第34話 工場見学 下
自分の仕事について説明しているからだろうか。
平田の声には情熱が帯び、言葉の一つひとつに力がこもっていた。
「創薬に必要なのは、どれだけ有効成分を的確に見つけられるか、ですねん」
「そう簡単な話じゃないんですよね?」
「それはもちろん。それどころか、その有効成分を見つけることが、ものすごく難しい話です」
平田は何度も頷く。
まあ、それもそうだろう。
今のはシンプルに説明してくれただけで、理想と現実には大きな隔たりがあるはずだ。
言葉ほどに単純なら、もっと画期的な新薬が世の中に出ているはずなのだ。
新薬開発にかかる費用や規模の話を聞くだけでも、そんな簡単な話ではないことは容易に分かる。
「新薬ができる確率は、化合物三万個にわずか一個程度と言われてます」
「三万個……そんな少ないんですか?」
「ええ。おまけに新薬ができるほどアタリの数は減っていくわけやし、当てずっぽうで探してたら埒が明かんし、研究費もかかってしゃあないわけです」
「はああ……それはそうでしょうねえ」
「せやから、今は世界レベルの大手の製薬会社でさえも、研究は研究所や大学にまかせて、見つかった物質を買収して製造するってスキームが流行っとるそうです」
思わず嘆息が漏れる。
創薬研究は数百億円もかかる可能性が低くないらしいが、それもそうなるだろう。
「内心は製薬会社が薬を創らんでどうするんや、と思うんですが、かかる研究費のことを考えると、納得せざるをえませんわ」
とはいえ、いまだ人の病のほとんどは治せていない。
一発当たれば、それこそ大きなリターンを得られる可能性を秘めている。
よく風邪を治せる薬が創れたら、ノーベル賞を受賞できる、などという与太話があるが、それぐらい特効薬を作るのは難しい。
「当てずっぽうじゃなかったら、どうやって探すんです?」
「予測するんですわ」
「予測……」
「ええ。ある程度、本当にある程度ですが、人体に良い影響を与える化合物には、一定の共通する配列がありますねん。あるいはそもそも薬として適さないものを上手く除外する。体に悪いもんも共通しますやろ。全部を総当りでテストできませんから、この確率をできるだけ下げることが大切です。で、最後は運任せですわ。テストを繰り返していくしかありません」
「答えは掘ってみるまで分からないながらも、経験則や野生の嗅覚が生きてくるわけですね」
「その作業は優れた職人が、石油の源泉を予測して掘っていく姿にも似ているかも知れまへん」
そりゃなかなか見つからないわけだよ。
一回ごとに検査費用がかかるんだから、研究者も大変だ。
ここの工場が創薬を諦めたのも、資金的に仕方がなかったのだろうし、下手に夢を見て続けなくて正解だったかもしれない。
一発逆転を狙って金の鉱脈を掘り続けていたら、もっとはやく破産していた可能性が高い。
俺達は大丈夫だろうか、と渡は少し心配になった。
だが、すでに治せるポーションを持っている渡たちとは、スタート地点がだいぶ違う。
あるかどうかも分からない鉱脈を探して掘るのではない。
間違いなくその山に金の鉱脈は存在するのだ。
山のどこにあるのかは定かではないが、あとは信じて掘るだけだ。
そして、その鶴嘴にあたるのが、検査器具だった。
いよいよ創薬に関わる設備の説明がはじまると分かって、渡は心が躍った。
「その作業で使うのが、これらの設備ですねん。NMR(核磁気共鳴分光法)とMS(質量分析装置)っちゅう、代表的な分析法です。今は製造した薬剤が、ちゃんと目的どおりに出来てるかチェックするためにか使ってへんねんけど、仕組み自体はどれだけ先進的な工場でも同じでっせ」
平田が楽しそうに話す姿は、本当にこの製薬という仕事が好きなのだろう。
NMRは、外部静磁場に置かれた原子核が固有の周波数の電磁波と相互作用する現象(共鳴現象)を観測することで、化合物の構造を推定する手法だ
溶液に溶解したサンプルを使用し、分子構造解析や共重合組成の分析、反応解析などに利用される。
一方、MSは、ポリマーや樹脂を高温で瞬間熱分解して、モノマーレベルまで低分子化した成分を同定する手法。
両方を使用することで、化合物を同定することができる。
仕組みを丁寧に解説してくれていた平田だったが、エアやクローシェはもちろん、渡やマリエル、ステラも頭の上に?マークが浮かんでポカンとしていた。
「アッハッハ、アタシ全然意味わかんない! とにかくすごい設備ってことだよね」
「お、お姉様っ。失礼ですわよ」
「なに、じゃあクローシェは分かった?」
「いえ、分かりませんでしたけども。でもわたくし、頑張って理解しようとしているんですのよ! そんな大きな声で言う事でもありませんわ」
「いやいや、結構ですよ。素人さんが分からんくても、当然のことですわ」
「うん、まあそういう認識でいいと思う。仕組みが分かるのは専門家だけで十分だし。俺は経営者だからもうちょっと把握できるように勉強しないといけないけどな」
「わたしも勉強しますぅ」
うん、これは専門外の人間が理解して使いこなすのは無理だ。
ちゃんと研究者を雇おう! 信頼できる人を!
錬金術師であり、ポーションの製造に関わるステラは、申し訳ないが無理矢理でも理解してもらう必要がある。
だが、最終的には専門家が必要だというのは、意見の一致するところだった。
クリーンルームを通り、製造区域の外に出る。
作業服やキャップ、手袋なども返却した。
工場の説明を終えた平田は落ち着いたのか、関西弁も鳴りを潜め、標準語に戻りはじめた。
普段の会話ではもしかしたらコテコテの関西弁が普通なのかもしれないな。
「いかがだったでしょうか。うちとしては、隠すものもないし、できるかぎり公開したつもりですなんけど」
「すごく参考になりました。実物を見ることで、購入にも前向きになれました。これから松尾さんと相談して、実際にどうするか決めさせてもらいます」
「そうですか! よろしくお願いいたします」
物がしっかりとしていることさえ把握できれば、条件自体はクリアできている。
後は工場の従業員を再雇用するかどうかだ。
工場を稼働するかどうかは別として、工場内の諸々を把握している人が一人はいたほうが、後々にやりやすい。
その人物の選定は、エアとクローシェ、そしてステラの力を借りることになるだろう。
心理学で言うところの誠実性の高い人でないと、情報漏洩のリスクが怖い。
作業に実直に取り組んでいたか、余計なお喋りをしていないか、など獣人とエルフの超感覚でチェックしてもらった。
「どうだった? いい人はいたか?」
「いたいた、いたよっ!」
「主様、わたくしにお任せくださいまし!」
「わたしもこれはという方がいましたねぇ」
渡の質問に答える三人の表情を見る限り、いい人材がいそうだ。
もし良ければ高評価をよろしくお願いいたします。
COMICユニコーン様にて、コミカライズが連載開始しました。
https://unicorn.comic-ryu.jp/145/
ぜひ読んでください。





