隣人のみせた夢
春の暖かく優しい風が僕達を包み込んだ。花の香りがした。隣には、女の子が楽しそうに笑っていて、向かい側には無精髭を伸ばしたおじさんが寝不足の顔で大きなあくびをする。
ここは、そう、あのアパートで、おじさんの部屋で、俺はもうすぐ近所の小学校に入学することになっていて、それで、それで……
女の子がこちらを見て小さな口を開いた、
「ねぇ」
――なあに?
そう答えようとした時、体がゆれる。
「――んぱい、せんぱい、先輩!」
「ああ、もうっ。そんなにゆらさなくても起きてるって!」
そう言いながら、俺は、伏せていた顔をゆっくり持ち上げた。
ああ、そうだった。ここは部室で、俺は高三で、今のは夢だ。
「なんだよもう。せっかく人が気持ちよく寝てるっていうのに」
「先輩、そろそろなにかしないと、私達の部、危ないと思いません?」
「去年の文化祭で部誌作ったし、もういいだろ。部員4名の弱小文芸部なんて、何もしてなくても誰も気にしない」
「むぅ」
目の前にいるのは、後輩の文森で、唯一部室に来る二年だ。
「先輩、私、推理小説が書きたいんです!」
「へ?推理?文森が?」
文森は推理というより恋愛とかファンタジーだ。文森と推理という言葉がミスマッチすぎて、思わず変な声が出る。ファンタジーとか、SFとかを読んでるのを見たことはあるが、推理小説を読んでいるところは見たことがない。
「あ、先輩今、私と推理がミスマッチ、とか思いましたね?」
「あ、いや、お前書けるのか?」
「酷いです!後で絶対、文森と推理はパーフェクトマッチだって言わせてみせますから!」
「お前が書くのは、もっと恋愛モノとかじゃないのか?」
「私、ラブストーリーは間に合ってますので」
そう言って文森が取り出したのは、手紙、いや、ラブレターだった。
「ナルホドな」
文森は、見た目は可愛い。さぞモテることだろう。というか、今どきラブレターは古くないか?よっぽど接点がないのだろうか。
「でも、いらないんですこんなの」
「ふーん」
もらっているからこそ言えるセリフにイラッとくる。
「だって、見てください!切手貼ってないんです!家のポストに入ってたのに!しかも名前が書いてないので誰が出したのかもわからないですし、マジで怖いです」
憤慨したようにそういった。
確かに怖い、怖い、のか?そう思ったが何も言わないでおく。
手紙といえば、とさっきの夢のことを思い出した。
あれは、不思議なことだった。なんとなく過去の思い出として処理されつつあるが、話してみてもいいかもしれない。
「お前、ネタはあるのか?」
「ネタ?」
「ああ、推理小説のだ」
うーん、としばらく唸った文森は、ニコッと笑う。
「ミステリーなネタはないですね!後で考えます!」
まるっきり何も考えてなさそうな文森に苦笑する。
「なら、面白い話があるんだが、聞くか?」
「まぁ、どうせ部室に二人だけで暇ですし、先輩の死ぬほど恥ずかしい黒歴史でも聞いてあげます」
「それは俺が話したくない」
コイツ、真面目に聞く気あんのか?
「聞いてあげる、って言ってるんですよ。いいネタカモンです」
俺は、はぁ、とわざとらしくため息を吐きながら話しをする。こんなんだが文森は頭がいい。事実でなくとも、俺の納得できる答えをくれるんじゃないかと、少し期待してる。
*****
「あれは、俺が小学校に入学する少し前くらいの話だ。同じアパートに、当時女の子が住んでいてな、まあまあ仲が良かったんだが、突然その子が引っ越すことになったんだ。だいぶ遠いところに引っ越したんで、しばらく会うこともなかったんだが、二年くらい立った頃に手紙を書いたんだ」
「成程。先輩は初恋のお姉さんに手紙を書き、それがかえってこなかったと。ご愁傷様です」
「なんで年上って分かるんだ?」
「女の勘です」
「女の勘……あと!手紙は返ってきた!」
「はいはい、そうですか。それなら良かったじゃないですか」
心底どうでも良さそうな声にイラッとするが、そのまま話を続ける。
「ああ、まあ、そうなんだが」
「なんですか?」
「俺が手紙を出した頃には、もうその子は、亡くなっていたんだ。病気だったらしい」
文森の目がスッと細くなった。人が死んだ話だからか、興味がそそられたのか。
「つまり、返ってくるはずのない手紙が返ってきた、と」
「そうだ」
俺の返事に、文森が考え込むように顎に手を当て、目をつむった。
「それだけなら、その女の子のご両親が、幼かった先輩につらい思いをさせないよう、代わりに手紙を書いたと考えられなくもないです。当時のことをもう少し話してください」
文森の真剣さに気圧されつつ、記憶を洗い出すように思い出していく。
*****
「誰かが代わりに書いたとは思えなかった。その子が引っ越す少し前に話をしたんだが、
――私が引っ越したら、手紙書いてね。
って言ってたんだ。それから、
――今描いてる絵、完成したら送ってあげる。ここから見える、あの公園の桜の絵なんだよ。
とも言ってた」
「絵、ですか?」
「その子は、将来画家になりたいと言ってたんだ。隣に画家みたいな人が住んでいてな、その人の影響もあったんだろう。その絵は、その時にはまだできていなかったらしく、直接は見せてもらえなかったが、たしかに送られてきた。封筒に入った、小さい絵だ。俺は手紙に、絵を送ってくれると言っていたことを書かなかったんだがな」
「先輩が忘れており、そのことに触れなかったにも関わらず、約束通り絵が送られてきたんですね」
「いいや、忘れてたんじゃない。その後に、下書きもできてないから完成しそうにない、と言われたんだ」
「うーん。ますますミステリーですね」
「ちなみに、その画家というのは?」
「俺と、その女の子の住んでた部屋の間に住んでるおじさんで、トラックの運転手をしてる。部屋には油絵がいっぱい置いてあって、小さい頃は画家だと思ってたな」
「交流があったんですか?」
「お前、加賀さんが俺が送られてきた絵を描いたと思ってるのか?」
「加賀さんと言うんですね。それで?」
「……交流はあったぞ。よく三人で加賀さんの部屋で絵を見たりしてて――」
「加賀さんはその部屋で絵を書いていたんですか?」
「そうだ。……お前、疑いすぎだろ加賀さんのこと。一応言うが、あの子と絵のことを話した時、加賀さんはいなかったぞ」
「覚えてるんですか?」
「まあ。ちょうどアパートのベランダから、公園の桜、見てるとこだったんだ。加賀さんは部屋の中にいて――」
そこまで話したときだった。
「分かりましたよ。やっぱり加賀さんです」
文森がにっこり笑ってそう言った。
*****
「いや、だから、文森――」
俺が反論を口にしようとしたのを文森が遮った。
「先輩は、その話が聞かれていたとは考えないんですか?」
それは俺も考えた。加賀さんが、俺達の話を聞いていたんじゃないかって。別に誰でも聞けそうな気がする。なんせ話していたのはベランダだ。
「でも加賀さんはその時部屋の中にいて、花粉症を気にしてたから窓は多分開いてないはずだ。部屋で何度もくしゃみしてた」
「多分開いてないですか」
「いや、花粉症で春に窓開けっ放しとかないだろ……」
「開けたほうがマシだったのかもしれませんよ」
「マシ?何が?」
「部屋の状態です。油絵ってすごい臭いがするんですよ。ましてやその部屋で描いていたとなると、相当なはずです。先輩はそのこと覚えてますか?」
「臭い……そんなに覚えてない」
「では、加賀さんは窓を開けていて、先輩たちの話を聞いていたのでしょう。手紙も絵も、おそらくかいたのは加賀さんです」
文森のことばに、悔しいが納得してしまう。加賀さん、加賀さんかぁ……いまいちスッキリしないが、納得はでき――
「いや、待て!危ない、納得させられるところだったぞ」
「なんですか先輩?まだ納得できないんですか?」
本当に、危なかった。よくよく考えれば不自然な点が多すぎる。
「よしんば、絵は、加賀さんが描いたとしても手紙はおかしいだろ」
「なぜです?同封だったんですよね?……というか、よしんばとか現下聞きませんね」
「ああ。返事の手紙と同封だったんだ。今の話だと、加賀さんは絵の話を聞けても、俺がだした手紙の内容までは分からないはずだ……現下も聞かないだろ」
「加賀さんならふたりの関係性を知っていたいたでしょうし――」
「だとしても、手紙を書くのならともかく、手紙を読まずに、その手紙の返事を書くのは、無理があるだろ。手紙は、話が食い違ったりとか、そんな違和感はなかったぞ」
「なら、加賀さんは手紙を読んだのでしょう」
「いや、どうやってだよ」
「では、そこについても考えてみますか」
*****
「まず、住所はちゃんと知っていたんですか?」
「住所?」
「はい。手紙に書く住所です。当時、小学校低学年くらいの先輩は、間違えずにかけたのかと」
「相手の住所間違ってても加賀さんには届かないだろうが……その子に事前に聞いていたのを書いたんだったと思う」
「自分の方は書きましたか?」
「……書いたな。たしか、加賀さんに聞いたんだ。
――おじさん、住所教えて。
てな、結構覚えてる。その時教えてもらったのをそのまま封筒に書いたから、間違ってないはずだ。ポストにも、直接自分で入れたのを覚えてる。内容については、特に周りに話したり見せたりしなかったはずだし、読めるのは、向こうの家の人ぐらいだぞ」
「加賀さんが見る方法はなかったと?」
「ないだろ。届いた手紙が加賀さんに渡るとも思えないし……」
「ああ、やっぱり、分かりました」
文森が嬉しげに笑った。
*****
「はぁ?何がわかったんだよ、こんな話で」
「手紙が加賀さんに渡る方法ですよ」
「ちょっとややこしいので、しっかり考えてくださいよ」
「まず、先輩は女の子に事前に聞いていた住所を記入します。それから加賀さんに聞いた住所を記入します。……ここが問題なんです」
「問題?」
「はい、ここで先輩はおそらく、加賀さんの住所を記入したのではないでしょうか?おそらく、加賀さんに教えてもらったのは、加賀さんの住所だったのでは?」
「……言われてみれば、そんな気が……。いや、でもそこを間違えていても、問題ないんじゃないか?」
確かに加賀さんに住所を聞いて、そのまま書いたから、加賀さんの住所だったかもしれない。アパートではみんな表札をかけていない。違いは部屋番号だが……ロクに確認もせず書いたな。
だが、例え自分の住所の代わりに加賀さんの住所を書こうとも、加賀さんに届くようなことはないはずだ。相手の住所さえあっていれば、ちゃんと届く。
「そうなんですけど、もし、切手が貼られていなかったらどうです?」
「どうって、あっ!」
「切手が貼られていない手紙がポストに入っていれば、出した人のところに戻ってきます。で、そこに加賀さんの住所が書かれていれば――」
「加賀さんのもとに俺の手紙が届く、か」
「動機は……大方、既に女の子の死を知っていた加賀さんが、先輩を傷つけないよう、とかでしょうか」
「成程な」
「今度こそ、納得してくれましたか?」
「ああ」
「まぁ、全ては私の妄想と想像ですけどね」
「なんだよそれ」
興味をなくしたかのように、一切の湿り気もなくそういった文森に思わず突っ込む。でも、文森の考えが正しくても正しくなくてもどっちでもいいのかもしれない。どちらであっても、俺は、文森の話に納得した。そういうことなんだろうと思う。
俺は、あの子がもしかしたら生きてるんじゃないかと思ってた。そんなはずないけど、もしかしたらって。だって、
――手紙に返事が来たから。
「加賀さんには感謝しないとな」
「今も隣に住んでるんですか?」
「ああ、あの女の子の部屋には別の人が入ってるけどな。加賀さんは、今も俺の良き隣人だよ」
文森:(ニヤニヤ)
俺 :「……わ、悪かった」
文森:(じーー)
俺 :「あ、文森と推理はパーフェクトマッチだ……」
文森:「どうも♪」
*****
ちゃんと推理小説になっていたか不安( ; ›ω‹ )