第49話 工場に忍び寄る影
サレム博士に成分分析を依頼した以上、実務面で渡たちにできることはなにもない。
あとは、彼がしっかりと己の役割を発揮できるように、サポートに徹するのみだ。
唯一貢献できるとすれば、ステラぐらいのものだろう。
原材料について渡したり、あるいは調薬の場面を見せたり、分析に使う薬を数多く用意する。
これらは錬金術師であるステラだけができることだ。
渡は防犯カメラを希望通り購入し、真守と一緒に、死角となる場所を潰すように、設置した。
カメラは微光、あるいは赤外線探知で、何か動くものがあれば、すぐに通知が飛んで、真守が確認できるようになっている。
人が立っている、という抑止効果は期待できないが、それでもカメラが設置されていることは分かるし、気付かずに侵入されているよりはマトモな対応が期待できた。
ところが、すぐに異変が起きた。
「また、ですか?」
「はい。これで三日連続です……。私一人では走って現場に駆けつけても、正体を知ることはできませんでした」
「下手に追わずに、工場で待機をお願いします。必要であれば通報も、自己判断でしてください」
「了解しました」
見守りカメラを設置してすぐに、複数回も通知が飛んだのだ。
だが、真守がライトを手に急いで現場に駆けつけたときには、人の気配はまったくなかったという。
夜の暗がりのため、カメラで捉えた映像からは、はっきりとした人相が分からない。
おそらくは目深に帽子を被って、長袖に手袋と怪しいことこの上なかった。
自宅で真守から連絡を受けた渡は、深く溜息をついた。
「尾行していたスパイたちが、工場を狙ってるのかな」
「アタシたちが毎回尾行を撒いてるから、狙いを変えたんでしょ」
「わたくしやお姉様なら、忍び込むのにザルもいいところですもの。こちらのスパイたちが狙うのも当然ですわ」
「わざとエアたちに警備についてもらって、現行犯逮捕してもらうのも手だけどなあ」
「ん、必要ならいつでもやる。主が決めてくれていい」
「まあ、まだ様子見だ。ライトを設置して、明るくすることで警戒させよう」
一度は各国のスパイたちが、相互監視や排除を行っていたのだが、工場という分かりやすい場所の情報が手に入ったのだ。
狙わないわけがなかった。
「できればまだ目立ちたくはない。まずはデータを取られないように、対策が先だろう」
「工場内に入ったとしても、物理的な対策は、もう大丈夫だと思いますよ」
「それはまあ、そうだろうな」
マリエルが苦笑しながら言った。
実際に取った対策を思い出しているのだ。
工場の設備は、元々インターネットから完全に切り離された、『エアギャップネットワーク』で構築され、動くようになっている。
事務室などは普通のインターネット環境が構築されていたが、製造設備とは完全に切り離されていたのだ。
中小規模の工場とはいえ、最低限の漏洩対策が実施されていたのは、平田の危機意識が高かった証拠だろう。
元々は新薬開発も行おうとしていただけはある。
その肝心なデータの保管場所に、侵入されないようにしなければならない。
渡たちはデータの保管されたハードウェアの部屋の前に、エアたちに頼んで鉄の塊を設置してもらった。
高さ二メートルほど。横幅一メートルの分厚い鉄板。ざっくりと二トン以上もの重さになる。
左右に指を引っ掛ける出っ張りがあるとはいえ、人の手で持ち上げられる重さではない。
獣人の人間離れした怪力を使って、それを無理やり部屋の前に設置したのだ。
文字通り『力技』で問題を解決したことになる。
エアとクローシェは、重たいと言いながらも、まだ余裕を残していた。
「必要ならもう一枚設置するけど、要る?」
「要らない。二〇〇キロ持ち上げられる怪力のスパイが一〇人集まったら持ち上がるだろうけど、そんな大人数で忍び込めるもんじゃないし、いざ侵入できたとして、今度は持ち手がないしな」
スパイが工場に侵入し、いざ部屋に入ろうと思っても、どうにもできず途方に暮れるだろう。
発破で壁をぶち壊すか、まだダンプカーを壁に突っ込ませたほうが可能性があるレベルだ。
当然大騒ぎになって、情報を盗むどころの話ではなくなってしまう。
今後設備にトラブルが起きた時や、ヴァージョンアップなどが必要な時には、エアたち全員が揃わないと対処できなくなってしまうのが難点だった。
あとは、ポーション自体を盗まれないようにすることと、電波傍受を対策すれば完璧だ。
このあたりの設備に関しては、レイラから融通してもらうことで話が通っていた。
もともとスパイ対策で相談していたので、その準備も万端だったようだ。
さすがにファイサル家の王女様も、鉄の塊で侵入を防ぐなどという頭の悪い(しかし効果的な)対策は、思いつきもしなかったようだが。
新しい警備員の雇用に関しては、氷河期世代の募集が良いのではないか、と平田から提案があった。
派遣ではなく正社員として雇用し、福利厚生がしっかりしているなら、相当優秀な人も集まるはずだ、と言われる。
二十すぎの渡にとって、氷河期世代の苦労は遠い昔にあったらしいこと、あるいは縁遠い話で、ピンとこない。
だが、仕事柄一番重要になる倫理観や忠誠心に期待できる、と言われて、渡は募集をしてみることに決めた。
警備員の募集を求人サイトにかけて、三日後。
渡は思った以上に応募が集まったことに驚いていた。
自宅の事務室のパソコンモニターに表示されている応募者の数は、三六件にも上る。
たった三人の採用に対して、三六件もの応募があったのだ。
正社員、週五日勤務。シフト交代制。
社保完備、夏冬賞与あり。
求人サイトの担当者は、条件がしっかりとしているので、普通ですよ、と言っていた。
警備員の増員は、思った以上にスパイの反応が早かったため、急務だ。
だが、同時に獅子身中の虫を抱えることにも繋がりかねない。
雇い入れたのがそもそもスパイなら、どのような悪事が働かれるか分からない。
あるいは雇用後に倫理観の薄弱な相手の場合、情報を守りたいのに、小金を握らされて、ペラペラと機密情報を話したり、あるいはUSBメモリなどを使って情報を吸い出される恐れもある。
長年雇用して人柄を見たり、縁故雇用をしたりと、その相手が信頼できるかどうかを判断する手法は色々とあるが、起業したばかりの渡には使えない手ばかりだ。
「緊張していても、嘘をついているのかどうか、こちらを騙そうとしているかどうかの区別はつくのか?」
「オッホッホ! わたくしにお任せくださいませ! このような任務は黒狼族の真骨頂ですわ!」
「しゃくだけど、クローシェに任せておけば大丈夫。アタシよりもよっぽど上手に見抜くよ」
「よし、じゃあ頼んだ。失敗すると目も当てられないから、慎重に判断してくれ」
「かんっぺきな選抜をしてみせますわぁあああ! おーーーほっほっほ!」
得意げにお嬢様笑いをしながら、尻尾をブンブンと全力で振るクローシェの姿に、一抹の不安を抱かなかったわけではない。
だが、なんだかんだと、ここ一番では頼りになるパートナーだ。
渡はクローシェの判断を素直に信じることにした。
ほんっとうに頼むぞぉ、クローシェ。
クローシェによる採用者(応募者)一覧の例
非採用組
白辺 真栗
出江田 トーリ
軽井沢 久地
採用組
館 優
萬井 堅斗
門野 護
こんな名前考えるのにめちゃくちゃ時間使ってしまった……。もったいない。





