第52話 厚労族、水城直人との会食
大阪の心斎橋。
大阪を二分する繁華街、梅田と難波のちょうど中間地点に位置する心斎橋筋商店街から、少し小路を外れたところに、名の知られた料亭がある……らしい。
少し前まで売れないライターだった渡には縁遠い店だけに、調べて知っただけで、味も雰囲気もよく知らない。
事前調査によると、ミシュランガイドで二つ星を取った店で、『雲雀』という。
祖父江の紹介してくれた議員との面談に用意された店だった。
表は黒く塗られた木組みの門。竹が植えられて、小さな庭園が玄関へと続く。
石畳の小路を進んだ先に磨りガラスの格子戸があり、開くと樹齢数百年の銘木を使用した板材の長いカウンターがあった。
店内は柔らかな橙色の明かりが照らし、落ち着いた花器や掛け軸が飾られていて、日本人には落ち着いた雰囲気をしていた。
調理場は美しく、板前や女将がキビキビと動いている。
奥の通路からは個室に繋がり、障子戸を開ければ、畳敷きの座敷が並ぶ。
そんな座敷の一つに、渡の今日の相手が座っていた。
水城 直人。
今年五八歳になるその男は、与党の中堅で厚労族と呼ばれるものの一人だ。
今は厚生労働委員会の理事として、診療報酬や審査基準、制度設計に深く関わる人物だった。
主な支持基盤は日本医師会で、過去にも診療報酬の引き上げをするため、財務省とバチバチの口論をしてきている、そうだ。
祖父江が相談相手として推薦した人物だった。
政界と深いつながりのある祖父江からの推薦とあって、人選には心配していない。
何らかの個人的な情報も加味したうえで、一番だと思ったのだろう。
きちっと体にフィットしたスーツ姿。
収まる体型はガッチリとしていて、ほどほどに鍛えられている。
四角顔にギョロッした目は威圧感があったが、渡の入室を見てニコッとした表情は愛嬌があり、その落差が好印象を抱かせる。
票を取る議員だけはある、という印象だ。
渡の後ろについているのは、マリエル一人。
さすがにぞろぞろと全員を引き連れて入室するわけにもいかなかった。
座敷に上がると、渡は正座し、深く頭を下げた。
「はじめまして。水城先生。本日はお時間をいただき、誠にありがとうございます。堺渡と申します。よろしくお願いいたします」
「水城直人です。よろしくお願いします」
議員というと偉い人、怖い人という印象があるが、実際には人気商売の側面があるため、むしろ人当たりのいい人が多い。
もちろん舐めてかかると痛い目に遭うわけだが、丁寧に処していれば、一般有権者には優しい。(官僚をはじめとした公務員等にはその限りではない)
水城議員の背後には、若手の秘書が一人。
渡の後ろには、マリエルが一人控えた。
名刺を交換して、お茶を一口飲んで口を湿らせた後、少しの無言の時間が流れる。
おもむろに、水城が口を開いた。
「祖父江さんがね、話を聞いてくれるだけでいい、と言っていたよ」
「そうですか」
「僕にどうしてほしい、とは言わなかった。それだけ自信があるのかな?」
「そうだと思います。俺も、大言壮語と言われても、歴史が変わるような薬だと思っています」
「歴史が変わるか。大きく出たね」
水城が楽しそうに笑った。
その目は鋭く、渡の言葉の真意を探るように光っていた。
渡はもう、腹をくくっている。
緊張こそするが、大物との体面はこれまでにも何度となくこなしてきた。
一国の国王に感謝されたこともあるし、封建制度の貴族と商談を重ねたりもした。
今更国会議員だろうと、過度に萎縮することはない。
尊大にも卑屈にもならない、泰然とした態度を保つ。
その余裕が伝わったのか、水城が渡を評価したのが、肌感覚として分かった。
「新薬の承認はこの一〇年ほど、年間で一二〇種ほど。そのうちの何らかの早期承認制度は二〇品目、約六分の一が利用されてる計算になる。この数をどう思う?」
「結構多いんだな、と思いました」
「実際には一度承認制度で認定されたものの、取り消された薬が非常に多いんだ」
「それは……どうしてでしょうか?」
「革新的な新規性のある薬ではなくなったから。今や各国が研究をして、次々に新薬が開発されている。おそらくは同等の効果を発揮するだろう新薬があるならば、リスクを取って早期承認する意義はなくなる、ということだ」
「普通の承認はされるんですよね?」
「正規の手順を踏むようになるだけだ。とはいえ、僕はこの考え方に反対的でねえ」
意外な話の転び方に、渡は軽く目を見開き、眉を上げて、意外そうな表情を浮かべたことで、続きを促す。
水城は前菜を口に含んで、しばし味わった後、続きを話した。
「救える命があるのに、制度がそれを阻むことがあると知ってね。もちろん、何でもかんでも承認を早めてしまうことは、むしろリスクを増やすだろうことは承知している。それでも、有効な薬には早い承認が良いと思っているよ」
「皆さんそうだと助かるんですが」
「いや、むしろ同じ考えのものは少ないんじゃないかな。実績の積み重ねを急ぐよりも、失態を避けたがるのが官僚の生き方だし。救えたはずの命、などと言っても、他人事に感じる者が大半だ」
「水城先生は違うんですね」
渡の言葉に、水城は頷いた。
チラッと渡の顔を伺い、少し黙り込んだのは、何かを考えていたからだろう。
信用できるかどうかを量られていた?
「僕はね……。娘が難病なんだ」
「あ、そうでしたか。それは大変ですね」
「百万人に一人、といった珍しい病気で、いまだ治療法が見つかっていない。被験者が少なすぎて、薬の採算が取れないから、新薬の研究も進まないし、治験でデータを取るのも難しい。少しずつ活動時間が減っていって、寝たきりになっていく病気だ」
水城は両手を組み、親指を額に当てて、うつむいた。
その姿は、どこか祈るようにも似ている。
「もう……五年も寝たままなんだ。こうして早期承認制度を進めていれば、いつか、娘の病気につながる日も来るんじゃないかと、思ってる……」
自分の娘の症状に合致した薬が出てくる可能性は、きっと低いのだろう。
それでも、似たような境遇の人の気持ちが、痛いほどに分かるのだ。
水城直人が厚労族として、新薬の承認や制度に情熱を持つ理由の一旦が分かった気がした。
「湿っぽい話をしたね。さあさあ、食事を楽しもうじゃないか! せっかく雲雀の料理が食べられるんだ。堪能しないともったいないよ」
「先生、こちらが今お出しできる範囲での、効果効能、被験者の改善率です」
「ふむ……」
マリエルが鞄から出した紙の資料を卓の上に置く。
サレム博士によって作られた専門的な様式の書類だが、水城は読み慣れた様子で、次々に目を走らせる。
吸い物を飲んで楽しそうに目を笑わせていた水城だったが、やがて内容を把握する事に表情は真剣なものへと張り詰め、文字を追う目に力がこもった。
「なんだこの薬は……こんな……こんなものが、本当に……?」
ポトッと、水城の手から箸がこぼれ落ちた。
水城の呆然としたつぶやきを前に、渡は笑みを浮かべた。
「きっと、お力になれると思うのです。何卒、ご協力をよろしくお願いいたします」
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