第9話 結果と次の策
エトガー将軍の館から出る、四人の姿があった。
深々と頭を下げて別れを告げる渡の表情には、残念さが浮かび上がっている。
帰り道を肩を落として進み、足取りも力強さに欠けてしまっていた。
「ご主人様、今回の件は残念でしたね」
「そうだなあ。正直な所、もうちょっと上手くいくと思ってたんだけどな。やっぱり癖が強すぎたか」
「アタシは悪くないと思ったけどなあ。あの将軍、好みにうるさいね」
「わたくしもですわ! まあ……人を選ぶのは間違いないですが、どれも良いお酒なのは間違いないことです」
「ははは、そうですねえ。私も全部は気に入るかと言うと、ちょっと……」
癖のつよい酒は、それぞれの奴隷がチョイスしたお気に入りの一品だ。
マリエルは大吟醸酒を、エアはアブサンを、そしてクローシェは馬乳酒を気に入っていた。
ちなみに渡のおススメは夕陽のビールだ。
エトガーはそれぞれのお酒の価値を認めつつも、貴重な付与まで行える錬金術師の放出を了承するには至らなかった。
貴族には身に付けたり、飲食するものには相応の格が求められる。
高すぎれば驕奢となるが、安すぎれば鼎の軽重を問われる。
提供した酒は、貴族に相応しい逸品か、というとそう捉えられなかったらしい。
「悪いけど、またいいお酒探しを手伝ってくれるか」
「もちろんです」
「アタシは全然OKだよ。色んなお酒飲めて役得だしっ!」
「わたくしも問題ありませんわ」
取引は、成功とまで至らなかった。
酒器に関しては十分な合格点を貰えたが、提供したお酒については満足してもらえなかった。
とはいえ、再度別のお酒を提供することで満足できれば、取引を行うと継続の意思を見せてもらえただけ、まったくの不満足とも言えなかったのだろう。
「とはいえ、まだチャンスはあると思ってるんだけどな」
「そうなのですか? あの反応を見ると、かなり厳しいように思えましたが……」
「まあ、そういう見方もできる」
納得いっていないマリエルに、渡は理由を説明した。
「嗜好品は、最初からドはまりする物ばかりじゃないんだ。珈琲は苦いし、煙草も噎せて苦しい。それでも気が付いたら癖になって、欲しくてたまらなくなる」
「今回渡したお酒もそうだと仰るのですね?」
「そうだ。アルコールは常習性があるのは知られているが、同時に馬乳酒もアブサンも大吟醸も、他のお酒では代用できない風味なんだ」
試飲してもらったお酒についてはお近づきの印を兼ねて、プレゼントすることにした。
一度飲んだから評価が確定するようなお酒ではない。
どちらかといえば、ある程度付き合いを深めることで、その真価が分かるお酒だ。
プレゼントとは言っているが、これも一つの交渉だと渡は思っていた。
〇
渡たちは酒を探す一連の中で、いくつかのボトルを購入したり、企画に参加して飲み比べをしたりしていた。
渡とは違い、マリエルもエアもクローシェも、酒には強く、舌も肥えている。
仕事の一環で美味しいお酒が飲めるのは、望ましいことのようだ。
一度に多量のお酒に触れるには、イベントを利用するのが便利だ。
もしかしたら、これだ! と思える逸品と出会えるかもしれない。
そんな望みをかけて、渡たちは大阪市内で開催された試飲イベントに参加していた。
ビルのワンフロアを貸切られた広い空間に、数多のブースが並んでいる。
美しい瓶に揮毫されたブランド名、パンフレットと試飲用の酒杯。
ライトに照らされて、辺りは明るく、どのブースでも大きくは変わらない。
多くの中小の蔵元が集まり、会場に集められたお酒の種類は百種類以上。
今回は日本酒ばかりのイベントだったが、他にもビールやワインなど、様々な催しが定期的に行われていた。
「ふわああああ、すごいお酒の匂いがするう!」
「ここは極楽浄土ですわ! お姉様、いけません、フラフラと離れては護衛失格ですのよ」
「はっ!? 気付いたら足が勝手に。魔性の魅力なの……」
「ふふふ、エアは相変わらずだな」
「うぅ……主ゴメンね?」
「まあこんなところで襲われることはないと思うから、そこまで警戒を強めなくていいよ」
そもそもこれからアルコールを入れるのだから、同じような警戒は不可能だろう。
触らないと分からない虎耳をぐりぐりと撫でると、エアがうひゃあっと声を上げた。
空気中に揮発したアルコールが漂っているのか、呼吸をしているだけで甘やかな薫りがした。
顔をうっとりと蕩けさせているのは、嗅覚が鋭敏なエアとクローシェだ。
人の何倍、あるいは何十倍と優れた鼻が、手間暇をかけて造られた美酒に酔いしれている。
「お兄さん、私に一杯試飲させていただけますか?」
「は、はい。どうぞ」
「ありがとうございます。あら、甘くて水みたいに爽やかで、とても美味しいです」
「そ、そうですか。良かったです。こ、こちらパンフレットとお持ち帰りいただける試供品です」
マリエルが楚々と進み出て試飲を頼むと、ブースに立っていた営業の男が見事に照れていた。
渡の見間違いでなければ、手渡された試供品の数が多い気がするが、はたして気のせいだろうか。
渡としてもその気持ちは分かる。
マリエルたちのような驚くほどの美女を前にして、平静を保てる男はそれほど多くはないだろう。
実際に今も、並べられたお酒よりもマリエルたちに注目している男たちが少なくなかった。
そんな美女たちを引き連れながら、渡自身は積極的には試飲を続けない。
たとえ一口ずつでも、すぐに本格的に酔ってしまうのは明白だった。
「ねえ、アタシにもちょうだい?」
「わたくしにもいただけるかしら?」
「よ、喜んで! 美味しいですよ」
ワタワタと慌てながら、顔を赤くしながら酒杯を差し出す男を前に、エアとクローシェは目をつむって、杯を傾ける。
こくりと音を立てて、日本酒が喉を通りすぎる。
美しい頤が曝け出されて、見ている男たちが酒ではなく唾を飲みこんだ。
「あんまり余計な誘惑するなよ……」
「あら珍しい。ご主人様が妬いてるなんて」
「ウシシ。心配しなくてもアタシは身も心も主のものだって」
「そうですわ。もっと堂々としていてもらわないと」
「……まったく。次のブースに行くぞ」
わざとらしく溜息を吐いた渡の目が笑っていることに、本人だけが気づいていない。
足音も軽く、渡はブースを練り歩いた。
エトガーから連絡が来たのは、その数日後のことだった。
さて、エトガーの連絡の内容とは……?
【作中の呼称について】
以前一度案内していたと思うのですが、地球でご主人様と呼んでたり、渡が自分を俺と書いてたりするのは、表記上のものです。
(そうでないと私ばっかりになったりして、かえって読みづらくなるため)
読者の皆さんは渡さんとか、私とかに脳内変換しておいてもらえると助かります。





