第16話 二つの相談事
透け透けの紐ドレスを購入した渡は、しかし席を立とうとはしなかった。
用件が終わっただろうと予想していたウィリアムは、一瞬だけ意外そうな表情を浮かべたが、すぐに柔和な笑みに隠してしまう。
ゆっくりとしたい客もいることを、長年の経験から察しているようだった。
その後ろでは、マリエルとエアが購入したドレスを手にもって、うひゃー、などと声を上げていた。
「実は今日は買い物だけが目的じゃないんですよ」
「ほう、なんでしょうか?」
「二つ用件がありまして、一つ目はこちらなんですけど」
「拝見します。……何かの模様ですかな? こちらがなにか」
「これが何なのか、それを調べています。文字なのか、ただの模様なのか」
「変わったことに興味を持たれますね」
「ウィリアムさんは歴史家や考古学は知っています?」
失礼な問いかもしれないと思いながらも、この前提が通じないと、先の相談ができない。
渡の質問に気分を害した様子もなく、ウィリアムは頷いた。
渡はホッと息を吐く。
相談するにあたって最低限の条件はクリアできているわけだ。
「まあ多少なりとは。私が幅広い商品を扱う以上、国の歴史などにも多少は知っておかないと騙されてしまいますからね。存外多いものですよ、詐欺まがいの商品を売りつけようとする不埒な輩は」
「なるほど。買取も大変なんですね」
「ええ、楽なもんじゃありません。盗品を現金に換えようとしたせいで、こちらが盗品扱いの店と衛兵に睨まれかけたこともあります」
ウィリアムもかなり苦労しているようだった。
買取は何も良い人ばかりが利用するわけではない。
悪人もまた魅力的な店に映るのだ。
渡は一度手渡した紙を返してもらい、大切に直した後、理由を伝える。
「これはかなり古い建物から見つかったもので、個人的な理由でぜひ意味を知りたいんです。誰か知り合いに研究家や学者の方はいませんか?」
「ううん……申し訳ございません。お力にはなりたいのですが、身近にいませんね。そういうのは一度王都にまで出向かれた方が良いでしょう。王都には国立の学園や研究所がありますから、きっと要望に応えてくれる場所もあるでしょう」
しばらく真剣に考えこんだ様子だったが、ウィリアムの答えは知らないというものだった。
王都と言えばマリエルが勉強をしていた場所でもある。
ますます王都に行く理由が増えた。
これまでも何かしら行きたいと思える理由はあったが、お地蔵さんや祠の秘密は非常に重要性の高い、また緊急性も高い問題だ。
なんとか時間を作って訪れる必要があるだろう。
「もう一点は、この町って喫茶店ってありますかね?」
「ふむ、ありますよ。あまり規模の大きい店はありませんが」
「そういった喫茶店に卸そうかと思ってるんですけどね、その前にウィリアムさんにも商品を確かめてもらおうかと思いました」
「……当店ではいけませんか?」
ウィリアムが一瞬だけ不安そうな表情を浮かべた。
渡の齎した利益が莫大だからこそ、その富の源泉が他の手に渡ることは恐怖そのものだ。
もともとウィリアムは初回の訪問時に、他の商品も見てもらっている。
その中にはよく比べればこちらの方が優れたリュックサックなどもあったが、渡がいろいろ未知のものを持っていることは知っている。
不安になっても当然のことだった。
可能ならば渡をなんとしても手元に縛り付けておきたいというのがウィリアムの本音だろう。
それをしないのは、ただウィリアム個人の善性によるところが大きい。
「この町全体が活気づくには、一店舗だけが富んでも良くないでしょう? それにウィリアムさんが喫茶店も経営するんですか?」
「いえ、それは難しいでしょうが……。しかし、私が卸すということも」
「そうなると中間手数料がかかって価格が上がるじゃないですか。それに主に運搬の関係で、あまり大々的に取引するつもりもありませんし」
「左様ですか……」
「そんなに落ち込まないでください。ウィリアムさんにも悪い話じゃないんですよ」
「ほう? では詳しくお伺いさせていただきます」
利益になると分かると途端に元気になってやる気が出るのが、生粋の商売人というものだ。
前のめりになったウィリアムに、渡だけでなくマリエルとエアも思わずクスクスと笑いだす。
華やかな笑い声が応接室に響き渡った。
ウィリアムも自覚はあったのだろう、恥ずかし気に額をハンカチで拭いてみせた。
「今回俺が売ろうと思っているのは、俺の国の飲み物で、珈琲と言います」
「コーヒー、ですか。聞き慣れない商品ですね」
「ええ。珈琲は木の実を焙煎したものに湯を注いで飲むんですが、健康にいい効果がいくつもあります」
「ほう、例えばどのような?」
「一番は眠気覚ましが有名ですね。あとは疲労回復効果でしょうか。元々は修行僧や戦士が飲んでいたそうですが、後々に学者や官僚といった机仕事で頭の疲れる人に好まれるようになりました」
珈琲はその他にも心臓病、脳卒中、呼吸器疾患の死亡リスク低下、大腸がんや肝がんの予防、2型糖尿病の血糖値の改善、脂肪燃焼促進による肥満防止など多岐にわたる効果が確認されている。
どれも効果が抜群に高いわけではないが、リスクを下げるという意味では効果がある。
何よりも美味しく、人との会話時に口を滑らかにして心を和ませてくれるのは、多くの人にとって魅力的だ。
「しかし、それと我が商会とどのような関係が?」
「ウィリアムさんは以前、お茶に砂糖を入れると言ってましたよね。珈琲にも砂糖と、そしてミルクがよく合うんです。そして珈琲と砂糖の組み合わせは、どちらも常習性があります。ということは――」
「ほう! ほう!」
「何度も飲んでいると習慣になって、なかなか止められないんです。長期間間隔をあけると、欲しくて堪らなくなる人もいます。長期的な利益を齎してくれるわけですね」
「まさに素晴らしい着眼点です!」
「味の方は、実際に飲んでいただいたら分かるかもしれませんね」
すでにマリエルは愛飲しており、こちらの世界の人にも問題ないことは確認できている。
そのうえで、非常に興味を示し始めたウィリアムに飲んでもらい、現地の人の反応を探りたい。
「エア、出してくれるか」
「はーい」
渡の指示に、エアが素早くリュックから珈琲豆を取り出した。
【TIPS】それぞれの珈琲の飲み方
マリエルはお砂糖多め、ミルク多めのカフェオレに近い飲み方が好き。ケーキやシュークリームと合わせて飲む姿がよく見られる。
「はふぅ……甘いお菓子と珈琲の組み合わせは最高です」
エアは珈琲の酸味が苦手。深煎りの苦みの強めた豆だと飲めるが、たくさん飲むと昂ってしまいがち。「うにゃにゃにゃー!」と叫んでトレーニングに励みだす。
「あるじっ、今度こそ飯田をボッコボコのボコにしてやるときがきた!」





