽っていた。
「ミディ?」
「…状況は思ったよりも深刻かも知れないわ。お母さまを、レンシャに盗られたかも知れない。」
好奇心に駆り立てられたミディが、牛の生首に近付いて来る。
「お姉ちゃん、これ何?」
「宣戦布告よ。この土地の先住民だった、戦闘民族ハクトル式のね。地下牢での一件で、彼らを刺激してしまった様ね。」
白虎騎士団の背後には、暗く複雑な歴史問題が絡みついている。
多少の不祥事を起こしても、国側はどうしても強く言えないのだ。
「アリス。」
ミディは神妙な面持ちで続ける。
「舞踏会どころじゃ無くなったわ。国外退避を考えてもいいレベルよ。相手は、決闘を断ったら例え女皇でも惨殺する連中よ。」
理屈を並べながら、ミディは必死に自分を納得させようとした。
舞踏会を諦めるという事は、ジルモンドの王子を諦めるという事。
つらい人生をやり直している動機が一つ、消えるのだ。
「…身を隠すなら、やっぱりダストタウンかしら。近隣諸国に亡命するのも良いわね。アルテ、どこか良い所知ってる?」
「お姉ちゃんも大変だね。ブレッダ協商領とかどう?あそこは良い所だよ。もっとも、」
更衣室からアリスが戻ってくる。
土色のパーカー。
胸にはコルセット。
黒い短パンにサンダル。
彼女の普段着姿である。
「アリスちゃんは逃げないつもりだろうけど。」
アリスは拳をかちあわせ、微かにほくそ笑む。
「なあミディ、闘技場ってどこだ?」
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舞踏会当日の明朝。
暗い控え室の中、アリスはただ門を睨んでいた。
黒い短パン。
胸に巻かれた麻布。
それだけ。
武器を隠せないように、決闘の前に身に付けていた物は全て取り払われてしまっていた。
だがアリスは、その事はあまり気にしていない。
(早くしろよ…こちとらこの後にドレスの着付け控えてんだぞ。)
貧乏ゆすりをしながら、アリスはただ門を睨む。
鎖の擦れる音と共に、ようやく入場門が開く。
一瞬目を眩ませながらも、アリスは光の中へと繰り出した。
会場一杯に響く歓声。
アリスと相対するのは、武具で身を固めた白虎騎士35名。
「はぁ!?武器無しっつったじゃん!」
「貴様はな!不意打の様な真似で我が同胞を騙し討つ貴様に、道理を通す筋合いは無い!」
「んだよそれ…まあ、言えてるっちゃ言えてるけどな。」
アリスは周囲環境に集中する。
地面は平坦な土。裸足で戦う事になるので、小石には注意する必要がある。
縁は凹凸のある岩壁。叩き付けられたらひとたまりもないが、利用もできそうだ。
敵の武器。斧や大剣と言った無骨なのが多いが、何人かボウガンを携えている者もいる。
敵の防具は、部分鎧が主だ。革製の肩当てや鎧、動物の骨でできた装飾品から、彼らの蛮族としての一面が垣間見える。
「最期に言い残す事はあるか。小娘。」
状況は絶望的。
開戦と共に嬲り殺されるだろう。
「来るなら来い!この臆病者共が!」
彼女がアリスで無ければの話だが。
“うおおおおおおおおおお!!!”
激昂の雄叫びと共に、白虎騎士が進撃を開始した。
最初の一人が直剣と共に飛びかかってきたのでアリスはそれをかわす。
振り向く前に骨の間に強烈な手刀を入れて肩を脱臼させ、剣を強奪する。
(重!でっか!でも、無いよりゃマシか。)
向かってくる敵を一人、また一人と叩き斬っていく。
ボウガンが飛んできたのでそれを横飛びでかわし、そのまま凸凹の壁を足だけでよじ登り、後方のボウガン持ちの胴体を切り裂く。
「このぉ!」
大斧が頭上から迫ってきたので、アリスはこれを剣で受け止め、力によって押し返す。
「のが!?」
体勢を崩した。
大斧使いがそう認知した頃には、彼の脇腹からは血が吹き出していた。
「ッチ…ナマクラが…」
血錆びで使い物にならなくなった剣を捨て、アリスはその辺の騎士から次の得物を調達した。
二本のナイフである。
「あたしに不平等を押し付けたいんだったらなぁ…鎖でがんじがらめにしてから戦場に放つべきだったなぁ!」
アリスは騎士の首元に飛びかかり、首筋に銀刃を滑らせる。
吹き出す鮮血。
今乗っている騎士が倒れる前にアリスは次に飛び移り、進路上に重傷を与えながら最後尾まで駆け抜けた。
「お前で…最後!」
「待ってくれ!もう降参だ!」
アリスはナイフを投げ捨て、天を仰ぐ。
日はまだ昇りきっていない。今から向かえば、着付けまで済ませて舞踏会に出られそうだ。
「死ねええええええごがはっ!?」
先程降参した者の顎を足蹴で砕くと、アリスはどよめく会場を後にした。
殆どの者は大動脈を微かに切られただけなので、今回の決闘で死者は出なかった。