第58話 譲れない信念
国会内では、議員や官僚が集まって様々な省の会議が行われている。
その日も、厚生労働委員会の委員の一人として、水城直人は会議を続けていた。
近年では医療人材の高齢化、産婦人科や小児科といった特定の科のなり手の不足、COVID-19を契機とした感染症対策など、取り組むべき問題も多い。
水城はその会議で積極的に発言し、傾聴し、時に鋭く質問を切り込んで、会議全体の動きを活性化させていた。
大切な娘の体調問題が解決した水城は、知らず知らず言葉に力がこもる。
これまで自分の背中を押していた、原動力になっていたのは間違いない。
だが、いざ問題が解決したとなると、驚くほどに心が軽かった。
何よりも。
あんな優れた薬がこれから世に出るんだ。
少しでもいい未来に、この国を少しでもより良く。
そう考えれば、やるべきことが目に見えて、水城の背中を強く押してくれる。
社会の問題は一つ解決すれば、また新たな問題が積み上がる。
なんの問題もない理想郷はどこにもないが、それを目指していくことはできる。
熱気のある会議が終わって、水城は充実感とともに部屋を出た。
議員たちが引き上げる中、水城直人が廊下を歩いていると、後ろから鷹野真澄が現れた。
白髪ながらも豊かな髪をビシッと七三分けで撫でつけ、四角い眼鏡は重たそうながらも、眼光鋭い。
元厚労省の官僚あがりの参議院議員で、野党所属。
厚生労働委員会の筆頭でもある。
今年六〇歳になる鷹野は、水城と対立することが多い、厄介、という言葉がピッタリの人物だった。
というのも、規則性を重視し、規制緩和や早期承認制度には強い抵抗を示しているからだ。
とはいえ、その人となりは水城も認めている。
謹厳実直、私情を排した合理主義。
制度を重視し、法や規則に則って、正しい道を邁進する。
これ以上ない堅物かと思えば、本当に優れた薬などに対しては承認することも否定しない、最低限の融通はきかせる姿勢も見せる。
与党と野党、そして厚労省出身の保守派が入り混じる国会の中で、新薬や制度改革には必ず反対の声が上がる。
「今日は随分と会議に力が入っていたね。儂もつい言葉に熱がこもったよ」
「そうでしょうか。ありがとうございます」
「それと、最近娘さんが快癒されたみたいだね。おめでとう」
「ありがとうございます。多くの医療関係者の方々の尽力のおかげです。長年、見込みもない中、本当に手を尽くしてくださいました」
ゆっくりと廊下を歩きながら、水城は隣を歩く鷹野を眺めた。
親しい間柄には娘が治ったことを話していたが、鷹野の周りには話した覚えがない。
まだ数日のことだというのに、ずいぶんと耳が良いことだ、と思いつつも、水城は表情を変えず、軽く礼を言った。
「ところで、最近変わった噂があるのだが、知っているかね?」
「どのような噂でしょうか」
「どうもこれまで治らないとされている様々な症状を、奇跡的に治す薬が秘密裏に販売されているのだという」
「ほう? 面白い、でも荒唐無稽な話ではありませんか?」
「うむ、儂もそう思う。だが、同時に確かな話もあるのだ」
「と言いますと? なにか物証でもありましたか」
「カルテと症例報告だよ」
「ほう? 良ければ詳しくお話を伺っても?」
これはすでに相当な確証を得て、話を持ちかけているな、と水城は判断した。
とはいえ、水城の方は物証は残していない。
いかに調べられようと、怖いものはなかった。
一切の動揺を見せない水城に鷹野は鼻を鳴らすと、根拠を提示した。
「昨年頃から、珍しい症例報告の数が非常に増えている。本来ならば完治が見込めないはずの、様々な症状が突然回復した、というものだ」
「非常に興味深い話です。そして、病や怪我が治ったことは、素直にとても喜ばしいことですね。しかし現在でも鍼灸や整体などの、準医療業や民間療法で難治性の症例が改善したケースはいくらでもあるのでは?」
「水城先生、儂を侮ってもらっては困る。当然、そういったケースも考慮した。しかし、そういった治療と比べ、明確な違いが一点ある」
「……何でしょうか?」
「今回の一連の症例報告では、損傷部位がなかったかのように回復していることだよ。特に優れた整体師がいることは認めよう。だが、そういった治療では傷ついた靭帯や軟骨が修復されることはありえない。君も分かるだろう?」
「ええ、そうでしょうね」
データを見たのだ。
鷹野以上に、水城は慢性治療ポーションの恐るべき効果を知っている。
なんとなれば、娘の体でその素晴らしさを誰よりも認識していた。
CTやfMRIの検査で分かったが、進行性の神経障害が、まるで元来はこうあるべき、という姿で完全に治癒されていたのだ。
新時代の治療薬として期待されているIPS細胞でさえ、このような治り方はしない。
「噂では、この薬は未認可の状態で販売されているのではないか、とのことだ。由々しき事態だとは思わないかね」
「たしかに、薬機法や医師法をはじめ、様々な法に抵触しそうです」
「物事には順序がある。法を犯してまで薬を販売するなど言語道断じゃ」
厳かな声で呟く鷹野は、睨みつけるかのように厳しい表情を浮かべていた。
「もし、もし仮にですよ。そのような本当に優れた薬があるならば、一日も早く世に広まることは悪いことなのでしょうか?」
「それが本当に副作用もない魔法のような薬ならばね。しかし我々は知っているはずだ。優れた効能を発揮する薬ほど、その裏側では多くのリスクを抱えている。研究不十分な処方は、副作用に苦しむ人を増やす。安易な早期承認は、副作用のリスクを高める」
「ですが、早期承認は、治る手立てがなく明日の命をも知らない者を救う一手になり得ます」
鷹野のような保守派は、薬の早期承認や規制緩和に対して強い警戒心を持っている。
過去に承認が早すぎた薬による副作用被害を家族が受けた経験もあり、『科学に政治を混ぜるべきではない』という信念を貫いているのだ。
水城が未承認による薬で家族が救われたなら――――
鷹野は、早すぎる承認に家族を苦しめた。
水城と鷹野は、この一点においてはお互いが譲れない。
ふうっ、と鷹野は息を吐いた。
「水城君、君の気持ちは分かるが、儂は慎重であるべきだと思っている。新しい薬がどれほど画期的でも、十分な検証と透明性がなければ、国民を危険にさらすことになる」
「もちろんです。私も拙速な承認には反対です。ただ、現場で苦しむ人々の声も無視できません」
「一人の命を救いたいがゆえに、百人を危険にさらすことがある。儂はその重みを知っているつもりだ。慎重居士などと呼ばれようと、儂の考えは変わらんよ」
鷹野の言葉には、制度と倫理を守る者としての強い覚悟がにじんでいた。
水城は、こうした保守派の反対があるからこそ、議論が深まり、より良い制度が生まれることも理解している。
だが、現場の苦しみを知る者として、そして新しい可能性を信じる者として、水城は一歩も引くつもりはなかった。
慢性治療ポーションは、万人の――とくに難病患者こそが、求めてやまない救世主になりうる存在だ。
廊下を歩く水城は、次の会議室へと向かうため、道を別れなければならない。
一度だけ足を止めると、鷹野にまっすぐ目を向けた。
「鷹野先生、私は必ず納得していただけるだけの証拠と実績をお見せします」
「期待しているよ、水城君。だが、儂は簡単には首を縦には振らんぞ」
二人の間に、静かな火花が散った。





