第46話 マリエルの不安
渡たちはカウンターで鍵を渡され、二階の部屋を借りた。
ちょっとしたことだが、エレベーターがないこちらの世界では、三階よりも二階の方が上質とされることが多い。水汲みにしろトイレにしろ、何かと高い所よりも便利だからだ。
数少ない例外は避暑地などの観光地で見晴らしの良い部屋ぐらいだろうか。
「おおー、なかは広いな。これならゆっくりできそうだ」
「前から思うけど、アタシたち奴隷も普通に良いベッドで寝られて幸せー」
清潔なベッドが三台、どれも広々としている。
木窓が設けられていて、鎧戸を開くと階下を通る人の頭が見えた。
洗面台があって水が出てくる。
また、魔道灯と呼ばれる錬金術師が作ったランプが壁にかかっていることも、上等な部屋らしさがあった。
この世界は錬金術師の力がとても大きい。
マリエルが最初に渡の家に来て驚いていたように、現代の器具の一部はすでに魔術・錬金術の類で再現されているのだ。
ただ、それを所有できるのは本当にごく一部の層に限られるため、一般化はまだまだ先ということだった。
一部とはいえ、そんな錬金術師の道具を備えているのは、やはり貴族を意識したものだからだろう。
部屋を取ったら、すぐに一度出ようと思っていたが、その計画は取りやめになった。
後から入ってきたマリエルが辛そうにベッドに腰かけて、体を休める。
「大丈夫か、マリエル」
「は、はい。問題ありません」
「うそ。すごく緊張してる。顔色も悪いし、心臓もバクバク言ってる」
「全然大丈夫じゃないじゃないか。強がらなくて良いんだ。不安や心配事があるなら言ってくれるほうが助かる」
「すみません……。もう、エアったら。言わなくて良いんですよ」
「ダメダメ。マリエルがもし倒れたら主もアタシも悲しむんだから」
ホテルのカウンターで支配人と思われる男と会ってから、マリエルは急に様子がおかしくなった。
顔色が急に悪くなっていたし、手も驚くほど冷たくなっている。
いわゆるショック症状の一つで、心理的な影響であることはすぐに分かった。
ベッドに体を横たわらせると、渡はマリエルの服の襟を緩めた。
恐縮しているが、今はそんなことを気にしているような場合じゃないだろう。
せっかくの綺麗な顔も、こんなにクタクタになっていては台無しだ。
タオルを取り出すと、額の冷や汗を拭ってやる。
「奴隷の管理は主人の仕事だ。自己申告は奴隷の大切な仕事だ。……だからつらかったら隠さずにすぐに言ってくれ。マリエルが辛そうだと、俺も辛い」
「本当に、申し訳ございません」
「いや、良いんだ。調子が悪いときに責めて悪かったな。ゆっくりしろ」
呼吸が楽になったのか、マリエルはふっと息を吐いた。
しばらく調子が戻るのを黙って待った。
マリエルの顔色が少しずつ戻っていく。
うん、血の気が戻ると本当に綺麗で可愛いんだよな。
できればマリエルにはもっと笑顔を浮かべていて欲しい。
薄幸の美女なんて言葉はマリエルには似つかわしくなかった。
「平気なフリをしてたんだな」
「気にしていないつもりだったんです。だから自分でも驚いています」
「もっと素直に言ってくれてもいいんだぞ。なんだったら学園もマリエルは休んでいても構わない」
「いえ、私にも参加させてください!」
「んふ、マリエルは強がりだにゃあ」
渡は慮って言ったことだったが、予想以上にマリエルは強く抵抗した。
弱々しく寝ているとは思えないほどの強い声だった。
渡は驚いて、マリエルの顔を見つめた。
エアは分かっていたのか、ニマニマと見つめて笑っている。
マリエルのこれまでの言動を見る限りでは、初対面の人間に奴隷だと紹介するのはまったく問題になっていない。
また、紹介された者も、奴隷であることを素直に、何の偏見もなく受け止めている。
少なくとも表面上、露骨な差別を行うものは今のところいなかった。
古代ローマ時代のように、奴隷であることは能力や生まれと比例しない。
元が貴族でも奴隷になることはあり得るし、奴隷だからといって、特別にひどい役目を負うとは限らない。
平民よりも貴重な能力を駆使して、重宝されたり、愛人となって贅沢をしている例はいくらでもあった。
とはいえ、奴隷であることで不利益も間違いないところだった。
「だが、学園に行けばマリエルの知っている人と出会う可能性はとても高くなるぞ?」
「う……あ……」
「その様子だと、厳しいとアタシは思うけど……。でもマリエルの意見も尊重してあげたいね」
マリエルが過去に自分の身分を気にしたのは、モイー男爵の前だった。
つまり、初対面の人とは違い、かつて貴族としての付き合いのある人物に対しては、貴族と貴族から、貴族と奴隷として関係性に大きな変化が生まれる。
ただただ奴隷なのかと認識されるより、貴族が奴隷に落ちたのか、と思われる方が、よほど嫌なのだろう。
たとえ、マリエルに非があって奴隷になったわけでなくとも。
「まあ、家が没落したことは知られているんだろう?」
「そう、ですね。まず間違いなく知っていることでしょう」
「そうなると隠せる話じゃないなあ。……そうだ」
「どうされました?」
「一つ、マリエルをビシッと着飾るとしよう!」
「ご主人様……?」
「あー。それはいいかも」
「だろう? せっかく王都に来てるんだから、まずは綺麗で良い服を着てさ、装身具もちゃんと着けて、私は奴隷ですが、なにか? って顔で会えばいいんだよ」
エアがすぐに察してくれたことで、渡は不安なくアイデアを言えた。
渡は高貴な身分ではないが、それでもやはりメンツはとても大切なものだと認識している。
人と人とのやり取りにおいては、男も女も、そして身分もこの辺りは関係がなく、等しく重要だ。
たとえ奴隷に堕ちたとしても、身形がとても良い物であれば、今がどんな立場なのかをそれとなく示すことはできる。
高級でしっかりとした服に身を包み、堂々と立ち振る舞う。
エアという凄腕の戦士を護衛とした供にしている。
主である渡と親密な距離を保つ。
それだけでもマリエルがどれだけ大事にされているのか、また渡の財力がどの程度あるのか、分かる人間には分かるだろう。
そして、そんなことも分からないような人間が相手なら、それこそこちらも相手にしなければ良いのだ。
「フフッ、面白いですね」
渡の言葉に、マリエルは弱々しいながらも、たしかに笑って見せた。





