第46話 不可能物体
万が一にも壊れてしまわないように、そして内容物が崩れてしまわないように、空気を入れた梱包材に包んでいたそれを、渡は丁寧に取り出す。
冷たく固い感触が手に伝わる。
テーブルにゆっくりと置くと、ゴトッと重たい音がした。
息を呑んで見つめるモイーに当てられてか、部屋の中は静けさに満ちている。
興味津々といった表情で取り出すのを待ち構えるモイーを焦らすように、布で商品は隠しておく。
正面に座るモイーが首を伸ばして、隠れた商品を覗き込もうした。
その目は玩具を前にした子どものようにキラキラと輝いている。
領主としての顔というよりは、珍しいものが欲しくてしかたがない、蒐集家の顔だ。
焦らそうとする渡に、モイーは少し唇を尖らせた。
「おい、早く我に見せぬか。わざわざ隠すんじゃない」
「まあ、しばしお待ちを。良い品を良い状態でお見せすることが肝要ですから。モイー様も、せっかくの珍品奇品を、無造作にぽんと出されては興ざめでしょう?」
「ふむ……それは一理ある」
ゆっくりと布を剥ぎ取る。
モイーがゴクリ、と生唾を飲み込んだ。
渡が丁寧に取り出したのは、全長約三〇センチメートルの透明なガラス瓶だった。
その瓶は非常に高い透明度を誇り、光を受けて淡く輝きを放っている。
瓶の口は親指が入るか入らないかという細さで、頑丈なコルク栓でしっかりと密閉されていた。
瓶の内部には、驚くほど精巧な三本マストの大型帆船が鎮座している。
船体は濃い茶色の木材で作られ、繊細な彫刻が施された船首と船尾には金色の装飾が光っていた。
三本のマストは瓶の中央にそびえ立ち、それぞれに複数の横桁が取り付けられている。
三枚の縦帆と十五枚の横帆は、まるで強い風を受けて膨らんでいるかのような立体感で表現されていた。
帆は真っ白な布地で、その薄さは光に透けるほどだ。
船体の側面には細い筆で船名が描かれていた。
『不可能物体』とも呼ばれる制作物の一つで、いわゆる『ボトルシップ』という通称名の方でピンとくる人も多いだろう。
瓶全体がよく見えるように置き方を調整して、渡はゆっくりと被せていた布を取り払っていく。
「どうぞ、御覧ください。本日の商品名は、ボトルシップでございます」
「ほおおおっ、美しい透明な瓶の中に、船の模型が入っておるな! ふうむ、素晴らしく精巧な出来栄えだ。マストの一つ、綱の一本までなんと丁寧な作りであることか……。なるほど。たしかに見事な模型であるなあ。これは素晴らしい」
瓶に顔を近づけて、まじまじと眺めるモイーはとても楽しそうだ。
ボトルシップは一八〇〇年代に船乗りが長い暇を持て余して作り始めたのが由来だと言われている、不可能物体の一つだ。
正確な誕生年は不明だが、日本には大正時代に入ってきて、昭和の頃に一気に広まった。
以来、非常に繊細な手つきと技術を求められるボトルシップは、一部の愛好家たちの趣味として細々と続いている。
不可能物体と呼ばれるものの多くは、パーツを細分化したり、あるいは圧縮することで、本来ならば入らない物を入れてしまう、という遊びだ。
近年では3Dプリンターやレーザー彫刻の発達と普及によって、工芸的な不可能物体の難易度は非常に低下している。
それでも、あるいはだからこそ、人の手だけで作り上げる精密無比な工芸品の価値は、ますます評価されるのだろう。
そして、そういった超絶技巧は、先進的な技術を持たない異世界においては、なおさら驚嘆するほどに価値があるはずだった。
「ふうむ、見事だ……。これはたしかに素晴らしい技術だな。この帆の多さ、推進力は相当なものになりそうだ……」
「こちらにも立派な帆船はありますよね」
「うむ。だがこうまで多くの帆を立てた船はない。相当な大型船だな」
と思っていたのだが、どうもモイーは帆船の構造が気になりだしたようで、そもそもこの船がどうやって瓶の中に入ったのか、というところまで思い至っていないようだった。
しげしげとマストの位置や帆柱の建て方、あるいは風の影響を調整するための綱の巡らせ方などに意識が向いてしまうのは、優秀な為政者ならではなのかもしれないが、渡としてはやきもきしてしまう。
ボトルシップの醍醐味は、あくまでも普通ではできるはずのない物質の中に、精巧なものが出来ているからこそ素晴らしいのだ。
「ふむ、この船は取り出すことはできるのか? できればもっと近づけてみたいのだが」
「それは不可能です。モイー様、よーくご覧ください。この瓶の口の細さ。どう考えても船よりも細くなっています。無理やり取り出そうとすれば大破してしまうでしょう」
「なるほど。もっともだ。……いや、待て……。んんん? えっ、はっ? いやいや……」
お、気付いた気付いた。
頭の上に大量のクエスチョンマークが浮かんでいるであろうモイーが、色々と考え込んでいるのが分かって楽しい。
「こうすれば……いや、無理ではないか。ならばこうすれば……いや無理だああああああああ! どうなっておるのだ! どう考えても瓶のくびれた首の部分を通過できないッ! おかしい! 理屈に合わんぞおっ! むぅぅうううううぅぅうっ? ???????」
「お気づきになられましたか」
「ううむ。一体どうやって作ったというのかね!? 船を作ったあと、ガラス瓶を作ったとか?」
「それでは熱で船が燃えてしまいます」
「では、出来上がった船を無理やり瓶に突っ込んだのか!?」
「それでは船が壊れてしまいますよ。こうして製法に悩むのも、この作品の醍醐味というやつです。答えをお伝えしても良いのですが、むしろ思いを巡らすことのほうが、楽しみ方としては正道かと」
「なるほど……。いや! しかし知りたいっ! 答えが知りたい!!」
「はっはっは。ぜひとも他の方にもご自慢ください。蒐集家仲間の悶え苦しむ姿を想像してみてください。もったいぶって答えを教えないのも、このコレクションの楽しみ方の一つです」
「き、貴様、我を弄んでいるのか?」
「いいえ。これこそが一番売り方として、高く評価していただけると思ってのことです」
渡は堂々とした態度で言い切った。
手品のトリックを種明かしするのに似ている。
種がバレてしまえば、なんだ、と納得はするものの、不思議さ、神秘さという魔法は失われ、ただの精巧なものでしかなくなってしまう。
ボトルシップを眼前で、様々な角度から眺めていたモイーは、急に頭を抱えたかと思うと、悶絶し始めた。
「ぬわあああああああああああああ、知りたい知りたいっ、知りたいのおおおおおお!! 我、知りたい! 自慢したい! これが欲しい!」
「ではお買い上げいただけるでしょうか? とはいえ、ご購入いただいてからも、製作方法は公開しませんが……」
「ぬぅううううう~~~~~!! もういいいいいいいいいいい! 買う! 買っちゃう! くぅううう、この我が! 手のひらの上で転がされるとは……! ワタル、恐ろしい奴め!」
「でもそれが良いんですよね?」
「むわああああああ!」
目を見開いてボトルシップを睨み、絶叫するモイーは、いつものように、とても面白かった。
というわけで、ボトルシップでした。モイモイはいつもどおりでしたね。
たまにコメントいただくので補足しておきますが、基本的に、オーパーツじみた商品は売らないようにしています。
アイデアと技があれば、かろうじて実現可能、ぐらいの商品をできるだけ選んでます。そうでないと、渡の身に危険が及ぶ可能性が高くなるためです。
もし良ければ高評価をよろしくお願いいたします。
COMICユニコーン様にて、コミカライズが連載開始しました。
https://unicorn.comic-ryu.jp/145/
ぜひ読んでください。





