第29話 ゲームセンターとエアのぬいぐるみ
エアがゲームセンターに来るのは、生まれて初めてのことだった。
キラキラと輝く筐体や、ライトアップされたまぶしい照明。
数々のごちゃごちゃとした筐体に、洪水のように溢れるサウンド。
お祭り騒ぎのような環境に、エアの心が瞬時に沸き立つ。
目が輝き、耳が大量の音をとらえようと激しく動く。
尻尾がぶわりと膨らんで、瞬く間に興奮状態になった。
「おおお、すっごい! なんかキラキラしてる!」
「少し音がうるさいですね……」
「たしかに電子音って感じがするよな。俺もすごく久しぶりに来たけど。へえ、……クレーンゲームが多いなあ」
「うわー、お祭りみたいだ!」
すごいすごい。なんだろうここは。
とても楽しそうだ。
慌てて駆け寄りたい気持ちをぎゅっと抑えて、エアは渡の横に立つ。
今後自由行動が許されるとしても、エアは渡の護衛だった。
今も意識の一部は常に渡に向いている。
渡は日本は治安が良いというけれど、エアはそこまでその言葉を信じきっていなかった。
光と音の洪水の中を、目と耳は忙しなく動いていく。
それでもその目は、耳は目の前のゲーム機に惹きつけられていた。
大きな目が宝石のようにキラキラと輝いた。
地球の文化の多くに触れて、エアは家庭用ゲーム機をすでに遊んで夢中になっている。
特に格闘ゲームやシューティングゲームには熱中していた。
こんな大きな機械で、どんな遊びができるんだろうか?
見ているだけでワクワクして止まらない。
「か、可愛い……。渡さん、私あの人形欲しいです。……ダメですか?」
「やってみたら? やり方はすごく単純だし」
エアが格闘ゲームに興味を惹かれていると、マリエルは入口そばに設置されていたクレーンゲームに興味があるようだった。
マリエルはけっして運動音痴ではないが、どちらかと言えばインドアな遊びを楽しむところがある。
それに普段は大人っぽいのに、少女趣味というか、乙女チックなところもある。
クレーンゲームの景品はデフォルメされた小さなぬいぐるみで、マリエルらしい趣味にエアには思えた。
なんとなく渡たちに似ているような気がする。
アタシと違ってこういうところが可愛いよねえ、などと余裕で眺めていたエアだったが、筐体の中に飾られているぬいぐるみの一つに目を奪われた。
それは大きく、可愛らしい虎のぬいぐるみだった。
同じ虎だからか、ものすごく欲しい気持ちを刺激されて堪らない。
この子可愛い! ほしい、なにがなんでもほしい!
そう思うと、気付けばエアは渡にしがみついていた。
片手を長く伸ばし、目的の虎娘を指さす。
「主、アタシもやる! これ取る!!」
「へえ、あー、これか。可愛らしいな」
「絶対取るから!」
「おう、頑張れよ。マリエルも欲しいものがあれば狙ってみたら?」
「はい、やってみます」
エアもマリエルも、小遣いは渡されていた。
財布から硬貨を取り出し、チャレンジする。
エアは真剣にクレーンを操作し、見事にアームがぬいぐるみに引っかかったが、途中でスルリと抜けてしまう。
取れた! と思っただけに、エアは目を見開いて驚いた。
「うにゃにゃにゃ!? うそっ!?」
「あー、惜しかったなあ。ぬいぐるみがデカいうえに、クレーンのアームが弱いんだな。これは結構難しいかもしれないぞ」
「あ、あるじ! もう一回! もう一回やる!」
「まあ良いけど、あまり入れ込むなよ」
エアはかなり勝負事に入れこむ性格だ。
戦士としてはとても大切な資質であり、超一流の実力に押し上げた良い面がある。
だが、同時に格闘ゲームにのめり込んだり、賭け事に負けると退けなくなったりと、デメリットも大きい。
かなり早い段階で渡はそのことに気づいたらしく、普段からやりすぎない様に釘を刺されていたことをエアは思い出した。
ひとまず財布の中にあった百円玉をすべて出し、エアは先ほどの失敗を思い返しながら、慎重にボタンを操作する。
まずは横に合わせて。次に縦を合わせる。
金虎族の驚異的な立体視能力を十全に発揮させて、本来ならば感知しづらい前後の距離感を適切に合わせた。
エアは目を見開いてクレーンを凝視する。ここだ……!!
狙い過たず、クレーンが降下していき、今度はアームの一つにぬいぐるみを引っかける作戦に出た。
そして結果は――
「あるじいいいい!! もういっがい! も゛ういっがいだげ!!」
「ダメだ。もう店員さんに頼む」
「ぐやじいぃいいっ、こんなの絶対おかしいもん! これじゃどうやっても取れないもん!」
「そういうのを見抜くのもクレーンゲームの勝ち方なんだよ」
「おかしい! ずるい! 詐欺だ!」
惨敗、惨敗、惨敗の連続だった。
クレーンゲームの景品の値段が法規制の上限近くまで上がっている。
簡単に取られすぎると赤字になってしまうためか、確率機の設定が渋くなっていることが多くなっていた。
特にエアが狙っていたぬいぐるみは大きい。
すでに店舗で購入できるぐらいには、お金を使い込んでいた。
エアが渡に抱き着いて再挑戦のお願いを繰り返したが、渡はついに店員を呼び、筐体を開けてぬいぐるみを取りやすい位置に変えてもらう。
おそらくその時に設定も緩められたのだろう。
少し引っかかっただけで、すんなりと手には入ったけど、なんとなく悔しい気持ちが残った。
ちゃんと自分の実力で手に入れたかったのに……。
かといって、もう四十回ぐらいは挑戦を繰り返しした。
とっくに目的のぬいぐるみを三つも手に入れたマリエルは呆れて眺めているぐらいだった。
どーしてアタシだけ……。
悔しさにしょぼくれていたエアの頭を、渡がぐりぐりと乱暴に撫でまわした。
今は優しい手つきより、その乱暴さが少し気が休まる。
「ほら、ゲームセンターはお前が好きなやつが他にも一杯あるんだ。こんなところでじっとしてたらもったいないぞ」
「ほら、エア、今度は私とこれをやりましょう? ね?」
「うん……ありがと」
グスッとエアは鼻を鳴らした。
〇
渡たちが来たゲームセンターは、アナログゲームの筐体も置かれていた。
飛び出すサメの頭をハンマーで殴るシャークハンマーやダンス、太鼓といった音楽系、またエアホッケーといった体を動かす系統のゲーム機は、エアの独壇場だった。
特にエアホッケーはエア一人だけでなく、渡やマリエルと対戦できる楽しみがあった。
マレットと呼ばれる道具を使って、空気の力で浮いたパックをゴール狙って打ち付ける。
小さな空間で大きな力を必要としないゲームだというのに、エアは渡との対戦であっという間に圧倒してしまった。
「う、嘘だろ。初体験のはずなのに上手すぎる……!」
「がんばって渡さん!」
「お、おう。負けないぞエア!」
「ふふーん、アタシが勝つもんねー」
動体視力、反射神経、そういった競技に必要とされる能力が、エアは地球の人類を超越してしまっている。
パレットが側面にぶつかり、複雑な反射軌道を見せると、渡の反射神経を超えてしまう。
そんな高速移動を続けるようなパレットでも、エアにはじっくりと目で追う余裕があった。
身辺を護衛する戦士が座興を求められることは珍しくない。
命を懸けた戦士の戦いではなく余興の一つ。
勝ちは揺るがないが、適度に実力を抑え、相手を立てる程度に弁える分別がエアにはあった。
とはいえ、必死に立ち向かってくる渡の姿を見ているのは楽しい。
ハラハラと応援しているマリエルの姿も、また見ていて楽しい。
「くそ、こうなったらエア、二対一で勝負だ。マリエルは左側を頼む、俺は右側だ!」
「二人で来たって一緒だと思うけどなあ」
「そんなことありませんよ!」
対応する空間が減ることで、たしかに負担は減るだろう。
だが、お互いの動きがお互いを邪魔し合う結果も生み出す。
「よっ、ほっ、マリエル!」
「はい、渡さんそっち行きました!」
「よしっ!!」
(うーん、二人とも息が合ってきて面白いなー)
これまでの付き合いの深さか。
思った以上にぴったりと息を合わせた動きにエアは感心した。
そして確かに、かなり実力の差は狭まっている。
打ち返されるパレットのコースが複雑化することで、エアの対応する余裕が削られていた。
だが――
「へへん、アタシの勝ち」
「あっ、くっそー!」
「ま、負けました」
エアが本気を出した途端、パレットの動きはナメクジのように遅くなった。
エアの情報処理速度が飛躍的に上がったためだ。
後はパレットが壊れないように手加減しつつ、角度をつけて慎重に打ち返す簡単なお仕事。
カコン、とパレットがゴールに吸い込まれる。
負ける道理はないとはいえ、久々に本気を出してエアは思い切り楽しい気持ちになれた。
命を懸けなくても真剣になれるのは、なかなか良いことだと、エアは思った。
〇
エアホッケーで思い切り遊び、太鼓とサメを叩きまくり、音楽に合わせて踊り、エアは初めてのゲームセンターを満喫した。
まだまだ遊びたいものは一杯あった。
それだけに、一つしておかないといけないことが、エアにはあった。
「主、アタシちょっとこのあたり見周ってみたいから一人で動いてもいい?」
「それは良いけど、ちゃんと電話だけは出ろよ」
「大丈夫?」
「あい! 気をつけます! マリエルも心配しないで。それよりも主と一緒にいてね」
「よし、じゃあ俺はマリエルと一緒にいるよ。そっちこそ何かあったらすぐ電話しろよ」
「分かったー」
手を振って笑顔を浮かべてエアが二人から離れる。
だが、視界から隠れたエアの表情に、笑みはなかった。
どこまでも冷たく冴え冴えとした瞳。
耳は進行方向に向いて、ピタリと狙いを定めている。
幼げで天真爛漫な雰囲気は完全に霧散しており、そこには怜悧な美貌を持つ美女が一人。
美しさに声をかけようとした男が慌てて道を譲った。
「お姉さん、こっち来て」
「えっ、あっ、ちょ!?」
「いいからいいから」
エアがゲーム機に座っていた一人の女の手を掴むと、問答無用で引っ張っていく。
女は驚き慌てていたが、エアの力は強く、一切の抵抗を許さなかった。
トイレに連れ込み個室に押しやったエアは、すでに周囲に誰もいないことを、その優れた耳で確認している。
怯えた女の顔に顔を近づけて、冷え冷えとした声を浴びせた。
「ねえ、なんでアタシたちを尾行してたの?」
女の顔が、一瞬にして青褪めた。





