第02話 モーリスの嘘
モーリスに転移陣について聞いていたら、思った以上に時間が経ってしまった。
空は茜色に染まり始めて、学院に長い影を伸ばしている。
廊下はますます静まり返り、人の気配はほとんど感じない。
大多数の生徒はすでに帰ってしまったのだろう。
校外に出て、停められていた馬車に辿り着いたが、他に待っている馬車は数台を除けば、ほとんどなかった。
馬車を返して、ドレスも返却しなければならない。
余談だが、これらの店舗は晩餐会などで使われることも多いため、遅い時間帯でも営業していた。
交わす言葉もなく静かに帰っていると、普段は騒がしいぐらいによく話すエアが黙り込んでいることが気になった。
馬車に乗り込み、長い時間待機してくれていた御者に礼を言って、馬車を走らせてもらう。
「エア、どうかしたか?」
「ううん、大丈夫」
「その割にはさっきから黙り込んでるが……」
「ア、アタシだって喋りっぱなしじゃないよ!?」
「本当かぁ? じゃあどういう時に黙ってるんだ?」
「しょ、食事のときとか」
焦ったように答えるエアだが、その回答はあまりよろしくない。
むしろ食事時はより元気に騒がしさを増すぐらいだ。
「あー、嘘はいけないなあ。なあ、マリエル?」
「ええ。あなた、ご飯食べてるときニコニコものすごく感想を言ってるわよ」
「むむむ」
「何がむむむだ」
「じゃあこれだ」
「え? んっ!?」
「あら、ご主人様にキスしちゃって……」
急に笑顔を浮かべたエアが、渡に抱き着いた。
唇を重ねて、頭を抱えられる。
ぬるりと唇を割って入る柔らかな舌の感触。
驚いて一瞬硬直してしまったが、渡もやられっぱなしではない。
舌を絡めて粘膜の刺激を楽しむ。
ヒューポスが牽く馬車がガラガラと音を立てて走る中、唾液の水音がピチャピチャと鳴り響いた。
プリプリでヌルヌルとした舌の感触を楽しみ、唾液を交換し合う。
たっぷりと呼吸が苦しくなるぐらいキスを続けた後、エアが顔を離した。
してやったり、という笑顔を浮かべていて、とてもディープキスの後には見えないが。
それもまた、エアの魅力の一つなのだろう。
「ニヒヒ、どう? さすがにアタシだって黙ってるでしょ」
「分かった分かった。俺の負けでいいよ」
「やったー! 主に勝った」
「ふん、その後さんざんアンアン言ってるくせに」
「な、なにをー!!」
顔を赤くしたエアがプンプンと怒っているが、それでも黙り込まれているよりはよほど気が楽だ。
エアも話すきっかけが欲しかったのだろう、ふっと息を吐くと、黙り込んでいた理由を話し始めた。
「アイツ、多分嘘ついてるよ」
「ええ? それってさっきのモーリス教授のことだよな?」
「うん、そう」
意外な言葉に驚いた。
少なくとも渡が聞いていて、嘘や偽りを述べているような態度には思えなかった。
「なんでそう思ったんだ? いつもの心音とか体臭か?」
「違う。心臓とか体臭とか、汗とか、そういうのはまったく乱れてなかった。アイツ、かなりの遣い手の魔術師だよ」
「あ、たしかに。俺が描いた紙を触れずに引き寄せてた! あれ偶々じゃなくて、魔術だったのか」
「私が先生に聞いたときは、手慰みのようなものだって話だったけど、そんなに優れた魔術師なの?」
「あの距離なら負けることはない。けど、魔術師は自分の工房にいるときが一番怖い。だから、学院だと主とマリエルを守りながらだったら、本気になる必要があるぐらいには、手強いと思う」
「それは……」
渡は絶句した。
これまでの活躍でエアの実力の一端は把握している。
そのエアが本気にならないといけないような相手?
とんでもない実力だ。
ただの知的な、勉学に身を捧げる男にしか渡には見えなかった。
なんて節穴だろう。
「だが、なぜ魔術師だと嘘をついてることになるんだ?」
「アイツ自身が言ってたじゃん。今も転移陣を使える奴に、魔術師がいるって」
「あっ、なるほどな。でも認識阻害がされてるんじゃなかったっけ?」
「アタシには分からないけど、そういった影響を受けづらくする魔術があるんだと思う」
「魔術師の得意技に失せ物探しがありますし、あるいはその応用で見つけている可能性はありますね……」
「魔術師の言葉を単純に信用しちゃダメ」
エアが警戒する程度には実力のある魔術師が、はたして転移陣の有用性に気づいていながら、放置するだろうか。
王都にも確実にあると確信していたのだから、実際には場所を把握していてもおかしくはないのだろう。
エアが警戒する理由が少しずつ理解できてきた。
では、わざわざ嘘をついた上に、渡に王都の転移陣を探させようと仕向けたのは何故だろうか。
一つ疑問が解ければ、次の疑問が湧き上がってくる。
「俺たちが本当に転移陣を見つけられるか、あるいは使えるのか試してるのかな?」
「そうかもしれませんね。もしかしたら、疑われてしまった可能性も考えられます」
「疑われる?」
「ええ。当たり前ですが、為政者にとって、転移陣の情報はとても貴重です。元貴族であった私でも存在自体は知っていましたが、実際にどのような物か、どうやって使えるのかはご主人様と出会うまで知りませんでした」
そういえばそうだな、と渡は思った。
最初はとても驚いていたのだ。
田舎貴族とはいえ、あるいは建国以来続く、由緒正しい貴族のマリエルでさえ知らないのだから、モーリスの言ってたそれなり、というのは実はかなり割り引いて考える必要があるのかもしれない。
「存在を知っているだけでも貴重な物を、さらにまったく見たことがない神字が書かれた物を持ち込んできた。貴重な発見と捉えることもできますが、怪しいと疑うこともできます」
「なるほどな。それで、本当に転移陣の遺跡を発見できるのか、それとも詐欺師なのかを確かめようとしていると」
「ええ。あくまでも予想ですが」
「いや、納得はできたよ。どちらにせよ、王都に転移陣があるなら、絶対に見つけたい。行き来する時間を短縮できるなら言うことがないからな」
「ねー、でもどうやって探すの?」
一つの都市から、誰も知らないものをどうやって探すというのか。
エアの真っ直ぐな問いに、渡とマリエルはすぐに答えることができなかった。





