第53話 水城直人の覚悟と願い
水城 直人には、二十三歳の娘がいる。
三十五歳の時に生まれた子で、妻の美陽という名前とかけ合わせて、命と名付けた。
元気にすくすくと育ってくれれば良い、と願いを込めた。
それから、命は名前の通りに元気に、ときに腕白すぎるほどに育っていく。
親の贔屓目もあるのだろうが、妻の美陽に似てとても美人だった。
そのことをよく口にすると、妻は決まって貴方に似なくて良かったわね、と笑う。
自分の顔をよく知っている水城は、その通りだと心から賛同した。
水城はその頃、新人議員として選挙に駆けずり回り、老獪な年上議員たちに時に教えられ、時に反発し、官僚を使い使われ、新しい政策を策定していた。
家庭を大切にしたいと思いながら、同時に大切な時期であり、仕事にも奔走していた。
幼児から小児に、そして少女に。
命の成長を楽しみに、日々の責任ある仕事をこなしてきた。
まだ右も左も分からない水城は、ただがむしゃらだった。
異変が現れたのは、命が一〇歳の頃だった。
親が手を焼くぐらい元気いっぱいで飛び跳ねていた彼女が、いつも怠そうにしている。
微熱でもあるように疲れた溜息をもらし、眠っている時間が増えた。
「最近、命の様子がおかしいの」
「なにか風邪でも引いたのかな?」
「そうだったら良いんだけど……。なにかおかしいのよね」
最初は何か風邪でも引いたのだろう、と軽く考えていた水城だったが、その予想を裏切るように、命は少しずつ元気を失っていった。
地元の町医者で診察を受けても、病名はハッキリとしない。
もっと早く異変に気付けていれば、何か変わったのだろうか?
疲れや心の問題などと言われても納得がいかず、大病院で精密検査を受けても、長らく病気が分からなかった。
だが、やがて命が少し動いただけで肩で息をするように、息切れしている姿を見て、普通の状態ではないと強く思った。
結局、専門病院をたらい回しにされて、パーキンソン病や筋萎縮性側索硬化症といった指定難病とも微妙に違う、だが似たような進行性神経症という診断がされた。
進行を多少遅らせることはできても、劇的な改善は見込めない。
いずれは生命維持に必要な体の機能まで低下し、命を失うことになる、と医師は言った。
何とかならないのかと怒り、怒鳴り、最後には縋っても、判断は変わらない。
手を尽くします、と言われれば涙を呑むしかなかった。
水城が厚労省の問題にかつてなく強く取り組み始めたのがこの頃だ。
容易に解決できる問題は解決してしまったがゆえに、今の医療界には難題ばかりが残っている。
毎年高騰する医療費、高まり続ける希望医療水準と、反するように医療者の絶対数の不足が問題となっていた。
医者も看護師も足りず、負担が大きい。
その割に儲からない。
水城もまた、医療業界に救いを求める一人として、積極的に関わるようになった。
日医界と接近し、強固な後ろ盾を得た。
医療費の改定で財務省と喧々諤々の論争を何度も繰り返し、妥協できるラインを押し上げた。
気づけば水城は厚労族の中堅議員として評価され、そして命の症状は少しも改善されず、むしろ年を追うごとに悪化していく。
娘の父親の呼び方が、「ぱ~ぱ~」から「パパ」に、そして「お父さん」から「父さん」と少しずつ変わり、高校二年生になった年の夏から、命はずっと昏睡している。
娘の呼ぶ声を聞いたのは、もうずっとずっと前だ。
それでも、水城は娘の声を今もハッキリと覚えている。
最後は声がかすれて、話すのもつらそうだった。
何よりも負担をかけると、申し訳無さそうに言われたことが、辛かった。
誰よりもツラいのは命本人だというのに。
今は、水城が見舞いに向かっても気づくこともなく、眠り続けている。
「命、父さんだぞ~……」
そうっと声を掛ける。
病院の個室は静かだった。
夕日が差し込み、室内は明るく、長い影に包まれている。
妻も見舞いに来ているのか、窓際には花が飾ってある。
着替えが用意され、誰も観ないテレビが置かれていた。
流動食、点滴、関節の曲げ伸ばしのリハビリに、褥瘡防止の流動ベッドの寝返り、小と大の世話。
先進的な医療と属人的な介護の力がなければ、娘はとっくに死んでいただろう。
ベッドの隣に腰掛けて、水城は娘の顔を見た。
今は痩せこけているが、整った綺麗な顔立ち。
きっと美人になるだろう、と思っていたが、予想以上に美しい女性になった。
なぜ、この娘だったんだろうか。
可愛らしくて、真面目で、曲がったことを許さない、本当にいい子だ。
いったいうちの娘が、何をしたっていうんだろうか。
「きっと良くなるからな。父さんがきっとお前を治るようにしてやる。頼むから……頼むから頑張って待っててくれよ」
返事は返ってこない相手に、一方的に語りかけることにも慣れてしまった。
研究が必要だ。
研究が必要なんだ。
開発が、新薬が、希望が。未来が!
それにはとんでもなく大量の金が要る。
そして国の後押しも。
診療費と薬価を押し上げ、新薬開発の助成金を認定し、新薬認定の早期承認制度の推進を図る。
できることはいくらでもあった。
たとえ官僚から嫌われ、恨まれても構わない。
財務省の予算をなんとしても絞り出させるために、水城は尽力した。必死だった。
「きっと、きっと薬ができる。治る日がもうすぐそこまで来ているはずなんだ。もう一度目を覚まして、元気に歩き回れる日が来る。必ずだ」
水城は命の手を握った。
筋肉は痩せ細り、骨と皮だけになって、血管が浮き出ている。
筋量が落ちて、手は驚くほど冷たい。
両手で優しく包み込む。少しだけ擦って、指の曲げ伸ばしをしてやる。
水城は議員である。
法を作り、遵守すべき立場だ。
指定難病ではなかった命の治療費は馬鹿にならない。
高額医療制度を利用してなお大きな負担がかかる。
水城は他の議員と比べれば、むしろ質素な暮らしを続けていた。
だが、娘が助かるならば、この子が元気になってくれるならば、たとえ泥をすすり、どれほど手を汚し、地獄に落ちることになっても構わない、という覚悟があった。
「愛してるよ……」
祈りを捧げるように、包んだ手を額に近づけ、水城は瞑目した。
娘を目覚めさせてくれる王子様がいるならば、特別に結婚を許したっていい。
今すぐにでも、娘を救って欲しかった。
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ぜひ読んでください。





