第36話 船旅②
甲板には多くの船員が乗船していた。
一本の大きな帆柱が立っていて、帆船としてだけでなく、同時に櫂でも動力を得ている。
ウェルカム商会の所有する商船は、実際には共同所有という形になるらしい。
ウィリアムも出資しているが、この船の船長もまた所有者の一人であり、自分の商品の荷を載せているのだ。
船をよく観察してみると、甲板の表面に何かが塗られている。
渡の靴底がキュッと吸いつくように密着しているので、滑り止めか、あるいは防水液でも塗っているのだろうか。
いやあ、やっぱり船は良いよなあ。
自分で操舵してみたいとか、マストの上に立ってみたいとか、できるかどうかは別として憧れるものがある。
面舵いっぱーい! とかって叫んでみたい。
渡が物珍しい異世界の船を見ていると、明らかに貫禄のある男がやってきた。
船長のマスケスは黒く日に焼けた肌の健康的な船乗りの男だった。
もみあげから顎髭までが繋がっているような髭の濃い顔立ち。
肌が黒く焼けているからか、口を開いて笑顔を見せると、歯が真っ白に見える。
おそらくは水に強い材質でできているのだろう、コートを一枚羽織っていて、それがなんともビシっと決まっていて格好いい。
手にはウィリアムから渡された手紙を持っている。
「よお、あんたがワタルか。ウィリアムから話はよく聞いている。オレは船長のマスケス。よろしくな」
「これからしばらく、よろしくお願いします」
「おう。王都までは三日で着く。道中の安全はオレに任せてくれ。賊だろうがモンスターだろうが邪魔する奴は叩き殺す。夕方には街に留まって荷の上げ下ろしをするから、翌朝出航するまでは街に出かけて好きにしてくれて良い。ただ時刻を過ぎると置いてくから、寝坊して遅刻だけはしないでくれ!」
「分かりました。邪魔にならない様にだけ気を付けておきます」
「ああ、それが一番助かる!」
マスケスの声は腹に響くような太く大きい。
頼りになりそうな感じを抱かせるものだ。
この人が指図する船なら、本当に安心して任せて大丈夫そうだな。
「マスケスさんは船乗りになって長いんですか?」
「おう。十の頃に見習いになって、それから三十年、ずっと船の上で過ごしてる。今じゃ水の上の方が大地よりも安心するぐらいだ」
「凄いですね」
「なあ、あんた俺に儲け話はないか? ウィリアムの野郎、自分だけ砂糖で大儲けしやがって羨ましいんだよ」
自分の欲望を話しているのに、嫌味なところや欲深そうなところが少しもない。
豪快な性格だから得をしているな。
渡は嫌な気分になることもなく、素直に答えた。
「今すぐはちょっとありませんが、次の商品を考えているところです」
「オレにも一枚噛ませてくれ。王都から海まで手広くやってるんだ。きっと儲けてみせるぜ!」
「それは良いですね。商品ができたら一度条件について話してみましょう」
「おっ、マジかよ。話が分かるじゃねえか。オレはこの船をもっと豪華に飾ってやりてえのさ。頼むぜ」
以前からウェルカム商会以外の取引先を増やしたいと思っていたところだ。
共同経営者というところが少し引っかかるが、下手な所に話を持ち掛けて問題を起こす可能性が低いのはある意味では利点だ。
今後話を持ち掛けるのは問題ないだろう。
ガシッと握手をするが、とても大きく固い手だった。
この手で舵を切り、あらゆる天候から積み荷と船員を守っているのだろう。
頼もしかった。
客室は利用客がいない時は貨物を置いているらしい。
かなり殺風景な作りになっていて、テーブルも折り畳み式になっていた。
明り取りに小さな穴が開けられていて、半透明の石のような物が埋められていた。
何気に細かい技術が優れている。
かなり腕の良い船大工が作っているのだろうか。
「お前らー、出航だ! 帆を張れ!」
『おおー!』
外から威勢のいい声が聞こえてきて、ガクン、と船が揺れた。
ゆらり、ゆらりと大きな船体の揺れを感じるが、これは出航時に係留に結んだロープの反動を利用して、離岸するためのものだろう。
やがてある程度のリズムを保って、船は進み始めた。
「これからしばらくこの狭い船室でじっとしておかなきゃならないのか、退屈しのぎが必要だな……」
「アタシは型稽古でもしようかな。最近腕が鈍っちゃってるんだよね」
「私は先日ご主人様に買っていただいた本を読んでみたいと思います」
「おお、あれ重たいのに持ってきたのか」
マリエルがテーブルにドサっと置いたのは百科事典だ。
たしかに知的好奇心さえあれば時間つぶしにはもってこいの本だが、かなり重たい。
旅行用に持ち運んでいい本ではないだろう。
だがマリエルはちらっとエアに視線を向けた。
「ええ。おやつにチーカマをご馳走することでエアに運んでもらいました」
「えへへ、チーカマ美味しいよね!」
「安いやつ……」
「な、なにおう、あれ本当に美味しいんだぞぅ!」
「分かってるよ。そんな怒るな」
渡は呆れた目でエアを見たが、これも気を許した仲間にだけだろう。
渡の前では愛嬌に溢れて可愛らしい姿ばかりを見せているが、エアはけっして馬鹿でもないし、底抜けのお人よしでもない。
むしろ戦士としての判断は合理的で冷徹ですらある。
まあ、だからこそ自分の前には沢山の隙を見せてくれるので、心を許していると精一杯表現してくれていて、嬉しい気持ちもある。
「俺はメールの返信の文面を考えるのと、ダウンロードしてた動画でも見るか」
「主も一緒に稽古する?」
「やらない。相手にならないよ。でも今度、さわりだけ教えてもらおうかな。エアの武術には興味があるし」
「うん、その時は主が強くなれるようビシビシ鍛えてあげるね!」
「お手柔らかに頼むよ……」
「ふふふ、ご主人様がボロボロにならないように、気を付けて見ておきます」
ポーションの購入の相談メールは今も増えている。
人づてで少しずつ紹介の輪が広がり、待ってもらうことが多くなってきているほどだった。
今まではそれぞれ個別に対応していたが、新しい販売拠点を得たら、今後は一日に数件まとめて来店してもらう方向に切り替える予定だった。
メールの返信にはかなり気を遣う。
相手は一流のプロでもあるし、依頼内容は真剣そのものだ。
ルーティンワークとして流すわけにもいかず、一件一件、内容に合わせて誠実に対応していた。
渡がメールの内容に頭を悩ませ、マリエルは読書に集中。
エアは黙々と剣を持って型稽古に励んでいる時、船を漕ぐ男たちの歌が聞こえてきた。
『川を上って海を渡る
帆を張り櫂を漕ぐ我らの仕事
国々結ぶ交易路
利益と冒険を求めてどこまでも
風は友でも敵でもある
帆は風に合わせ舵を切る我らの仕事
知恵と技術が富を生む
帆を張る我らの誇りいつまでも…』
船は川の流れに逆らって、ぐんぐんと進んでいく。
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【甲板の滑り止め】異世界の海辺で採れる青色の貝を焼いて砕いて水で練ったもの。
強い撥水性と防腐性を保ち、船乗りたちが必ず船に使っている。





