第35話 採用
工場の見学を終えた渡たちは、松尾と平田に挨拶を済ませて自宅に帰った。
慣れないことをしたからか、肉体的にも精神的にも疲れが出ている。
夕食は親子丼とかぼちゃの煮物をマリエルが手早く作ってくれて、それを食べる。
最初は戸惑っていたマリエルたちも、長い日本暮らしで和食にも慣れたものだ。
エアとクローシェは丼一杯では物足りないらしく、冷蔵庫に作り置きしていたおかずをガツガツと食べている。
美味しそうにご飯を食べる姿はとっても可愛らしい。
「んんー! んまー!」
「本当にマリエルの作る料理は美味しいですわ~!」
「アタシもう一杯おかわりする」
「わたくしも! あら、もう炊飯器にお米がなくなってしまいましたわ」
そんなに食べて大丈夫なんだろうかと思ったことがある。
渡も二一歳の男だから、それなりには食べる方だが、二人はそれ以上によく食べる。
エアとクローシェは渡の見えないところで普段から鍛錬を続けているし、活動量が段違いに多い。
強さだけでなく、肉体美に溢れた二人の努力は素直に尊敬できた。
お腹が膨れてホッとしたところで、今日の見学について話をした。
現時点での雇用条件では、能力はあまり重視していない。
それよりも今は誠実性が一番重要だ。
研究職の募集については、また別途後日に行う予定だからだ。
まずは経営者である平田も含めて、工場についてそれなりに詳しく、稼働できる人が欲しかった。
「まずは、平田さんはどうだろうか? 仕事ぶりを考えれば、誠実にしていたみたいだけど」
「私は悪くないと思いました。工場の買収だけでなく再雇用まで面倒を見られるなら、相手も相当に感謝すると思います」
「問題は、内心は分からないところだけど、特にクローシェの鼻ではどう感じた?」
人の心を読むという一点に限れば、クローシェの鼻がもっとも信頼できる。
人の感情は体臭に色濃く反映されるからだ。
クローシェは渡の質問にしばらく考えた後、雇用に賛成した。
「……嘘をついている臭いはしませんでしたわ。わたくし達にも敬意を払っていましたし、常に工場の行くすえを心配しているようでした。下手な嘘をついたり、情報を売るような人ではないと思いますわ」
「アタシもクローシェに賛成かな。雇ってみて、あらためて怪しそうなら、別の仕事に割り振ったら良いんじゃない?」
「よし、そうしよう。他にこれはという人はいたかな?」
経営者だった平田は、工場のことを一番知り尽くしているだろう。
賃金をどの程度に見積もるかは別として、もし雇えるなら雇いたい。
彼としても今後の生活があるだろうから、経営者から従業員となる立場の変化を受け入れてくれれば良いもだが。
ここで躓くようなら、別の管理職を誰か雇う必要がありそうだった。
続いて手を上げたのは、ステラだ。
ヘテロクロミアの瞳が、弱々しく渡を見ている。
「あのぅ、よろしいでしょうかぁ?」
「ステラか。もちろんだ」
「薬の機械を操作していた男の人なんですが、かなり高度な知識と技術を持っているように伺えましたの。わたしの耳では非常に深い集中状態を維持していたので、良い人材だと思いますぅ」
「分かった。助かるよ。採用の候補に入れてみよう。なにか気づいたら、遠慮なく言ってくれ」
「おほッ❤ お、お任せくださいぃ❤」
「よし、後は?」
渡はステラの痴態を無視して話を続けた。
工場長に一人、技術者に一人。
警備についていた男についても、エアとクローシェから最低限度の合格点をもらった男がいて、合計三人の雇用を検討することになった。
特に警備体制は、今後過剰なまでに強化する予定だ。
ポーションの秘密は絶対に守らないといけない。
各国のスパイに一つたりとも情報を渡すつもりはなかった。
雇用人数は少ないながらも、信頼できる(であろう)人を雇用できそうで、渡たちは幸先の良いスタートを切ることができた。
と思っていたのが、つい先日の話だ。
日本に滞在している中東の王族、レイラから連絡があった。
何故このタイミングで、と思ったが、ちょうど中東で設立している法人から、買収用にお金を移したところだった。
資金の流れを察知すれば、渡が大きく動き出したことは当然のように捕捉されるのも当然だった。
筒抜けか、と思ったが、お金の流れ自体は調べようと思えば他のスパイだって調べられる。
そもそも買収が成功すれば、政府に提出する諸々の手続き、書類から、その動きも必ず察知されるはずだ。
密会に指定されたラウンジで、レイラは渡の姿を認めると、軽く唇を尖らせた。
「もう、ワタル様、もっとお会いしたいです。用があるときだけなんて寂しいじゃありませんか」
「すみませんね。忙しいもので」
「もっと私たちを頼ってくださらないと。なんのためにわざわざ日本にまで来たのか分からなくなってしまいますわ」
オフショルダードレスを着ているレイラは、相変わらず美しかった。
褐色の肌は磨かれたように艷やかで、きめ細かい。
晒している素肌はそれほど多くないのに、体のラインが浮き出た服装は、最近とびきりの美女に囲まれている渡をして、ごくりと生唾を飲み込むほどに魅力的なラインを描いていた。
レイラの手がそっと渡の手を握ると、大きくつぶらな瞳が、いじけるように渡を貫く。
「ワタル様、私たちは他意なくお役に立ちたいんです。私の家族もワタル様に救っていただきました。今後の覇業を支える一助とさせてくださいませ」
「ううっ……」
「お・ね・が・いいたします❤」
色っぽい声が耳朶をくすぐる。
明らかに誘惑されているのが分かるが、激しい拒絶も難しい。
いつもならば助け舟を出してくれるマリエルたちは、ほんの少し離れたところでまとまって座っている。
二人きりで話がしたい、との要求を断りきれなかったからだ。
「一助って、いったい何をしてくれるんです?」
「お望みならばなんでも。一族で可能な限りは叶えてさしあげます。人も物も、お金も、あるいは外交を通じて圧力をかけて、便宜を図ることも。ワタル様が工場を運営するなら、優秀な人材が必要なのではありませんか? 誠実で信頼の置ける、とびきり優秀な研究者をご用意します」
「う、うう……」
そ、それは欲しい。ぐらっと来た。
レイラは一貫して、自分の役に立とうとしてくれている。
「お願いです。私もワタル様のお役に立ちたいんです」
その想いは本物だ。
レイラの言葉にまったく嘘がないのはエアたちの反応でも確かだし、心の読めない渡でも分かるぐらいストレートなのがまた悩ましい。
潤んだ瞳で、切実に訴えられて、渡は悩んだ。
完全に心を許してしまうと、王族の仲間入りを果たすことになる。
だが、心底自分を助けようとする女性を、跳ね除けることもまた難しい。
「分かりました、分かりましたよ。じゃあ、一人だけ採用します。でも情報漏洩をするつもりはないですし、その点は紹介前に噛んで含めるように伝えておいてくださいよ」
「もちろんですわ。キツく言い含めておきますし、そもそも倫理観に欠けたものを紹介するつもりはありません。ワタル様が承知してくださって、本当に嬉しいです。ありがとうございます。これで私も、家族に面目がたちます」
パアッと花開くような笑顔を浮かべるレイラの表情を見て、渡は早まったか、いや、だが間違っていないはずだ、と自分の判断に悩んだ。
もし良ければ高評価をよろしくお願いいたします。
COMICユニコーン様にて、コミカライズが連載開始しました。
https://unicorn.comic-ryu.jp/145/
ぜひ読んでください。





