第33話 工場見学 中
自分たちの会社の設備を説明するためか、先程までは気の毒なほどに疲れ果てた様子だった平田だが、今は少し活力が戻っているようだ。
松尾はほとんど口を挟まないが、工場の機械のメンテナンス具合を淡々と確認していた。
「どうなんですか?」
「相当しっかりと手入れされていますね。かなり状態が良いです。堺さん、この工場はアタリですよ」
「おっ、そうですか」
「普通、経営の悪化し始めた職場というのは、メンテナンスや清掃といったすぐに売上に直結しない所から手を抜き始めるものですが、そういう手抜きやコストカットの形跡が見えません。平田社長は倫理観のしっかりした人のようです」
「それは助かりますね」
「たぶん、薬価の無理な引き下げがなければ、ここまで経営不振に陥ることはなかったんでしょう」
「そう考えると、理不尽なものですね」
「堺さんが買収しないなら、うちのグループが手を挙げることになると思うので、工場自体は存続しますよ」
松尾の評価は上々だ。
設備の状態が良いことが分かって、渡は買収により前向きになった。
中は外観からは想像できないほどに綺麗だった。
ある意味では当然なのかもしれないが、あまりの違いに思わず渡は息を呑んだ。
高性能なエアフィルターを通した空気が循環していくようになっている。
異物や細菌が混入すれば、体力の損なっている病人にとって、致命傷になりかねない。
医薬品の品質管理の高さとその重要性を、工場を通してみたことで、納得できた。
工場の設備と一口に言っても、その働きは様々だ。
今回は渡の目的に合わせて、一連の流れをざっくりと説明した後、必要な設備について、話してくれることになった。
「創薬っていうのは、ものすごく大雑把に言うと、効く成分をどうにかして見つける。で、見つけた成分を化学合成で作るわけですな。この成分は本当にちっちゃいわけで、そのため、一般的な薬は低分子医薬品などとも呼ばれます」
「ねえ主、てーぶんしって何?」
「ものすごく小さいものってことだ。コップ一杯の水が高分子だとしたら、たった一滴の水は低分子。その一滴を水を、エアがパンチで吹き飛ばした飛沫の一滴、みたいなイメージかな」
「へえ……すっごい小さいってことか。なるほどニャア」
「まあ、そういうこと」
こいつ絶対わかってないな。
パチパチと瞬きするエアは可愛らしいが、やはり門外漢のことについては全く頼りにならない。
低分子は一般的には、分子量が一万以下の化合物を呼ぶ。
ところが低分子医薬品になると、分子量が数十から数百程度が普通になる。
そんな量を作ろうと思えば、当然設備の方もものすごく細やかな作業ができるものになっていく。
「こいつは『反応器』言うて、必要な化合物を合成する機械ですわ。原料と原料を組み合わせて、反応させることで、目的の化合物を作るわけですな。中学生レベルでいうと、水素と酸素を組み合わせたら水ができるっちゅうことを薬品でやっとるわけです」
平田のいう反応器は今も忙しく稼働中だ。
ゴウンゴウン、と小さいながらもモーター音が響き続けている。
できる量はさほど多くないが、常に動き続けていた。
化学反応が起こる速度も関係してくるだろうから、早く作るといっても限界があるのだろう。
金属パイプのなかで行われている作業ということもあって、実際の変化などは目に見えないのが残念だった。
平田はそこから隣のブースへと移動する。
その後ろを渡たちもぞろぞろと移動した。
先程の反応器から伸びた金属チューブは、こちらの機械に繋がっていた。
「このとき、大抵は余計な物も一緒にできるんで、そいつを除去する作業をします。それがこいつ『カラムクロマトグラフィー』っちゅう機械ですねん。化合物の中には、強烈に引き合う相性っちゅうのがありますねん。その反応を利用して、余計なものだけを除去するわけですな」
「わたくしとお姉様みたいなものですわね!」
「え~? それは違うと思うな。どっちかっていうと、アタシと主の仲みたいな?」
「うええええ!? そ、そんな! お姉様!?」
軽くあしらわれたクローシェがショックを受けるのも、いつものことだ。
また始まったな、という反応を示す渡たちに対して、平田は面白そうに笑った。
「仲がよろしいことで。で、あとは薬の用途に合わせて、粒状にしたり、液体にしたり、クリームしたり、といった薬剤にしていく工程に分かれます。んで、できた物を、カプセルやタブレットなどに梱包する作業が残っとります」
「とても分かりやすかったです。こちらでは当然、それら全部に対応した設備が整っているってことですよね」
「ええ。とはいえ、うちみたいな工場は全部をオートーメーション化できんので、人の手でする作業も多いです。もっと大手になると、かなりの工程で機械がやるようになりますね」
「まあ、そこの所は今は問題になりませんかね。そもそも薬が実現してからですし。追加費用がかかるのも許容範囲です」
「はあ……えらい余裕があるみたいで、羨ましいですわ」
平田は心底うらやましい、という感情の籠もった声で言った。
ほんの少し前、渡がお地蔵さんによって異世界と行き来できるようになるまでは、渡もよく溜息をついていたから、気持ちはよく分かる。
世の中はままならないことの方がほとんどだ。
「とはいえ、平田さん。これはすでに製法の決まった薬の設備ですよね。もちろんこれらの設備も使わせてもらうんですが、創薬研究の設備ってどこですか?」
「こっちですわ」
平田が歩く。
工場で働く作業員の視線も、平田や渡たちに向かって移動してくのが分かった。
今働いている人のうち、今後も関係を続ける人がどれだけいるだろうか。
必要もないのに雇い続ける義理もない。
かといって、ほとんどの人は解雇されることになると思うと、少し胸が痛んだ。
ひときわ大きな設備の前で立ち止まると、平田は渡に説明を始めた。
「創薬って言うのは、病気を治す化合物を見つけることですねん」
カクヨムにて、Skebで依頼しているイラストも掲載しています。
【全体公開】BABUMILK先生のマリエル立ち絵
https://kakuyomu.jp/users/hizen_humitoshi/news/16818093092602466150
いつものように、カクヨムリワードを利用して掲載してるので、リンク先で見てください。
あと、コミカライズの方がニコニコ漫画でも掲載されるようになりました。
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