第10話 後片付け
グレート山崎たちが慌ててスタジオから逃げ出した後、渡たちはスタジオを片づけていた。
結局慢性治療ポーションの販売はできず、それどころか急性ポーションを何個も使う羽目になってしまった。
最後は顔を真っ青にさせて震えながら逃げ帰った姿を見れただけ、多少は溜飲が下がるというものだ。
「いやー、グレート山崎のあの情けない姿、正直スカッとしたな」
「もうこれに懲りてくれると良いですねえ。私たちの世界なら犯罪奴隷になってもおかしくないんですが、こちらはかなり温いみたいで」
「凶悪犯罪はめったに起きない治安のいい国で自慢だったんだけど、今回のでちょっと自信がなくなったよ」
外見上は傷一つなく、だが実際には幾度となく痛めつけられたグレート山崎は、這う這うの体で逃げ帰ってしまった。
最後にはエアの姿を見ただけでガタガタと震えてしまっていたから、今後報復にくることもまずないだろう。
とはいえ、治安のしっかりとしたマンションを借りた方が良いかもしれないと思い始める事件だった。
一本で五〇〇万でも安いと考える人がいる商品を持っているのだから、警備は万全にした方が良いのは間違いない。
忙しいとか億劫だとか、あまり言っていられない状況になりつつあった。
「今回はエアのお手柄だったなあ。ちゃんと殺さないように手加減できていたし、最後には嫌なことをさせてしまって悪かった」
「ううん、大丈夫。アタシも主の役に立てたならよかった」
謙虚にそういったエアだが、エアには加虐癖はない。
強者と戦うならともかく、自分よりもはるかに弱い相手に手加減しつつ戦い、痛めつけたりする行いは、エアの戦士としての矜持とは相容れない行為だっただろう。
それでも不満一つこぼすことなく、エアは自分の仕事をやり切った。
それが奴隷としての役割とは言え、渡は申し訳ない気持ちになる。
心なしかしょんぼりとしているエアの頭をぐりぐりと撫でる。
「え、えへへ……ありがと」
「頑張ったご褒美にドイツのお高い燻製ソーセージでも丸かぶりするか」
「え、いいの!?」
「ああ。十分な働きだったしな」
「やったー! アタシね、アタシ太くてごつくておっきいのが好き!」
「あら、ご主人様、私もこわーい男の人を前に頑張ったんですけど」
「え、もしかしてマリエルはなし……? じゃ、じゃあアタシは、半分でもいいよ」
「あら、エアにそこまでしてもらうなんて悪いわ」
「ああ、これは俺が悪かったよ。マリエルは百貨店の美味しいケーキを振舞うよ」
「催促してしまいましたね。ご馳走様です」
てへぺろ、とマリエルが舌を出して謝った。
燻製液ではなく実際に燻製したドイツ製の太いブルストは、エアの日本に来て以来一番の好物だ。
エアはなにかと肉類が好物で、その中でも燻製肉に惹かれるようだった。
茹でると齧った途端にパキッと良い音がして、中からじゅわあっと肉汁が溢れだす。
とても美味しいのだが、非常に高い。
まだまだお金を持つようになって時間が経っていない渡の経済感覚だと、超高級品、ぜいたく品の扱いだが、頑張ったエアの働きに報いたかった。
それにマリエルも表立って動いていたわけではないが、交渉前に渡の考えをサポートしてくれていた。
目立たない功績だが、実際には非常に役に立ってくれている。
ケーキで報いれるなら安いものだ。
「いつかエアをドイツに、マリエルはフランスに連れて行ってやれるといいなあ。本場の味を食べ歩きしまくるのも楽しそうだ」
「行きたい!」
「その言い方だと難しいのですか?」
「うーん。正直なところ俺もよく分からないんだよな」
エアとマリエルが渡航するにはパスポートやビザが必要になるだろう。
だが、二人は地球のどの国にも所属しておらず、戸籍がない状況だ。
実質的には密入国者に等しい。
あるいは難民扱いになるのか。
海外旅行を行うにしても、後ろ暗い方法を使うか、非常に面倒な手段を踏んでなんとか戸籍を入手するか。
どちらにせよ手間と時間をかける必要があるだろう。
「まあ先のことはまだ置いといて、エアにはもうちょっと加減を知ってもらえると良いな」
「え、アタシなにか失敗した?」
「いや、やってくれたことは間違いなかった。ただ手加減がなあ……」
エアの基準ではかなり手加減したことだろう。
その努力は認めないといけない。
何といっても異世界のモンスターを軽々と捻り殺せる力の持ち主が、誰も殺していないのだ。
だが、グレート山崎の手下の何人かは、バキバキに骨が折れて重体だった。
当たり所によっては下半身不随などの神経症状が起きてもおかしくない。
ポーションもぶっかけたので、問題は顕在化しないはずだ。おそらくは。
ただ、場合によっては過剰防衛で訴えられたり、逮捕されてもおかしくなかった。
「ごめんなさい……」
「いや、本当に謝らなくていいんだって。俺だけじゃやられてたし、エアがいてくれて助かったのは確かだ」
しょんぼりと気落ちした表情を浮かべ、尻尾がへたっ、としおれてしまう姿を見ると、渡の胸に心苦しさが満ちた。
あれはエアだけが悪いわけではない。
悪い噂があったのだから、まずはもっと人目の多い喫茶店などで待ち合わせてもよかったのだ。
渡の警戒の薄さも間違いなく騒動を引き起こした部分がある。
「奴隷の責任は主の責任でもある」と奴隷商のマソーは言っていた。
うまく使いこなせていない渡の責任だ。
だからこそ、失敗は次に活かさないといけない。
「だからさ、エアにはこっちの世界の強さを把握してもらうために、格闘技を習いに行こう。エア、前に動画見てただろう?」
「いいの!?」
「ああ」
「いっっやったー!」
エアが目を輝かせて尻尾をブンブンと振った。
そうか、そんなに嬉しいか。
エアがこちらの世界で深い興味を寄せたのが、食べ物と格闘技の動画だ。(詳しくは近況ノートのSSを参照)
スパーリングや試合をすれば、この世界の標準的な強さをある程度理解して、壊しすぎることもなくなるだろう。
「ねえねえ、どんな相手と戦えるの!? シモシバモリヘーとかエンダーゴーゾーとか、マイケルタイソンとか!?」
「いやー、それは難しいんじゃないかなあ……」
「じゃあじゃあ、ビックサン・グレイシーは!?」
「それも難しいなあ……」
エアがキラキラと目を輝かせながら、次々に挙げる歴史に名を遺す偉大な格闘家の名前を前に、渡は苦笑を浮かべるしかなかった。
いつかそんな偉大な選手たちと拳を合わせる日を作れるだろうか。
そして八月の六日。
渡たちは市内の有名総合格闘技ジムに訪れていた。
「たのもー! たのもー!」
多くの練習生で賑わうジムの中、エアの大きな声が響き渡った。





