第32話 防犯設備と衛生管理者、そして在庫補充
新居の契約を終えて、渡たちは早速引っ越し作業を終えた。
とはいえ、やったのは業者だ。
幸いなことに引っ越しシーズンではなかったために、すぐに移り住むことができた。
マリエルとエアは念願の一人部屋を手に入れ、早速自分たちの私物を好きなように飾り始めた。
先日クレーンゲームで手に入れたぬいぐるみも、それぞれの部屋に飾られている。
部屋は人の個性がよく表れるというが、二人の部屋も特徴がよく出ていた。
マリエルは可愛らしい小物類が多く、色もカラフルでトーンが明るい。
対照的にエアは物が少なく、ミニマリストかと思うような素っ気ない部屋になっている。
唯一愛剣を飾っている棚だけが恐ろしく目を惹いた。
渡はエアに言われて残暑厳しいベランダに出ていた。
ホームセンターから買ってきた石をベランダに敷き詰めるお仕事である。
一面にしっかりと敷き詰めて体重をかけると、じゃり、と音を立てた。
「泥棒は音を立てたくないし、姿を見られたくない」
「それで砂利か。エアならこの足音で気付けるのか?」
「家にいたら絶対に気付ける。あとは夜の対策に紐を張って鳴子を用意する。本当は弓とか弩を用意したいところ」
「それはダメだって。たとえ犯罪者が相手でも、殺傷能力のある防犯装置は俺が訴えられる可能性がある」
「残念だけど仕方ない……」
感圧式の防犯ブザーに、夜間対応の防犯カメラとライトをベランダに設置していく。
ワンフロア丸ごと借りているため、ベランダも広くて多く、装置の数も多くなってしまった。
「言われたからやるけど、本当にこんな対策が必要なのか?」
「必要。少なくともアタシが入るのが簡単だと思うようなレベルの対策だとダメ」
「そうか。まあエアで躊躇するレベルなら大半の泥棒は入れないよな」
とはいえ、本当に泥棒が入った時のことが怖いから、渡としても対策を講じるしかない。
ベランダをパルクールのように登る方法。
天井からロープで降下してくる方法。
ボルダリングのように壁に指をかけて登ってくる方法。
調べてみてわかったが、意外と高層マンションの泥棒は多いのだという。
高額な物を置いておきながら、窓の鍵をかけていなかったりと、居住者も油断から防犯意識が足りていないことが多く、儲けになるのだという。
渡の場合は泥棒よりも、組織的なスパイが怖い。
大手の製薬会社などに秘蔵のポーションが盗み出されて製法を発見されたら、どれだけの損害額になるか分からない。
製薬会社からすれば、もし製法が手に入れば数百億、場合によっては数兆円規模の儲けにつながる可能性だってあるのだ。
泥棒をはじめ、一人の人間を罠に嵌めたり、ハニートラップなどで誘惑してくる可能性はけっしてないとは言い切れなかった。
渡はベランダに立ってゆらゆらと尻尾を振るエアと、キッチンで料理をするマリエルを見た。
二人はとても美しく、さらに献身的だ。
まあ、ハニートラップに引っかかる心配はかなり低いと考えて良いかもしれない。
渡は精力的に動いている。
ついに九月に入って、食品衛生責任者資格と防火管理者資格の受講をした。
新住居の事務室で新しいパソコンを購入し、e-ラーニングで受講する。
勉強時間はそれぞれ六時間と五時間だ。
動画を見た後、内容を理解しているかテストがあるため、真面目に受ける必要があった。
二日連続でみっちりと学習を終えた後は、渡はへとへとになった。
「あー、もう本当に勉強したくない」
「ご主人様はとてもよく頑張られました」
「えらいえらい♪」
「ううう、俺はもう明日はゆっくり休むぞ」
正直な所、卒業以来まともに勉強していなかった渡にとって、この時間はとてもつらかった。
終わった後にはぐったりとしていて、マリエルとエアに真心こめて慰労してもらう必要があったぐらいだ。
事務室から出ると、リビングのソファでゆっくりとしていた二人の元へとゾンビのように向かい、体を横たえさせた。
マリエルがサラサラと頭を撫でてくれる。
「今日はたっぷりとご奉仕するので、お体も頭もからっぽにして、楽しまれてくださいね」
「あー、マリエルずるいっ!」
「いつもエアが良い所を持っていきますからね。今夜は私の番です」
「アタシもする!」
「おい、今は喧嘩も取り合いもやめてくれ……くたくたなんだ」
「仕方ありません。二人でご主人様を癒してあげましょう」
「えへへ。やった」
まあ、苦労に見合ったご褒美は堪能できたので、良かったのだろう。
マリエルが下を、エアが上を。
あるいはマリエルが上を、エアが下を。
二人が一丸となって渡に奉仕してくれる姿は、体感的にも視覚的にもとても愉しめた。
さらに渡は働いた。
「おい、エア。今だけは余計なことを絶対するなよ。これはフリじゃないからな。マジだからな」
「はい。だ、大丈夫」
「…………ごくり」
「いいか、マリエルも今は静かにしていてくれ。本当に頼むぞ」
渡が顔を緊張に強張らせて、エアに警告する。
普段は軽い調子のエアだが、今は尻尾を股に挟んで大人しくしている。
マリエルも無言で唾を飲み込んでいた。
渡がこれほど緊張感をあらわにすることは滅多にないことだ。
「シートベルトよし、ミラーよし。サイドブレーキよし。Pになってるな。……エンジンの始動……えーっと、サイドブレーキを戻して……い、いくぞ!!」
声出し確認をしてハンドルを握ると、ゆっくりとアクセルを踏む。
渡は緊張した声で出発を告げると、車がのろのろと走り始めた。
明らかに緊張したぎこちない手つきと車の動きは、渡がペーパードライバーであることを如実に物語っている。
免許の取得以来、数えるほどしか運転をしたことがない。
渡の住んでいた場所が大阪市内でも有数の交通便の良い場所だったために、どこに出かけるのでも電車の方が都合が良かった。
またこれまでの稼ぎを考えると、車の維持費をかけたくなかったからだ。
だが、今回はワゴン車をレンタルし、購入した大量の砂糖を載せてある。
お地蔵さんの前に駐車して、異世界に一気に運んでしまう予定だった。
「誰に何と言われようと安全運転でいく。遅すぎるのも危ないらしいから気を付けるけどな……」
「ご主人様、万が一のための急速治療ポーション、用意しております」
「ははは、まさかポーションに安心できるお守りの効果まであるとは思ってなかったよ」
渡の運転する車はのろのろと危なっかしく大通りの道を走る。
体をガチガチに硬直させた渡の緊張は奴隷の二人にも確実に伝搬していた。
砂糖は今、ウェルカム商会の手腕で国内に幅広く流通を広げ、需要が増したことで、消費量が上がっている。
おまけに渡たちは、異世界で南船町をしばらく空けるつもりでいた。
ついに王都に出かける予定だ。
在庫を多めに確保しておいて、ウィリアムに事前に多めに渡しておく必要がある。
そのためには何度も何度も往復していられない。
「これが運び終われば、しばらく在庫は大丈夫だろう」
「そうですね。数カ月は持つのではないでしょうか」
「アタシも興行以外で王都に行くのは初めてだから楽しみ」
「俺は買い物や観光を楽しみたいな」
業務用食料品店から徐々にお地蔵さんに近づいてきたこともあって、渡の緊張の度合いも少し軽くなっていく。
さあ、あとは交差点を二つ超えて右に曲がれば着くぞ。
「あ、主危ない!!」
「えっ、うわあっ!?」
「きゃっ!?」
渡がより肩の力を抜こうとしたとき、一台の車が交差点を減速することなく猛然と突き進んできた。
渡が急ブレーキを踏んで、車は急停止する。
暴走車は歩道を歩いていた少女を撥ね飛ばし、壁に激突した。
少女の体が冗談のように吹き飛んだ。





