水曜日の魔女、銀行に行く
彼女が来るのは水曜日。
「お金を振り込みたいの」
一年中、いつも真っ黒のコーディネート。身長は、たぶん170cmぐらいはあるだろう。すらりとしたスタイルに、黒くてさらさらとした長い髪がよく似合っている。年齢の見当がつかないのは、いつもサングラスをかけていることも理由の一つだと思う。声で判断するなら、たぶん三十前後といったところだろうか。
本人確認のために運転免許証を出してもらうのだけれど、お返しする時には何故か彼女の名前も年齢もぼんやりしていき、彼女がお店を出ていく頃には、何故か何も記憶が残っていない。私がおかしいのかと不安になった時期もあるが、先輩含め他の行員たちも同じことを言っていたので、どうやらそうでもないらしい。
「あのお客様、おれが新人の時から全然見た目が変わらないんだよな」
支店長曰く、支店長が入行した時にはもう、毎週水曜日に来るお客さんとして有名だったそうだ。支店長は首を傾げながら言うが、不思議そうにするだけで、お客様を不審がったり怯えたりする様子はない。それもそのはずで、不思議な要素はたくさんあるけれども、彼女が身にまとう雰囲気は柔らかく、お話ししやすいため、男女問わずうちの支店には彼女のファンが多い。
大人の女性の魅力を醸し、いつもATMではなく窓口に来てお金を入金していく彼女は、行員達の間では「水曜日の魔女」と呼ばれている。誰が言い出したのかはわからないけれど、これも支店長が入行した時には既にそうなっていたそうなので、少なくとも二十年以上は呼ばれていることになる。
水曜日の魔女の服装は、いつも決まっている。春や秋は黒のロングパーカーに黒のスキニーパンツ、靴はいつも真っ黒のブーツ。夏は半袖の黒のロングパーカーに黒タイツ、靴は黒のコンバース。冬は黒のオーバーコート、下はやっぱり黒のロングパーカーで、バッグは一年中いつも同じ黒のハンドバッグだ。
そんな彼女の接客をするのは、最初はすごく緊張したのをよく覚えている。入行して半年ほどが経ち、一人での窓口業務に慣れて来た頃、初めて彼女の接客をさせてもらった。
彼女の依頼は入金。慣れた業務内容なのに、何故か『彼女のお金』と思うと鼓動が速くなった。ミスを犯すこともなく、作業を終わらせると、「ありがとう、またお願いね」と言って彼女は颯爽と帰って行った。あの時かけてもらった労いの言葉と、向けてもらった笑顔で、私も彼女のファンの一人となった。
「ちょっと、何をぼんやりしているの? せっかくの紅茶が冷めちゃうじゃない」
信じがたい目の前の光景に、頭が混乱しフリーズしていた私は、憧れの人の一声で我に返った。私は今、水曜日の魔女とカフェで紅茶をいただいている。
四月最後の水曜日。ぽかぽかとした陽気が心地よいお昼過ぎに、彼女は来店した。そして、私のいる窓口にやってくるといつも通り「お金を振り込みたいの」と言って通帳と印鑑、免許証、それから一万円札を二枚を出してきた。私は、周りの窓口の行員たちの羨望の眼差しをスルーしながら、「かしこまりました」と言って接客をさせてもらった。
いつもと違ったのは彼女が帰る間際のことだ。お礼の言葉を私に残した彼女は、お礼だけでなく机の端に印鑑も残したまま店を出ようとしていた。彼女が店を出るタイミングで気がついた私は、大急ぎで『水曜』と書かれた印鑑を片手に「お客様!」と声を上げながら彼女を追いかけた。
「お客様、印鑑をお忘れにっ!」
店を飛び出しながら私が大きな声をあげると、黒いロングパーカーの彼女はくるりと振り返り、「あら、思ってたより早かったわね」と言った。混乱する私を他所に、彼女はスタスタと近づいてくると、するりと水のような滑らかな手つきで私の右手から印鑑を回収すると「さあ行きましょう」と言って、そのまま私の手を引いて歩き始めた。
「え、え? あの、私っ」
混乱する私をチラリと見ると、彼女は小悪魔のような笑顔で「職場のことは心配しないで大丈夫よ、もう調整済みだから。さあ、ケーキでも食べに行きましょう」と言って歩くスピードを早めた。
私は彼女に手を引かれながらビル街を十分ほど歩き続け、ビルとビルの間にひっそりと立つ、小洒落た喫茶店に入った。アンティーク調の落ち着いた店内の雰囲気に胸をときめかせつつ、状況を整理しようと頭を回転させながら、私は彼女に促されるままお店の隅の席に彼女と対面する形で腰を下ろした。そして、また促されるままに本日のケーキと紅茶のセットを注文してしまった。
その結果、彼女と私の目の前には、温かいミルクティーとラズベリーのタルトが一切れずつ並んでいる。
程よい酸味のタルトと、ミルクたっぷりのミルクティーの組み合わせは抜群で、私は思わず頰を緩めてしまった。私の頭の中は混乱していたけれど、ケーキとミルクティー、それからゆったりと喫茶店で流れる時間のおかげで、私は少しずつ落ち着きを取り戻していた。
「ごめんなさいね、突然引っ張り出して。でも、これしか方法が思いつかなかったの」
タルトを食べ終えた彼女は突然口を開いた。「ここのタルト美味しいでしょう? 話は食べてからにしましょう」と言った彼女の宣言通り、話は彼女がタルトを食べ終えてから始まった。私はまだ一口お皿に残っていたので、急いで食べ終えてから話を聞く体勢に入った。
「ねえ、あなたも魔女にならない?」
「えっ?」
「だから魔女よ。魔女になってくれないかしら?」
彼女からの謎のお誘いにより、私は面食らっていた。魔女? この人は今、魔女って言った。もしかして私たちが『水曜日の魔女』って呼んでいることを気にしているのだろうか?
「違うわよ、私は本当に魔女なのよ。あなた達が私のことをそう呼ぶずっと前からね」
何も口に出していないのに考えたことをぴしゃりと指摘され、私が思わず目を見開くと、彼女は「あ、ごめんね。許可を取る前に読んじゃった」といたずらっ子のような笑顔で言った。
「あのね、私は水曜日の魔女なの。それで、私はあなたに金曜日の魔女になって欲しいの」
彼女のお願いを聞いて、私の頭はまた思考回路がショートし、視界が真っ白になった。
その昔、もう具体的にはどれぐらい昔はわからないけれど随分と昔、月曜日の魔女が大きな戦いが起こる未来を見た。その未来はいつ来るかはわからないけれど、絶対に来ることがわかっていた。
月曜日の魔女からこの話を聞いた火曜日の魔女は、占いを始めた。そして火曜日の魔女が占いを始めてから六百年ほど経った頃、この戦いに備えるためには魔女が七人必要なことがわかった。
その当時、魔女は月曜日、火曜日、水曜日、それから土曜日の四人しかいなかったので、あと三人の魔女を探す必要があった。そこで、火曜日の魔女の占いを聞いた水曜日と土曜日の魔女は、それぞれ残りの魔女を探す旅を始めた。
二人の魔女が旅を始めて四百年が経った頃、水曜日の魔女は木曜日の魔女を、土曜日の魔女は日曜日の魔女を見つけた。木曜日の魔女は戦いに備えるために戦術を考え始め、日曜日の魔女は戦闘時の補給経路を考え始めた。
木曜日と日曜日の魔女を見た月曜日の魔女は、特に理由はないが水曜日の魔女に金曜日の魔女を探すことを命じた。そして、月曜日の魔女に命じられてから八百年が経ち、やっと見つかった金曜日の魔女の候補が私、ということらしい。
「そうそう、そういう事なの。飲み込みが早いと助かるわ」
水曜日の魔女の話を聞いて、頭の中で情報をなんとか整理をしていると、彼女は嬉しそうに言った。そして、「すみません、ミルクティーを二人ともおかわりで」と近くにいた女性の店員さんに私の分も勝手に注文した。たしかにもう少し飲みたいと思ったけれど、口に出す前に対応されると慣れないものがある。
「あの、心を読むのやめてもらえませんか?」
「ああ、ごめんなさい。実は木曜日にもよく怒られたの。気をつけるわね」
「いえ、そんな、お気になさらないでください。私、聞きたいことがたくさんあるんですが、何から聞いたらいいかわからなくて……」
聞きたいことは山ほどある。でも、私の常識では理解不能な情報が多すぎて、私は何から聞けばいいのかわからなくなっていた。
まず、魔女って何? しかも各曜日に魔女が一人いるっていうのもよくわからない。月曜日の魔女が言う戦いも何と戦うのかははっきりしていないし、もうわからないことだらけだ。
話を聞いていて、水曜日の彼女が嘘をついているようには全く見えなかったけれど、内容が内容なだけに信じるのも難しい。私は手の付け方が分からず、途方に暮れていた。
「そうね、まず何から説明しようかしら。説明したくても私もわかってないことが多いからなあ……」
彼女が顔をしかめながらそう言ったので、私は大丈夫かしらと不安になった。
「魔女は魔女。それ以外の何者でもないから、それ以上の説明はできないわ」
「あの、それじゃ全くわからないんですが」
「大丈夫、なればわかるから安心して」
自信満々に言い切る水曜日の魔女を見て、私は今の説明を聞いて、安心できる人間がこの世にどれぐらいいるのだろうと気になった。
「じゃあ、戦いってなんですか? 何と戦うんですか?」
「さあ? それは誰にもわからないの」
「え?」
あまりにも想定外の返答に、私は思わず持っていたミルクティーがなみなみと入ったマグカップを落としそうになった。
「戦いがあることは決まってるの。でも、何といつ戦うのかはわからないのよね」
「そんなのでどうやって備えるんですか? 何をしろって言うんですか? 何もわからないなら何もできないじゃないですか」
私は急に不安になり、思わず強い口調になった。しまった、とも思ったけれど本心でもあったので、私は水曜日の魔女の反応を待った。
怒られるのかもしれない、そんな不安もあったけれど、彼女は穏やかな目で私を見つめた。
「ねえ、防災グッズって家にある?」
「え? あ、はい、とりあえずは用意してます」
いきなり何の質問だろう? 私が少し驚きながらも答えると、水曜日の魔女は優しく私に微笑みかけると「そういうものよ」と言った。
「災害なんていつ起こるかわからない。でも、とりあえず最低限のものは備えておこうって思うでしょう? それと同じよ。とりあえず最低限のできることをやってるだけなのよ」
「いやいや、災害と違って戦いはイメージが浮かばないし、それに、何が最低限なのかもわからないんですが」
「大丈夫、魔女になればいずれわかるから」
「そういうものですか?」
「そういうものよ。魔女になれば時間がたっぷりあるわ。老けないし、病気にもならないし、長生きだし。だから、考える時間なんていくらでもあるの。焦らずじっくり考えていたら、どんな事でも徐々にわかってくるわ」
焦らずじっくり考える、それは私がいつもしたいと思っていることだ。私がやりたいこと、しなきゃいけないことって何だろうと、学生の時からずっと考えている。でも、就職活動の時もそうだったけれど、もっと考える時間が欲しいのに、時間は私を待ってくれない。
じっくり考える時間が欲しい。それもかなりたくさんの時間が。魔女になればそれが手に入る、私にとってかなり魅力的な内容に聞こえた。
「魔女はいいわよ? 戦いに備えるって言っても四六時中そればかりしているわけじゃないわ。やらなきゃいけないことをする代わりに、私たちはたくさんの自由な時間を手にするの。魔女は誰よりも自由な存在なの」
彼女は私の目を見て、子どものような無邪気な顔で「魔女は楽しいんだから」と言った。私にはその顔に嘘は見えなかった。
「あの、どうやったら魔女になれますか?」
気になった私は聞いてみた。
「なろうと思えばすぐになれるわよ? その代わり、人間には戻れないけれど」
「戻れないんですか?」
「戻れないわよ。魔女ってそういうものよ。やめとく?」
戻れないと聞いて、一瞬怯んだものの、特に人間でいることに未練があるわけでもなかったので、私は魔女になることにした。
「私、魔女になります」
「本当? じゃあ早速挨拶に行きましょう。まずは月曜日の魔女ね。これから楽しくなるわよ」
そう言うや否や、彼女は立ち上がり「ここは私が払うわ!」と言ってレジに向かった。私は水曜日の魔女にミルクティー二杯とタルトをご馳走になり、そのまま月曜日の魔女に挨拶に行くことになった。
翌日の木曜日。私はいつも通り出勤した。昨日、途中で仕事を抜け出したにも関わらず、私はちゃんと定時まで働いていたことになっていて、誰も私に何も言わなかった。
喫茶店を出た後、水曜日の魔女に連れられて、私は都立中央図書館の書庫に籠る月曜日の魔女に会いに行った。月曜日の魔女は濃紺のドレスを着た、ショートボブのお姉さんだった。寡黙な月曜日の魔女は、私をちらりと見ると「あなたはやるべきことが見えるまで、今の銀行で働きなさい」とかわいい声で言った。
「今のままですか?」
「そう、あなたがやるべきことは、きっとそのうち見えてくるから、それまで焦らず頑張りなさい」
もっと色々聞きたくて質問しようとしたけれど、月曜日の魔女は目が完全に下を向いていて、顔も少し赤くなっていた。
「ごめんね、月曜日はちょっと人見知りだから今日はここまでにしてあげて。これでもかなり頑張ってる方だから」
水曜日の魔女が私にそう言うと、月曜日の魔女は顔を真っ赤にして姿を消してしまった。ちょっとではなく、かなりの人見知りなのではと私は思った。
「まあとりあえず、月曜日がああ言ってたし、しばらくは今の銀行で頑張りなよ」
「はあ……」
魔女になるから新しい生活が始まると思っていたので、私はなんだか肩透かしをくらった気分になった。
「あの、私、魔女になったんですか?」
特に何もしていないけれど、私は魔女になったのだろうか? 体に変化はないし、何かが変わったようにも感じられない。私は急に不安になった。
「月曜日と話せている時点であなたはもう金曜日の魔女よ。自信を持ちなさい」
水曜日の魔女は優しく言ってくれたけれど、自信なんてどうやって持てばいいのだろうか。私がまた「はあ……」と気の抜けた返事をすると「そのうちわかってくるから大丈夫大丈夫」と肩を叩かれた。
「水曜日は遊びに行くから困ったことがあれは相談してね」
「これからも来てくれるんですか?」
金曜日の魔女が見つかったから、もう銀行には来てくれないと思っていたので、私は少し驚いた。
「行くわよ? だって銀行に行くの、なんだか楽しいんだもの」
「楽しいですか?」
「ええ、銀行の無機質だけど人がたくさんいて、どこか温もりを感じるあの空間、好きなのよね。だからこれからも毎週行くわよ」
彼女の独特な感性は私の理解の範疇を超えていたので、私は「そうですか……」としか言えなかった。
私が金曜日の魔女になって一年になる。私が魔女になって変わったことは二つ。一つは、金曜日になると金曜日であることが嬉しくて、私は一日中幸せな気持ちでいられるようになったことだ。
もう一つは、水曜日の魔女が来店した時、彼女の接客対応後に記憶が消えなくなったことだ。だから、彼女の印鑑が『水曜』なことも、彼女が運転免許証として出していたカードが実はスーパーのポイントカードにも関わらず、皆んな彼女の魔法で騙されていたことにも気がついた。
何でそんなことをしているのか聞いたところ、水曜日の魔女曰く「占いでその方法で銀行に通えば金曜日の魔女にいつか出会えると出たから」なんだとか。そんな結果が出る占いって一体何なのか、機会があればその占い方法を聞こうと思っている。
火曜日と木曜日、土曜日と日曜日の魔女にはまだ挨拶ができていない。月曜日の魔女が言うには、四人とも今は忙しいから暫く会えないそうだ。
月曜日の魔女とは、水曜日の魔女のお陰で少しずつ話せるようになってきた。二人きりだとなかなか会話が弾まないが、頑張って話そうとしてくれる月曜日を見ていると、かわいくて胸がきゅーっとなる。怒られそうだから本人の前では絶対に口に出せないけれど、彼女は本当にかわいいのだ。
魔女になったものの、魔女の役割や戦いの詳細については分からないことばかりだ。でも、水曜日の魔女や月曜日の魔女おかげで、私がやらなければいけないことが少しずつ見えてきた。それに魔法も使えるようになり、魔女でいるのは思っていたよりも楽しくて、魔女になって良かったと思う。
まあ、唯一もどかしく感じるのは、私が戦いのためにやらなければいけないこと、それはあと二百年経つまでは何もできないことだろうか。
まだ二十年と少ししか生きていない私にとって、二百年はかなり長く感じるが、それもまた今後変わっていくのかもしれない。