第7話 四つの酒器とエトガーとモイーの反応
王都に訪れるのも久々だ。
ゲートを使えばすぐに移動することができるとはいえ、どうしても渡としては大阪か、本拠地である南船町での活動が中心になる。
王都は市民が暮らす地域と、貴族が暮らす地域で大きく分割することができる。
城壁によって分断されたその貴族街を、渡たちは歩いていた。
今回は見栄を張る必要もないため、高価な貸し馬車は利用していない。
平民街との大きな違いは、一つ一つが屋敷として立派な構えをしていることと、いわゆる商店としての構えをした店がないことだ。
「基本的に貴族は自分が足を運んで店まで行きませんからね。御用商人が訪問に来ますし、頼みたい商品があれば、職人も呼び寄せます。お店側も店舗に敷地を割くよりも、その分倉庫を拡張しているんでしょう」
「俺とは別世界だな」
「ご主人様も、その気になれば入ることはできると思いますよ」
「勘弁してくれ。貴族には貴族の苦労があるんだろう。マリエルの話を聞いたり、モイー卿の過ごし方を見てたら、俺には真似できないよ」
渡としては貴族の責任を負うつもりはない。
責任に見合った諸々の特権に魅力がないか、と問われれば悩ましいところだが、それ以上に自由が利かなくなることを嫌ったのだ。
「さて、王都で待ち合わせることになったが……めちゃくちゃ立派な屋敷だな」
「公爵家は王都でも広い敷地を持っていますからね」
「手練れの臭いがする」
「さすがに武闘派のローゼン家、油断できませんわね」
ローゼン家の屋敷は、貴族街の中でも王城に近い中心部にあり、その大きさ、立派さも準じたものだった。
立派な門構えの前には、鍛えられた兵士が直立不動で立っている。
渡たちが名を告げると、すでに申し送りされていたのか、すぐに中に入ることができた。
応接間に案内されると、広い空間が広がっていた。
貴族ともなると人と会うことが仕事の大半を占めるのか、モイー卿でも同様だったが、とにかく応接間が広く立派だ。
広々としたテーブルや椅子も素材と装飾にこだわっていて、見て美しく触って心地いい。
壁には絵画が飾られていたり、彫刻などの芸術品が並べられたりと、来たものの目を楽しませようと配置されている。
応接間にはモイー卿と話している背の高い男がいた。
エトガーだろう、と一目で分かった。
明らかに覇気がある。
サラサラの金髪に鋭い目つき、顎髭が豊かで、胸辺りまで長く伸ばしているのが特徴だろうか。
骨格が太く、とてもよく鍛えられていた。
キラキラとした刺繍の施された原色に近い派手な服装は、やはりこの国の流行りなのだろうか。
渡の一張羅はもう近々出来上がるはずだが、まだ完成していない。
今日もスーツ姿とはいえ、この国では地味な色合いだった。
エアとクローシェが従者然とした佇まいながらも、周りを静かに警戒していたが、モイー卿との繋がりができた今、何の繋がりもなくモイー卿のもとへと訊ねたときほどの緊張感は感じられない。
「公爵、はじめまして。モイー卿の御用商をしております、渡です」
「お前がワタルか。なんでもモイー卿に珍しい商品を卸しているらしいな。今日は良い取引になることを我輩も願ってるぞ」
これまで何度も訓練や戦場で叫んで鍛えられてきたのだろう。
とてもよく響く声だった。
ビリビリと体に声が響く。
「我も貴様の出す物を楽しみにしている」
「ご期待に応えられるか分かりませんが、精一杯の品をご用意しました」
「失礼いたします」
渡が頭を下げたのに合わせて、マリエルが一歩前に出る。
それまでクローシェが運んでいた荷物を受け取ると、一つずつテーブルに並べ始めた。
「公爵はお酒を好まれるということで、それに合わせた品をご用意しました。まずは器からです。漆器、銀器、錫器、銅器の四種類をご用意しました」
「ほう、これは素材も形もまったく違うのだな。どれも美しいではないか」
「おい、ワタル。貴様我の時よりも種類が豊富ではないか!」
「ふふん、なんだ、卿は一つだけか!」
エトガーは並べられた四つの酒器に興味深そうに眺めた。
モイーは自分よりも種類が豊富な所がお気に召さないらしい。
「モイー卿は好みがまだ予測できたので、それに合わせた物をご用意出来ました。公爵は残念ながら、細かい情報を得られませんでしたので、苦労してかき集めてきたのです」
「左様か……くそぅ、羨ましい……我もほしぃ……!」
まったく子どもかよ。
やっぱりモイーはモイモイーって感じ。
そのなんとなく雰囲気が分かってきたぞ。
心の中で不満は押し殺して、渡は酒器の説明に入る。
「こちら漆器です。光沢のある美しい杢目をご覧ください。ただ木を刳りぬいたのではなく、表面に漆と呼ばれる特殊な樹液を何層にも重ねて塗り上げています」
「素朴なだけかと思えば奥が深いのだな。ふうむ、温かな印象よな。整った杢目は年輪そのものか」
「はい。中心部を取るために、一本の木から作れる量はわずかになります」
「かなり気に入ったぞ!」
「我は微妙だな。やはりエトガー殿とは感性が合わぬ」
「ふん、物事の本質が見えない派手好きの戯言だな」
放置しておくと言い争いを始めそうだ。
本来なら渡を守るために臨席しているはずなのだが、これではどちらが面倒を見ているのか分からない。
「続いて説明させていただきます。銀器です。銀の表面を叩く鍛金、彫りぬく彫金といった技法を用いて、見た目の繊細な美しさを作り出しています。銀器によるお酒は、器の成分により味が向上すると言われており、酒飲みが愛用する逸品です」
「ふうむ、銀の食器は我が家にもあるが、この見た目は独特だな! 態と滑らかではなく、模様をつけているのか。内側は磨き上げられていて顔が映るほどではないか!」
「はい。職人によっては先ほどの漆を塗ったり、他の合金を貼り合わせたりもするようですが、今回は銀だけを用いたものを用意しました」
しみじみと観察しているエトガーは感嘆の声を上げた。
横で見ていたモイーは腰を浮かび上がらせて、目を爛々と輝かせて銀器に見入っている。
「ワタル! これは我も気に入ったぞ! とても良い器だな!」
「……モイー卿。この度は公爵との商談ですので、そのように求められても、お応えできません」
「くっ! おい、どうせ君は興味がないんだろう!? 我が引き取っても良いがッ!?」
「いや、これは表面の荒々しさ、素朴さがなかなかに趣深い。モイー卿には悪いが、気に入った」
「ぐぬぬぬぬぬっ!?」
獰猛な犬のような声を上げながら、モイーが悶えている。
力づくで手に入れることができるほどの力関係はない。
だが、欲しい。そういった強烈な欲求が分かる態度だった。
エトガーはそんなモイーを愉悦を感じさせる愉しそうな目で見つめている。
この二人、なかなかいい関係だよ。
あまり深く関わり合いになるべきではない。
渡は次の紹介に続ける。
「次が錫器でございます。こちらの錫を用いた金属は軟らかく、口あたりがとても良いだけでなく、お酒のアタリを軟らかくしてくれます」
「手に持つと冷たいな」
「はい。錫は熱の伝わり方が早く、お酒を冷やして飲むのに優れています」
「これも加工が美しい! 美しいぞ!!」
「卿よ。悪いがこれも我輩は気に入ったのだ」
「くっ……」
大阪の錫器は江戸時代から続く、堺打ち刃物などと並ぶ大阪の伝統工芸品の一つだ。
日本の錫器の約七割を製造していると言われている。
今回は表面を叩いて凹凸を作る鎚目打ちと呼ばれる装飾を施されたものを用意した。
「最後に銅器でございます。銅器は先ほど紹介した錫を混ぜたり、銀を混ぜたりしても使え、その素材によって色合いを驚くほど変える素材です。今回はその中でも、銅だけで作った純銅製の酒器を用意しました。深い藍色はどのお酒の色にも合うことでしょう」
「渋く落ち着いた色合いだな。この中では一番我輩の好みに合致している!」
「結局全部気に入ってるのではないか!」
「ふははは、商品が良いのだ! 許せ!」
銅器も熱伝導性の高さが大きな特徴だ。
金属の中では抜群に熱の伝わり方が早く、さらに均等に伝わっていく。
料理人がフライパンなどの調理器具に銅製品を使うのは、この熱の伝わり方によるものが大きい。
「おい渡! 我にもないのか!!」
「…………申し訳ございません。ご用意できるのはこの一点のみになります」
「ぬわああああ! バカなっ! こんなバカなことがあるか!!」
悶絶するモイーには悪いが、渡は砂糖などとは違って、大量に販売するつもりはなかった。
希少だからこそ人は価値を見出す。
世界に一つと、二つとでは意味合いがまったく異なるのだ。
「さて、お酒好きということで、酒器をご用意させていただきました」
「うむ、たしかに珍しい素晴らしい物ばかりだ。吾輩も色々な器を持っているが、どれも見たことがない」
「ありがとうございます」
しかしモイーには悪いが、この場にいてくれて良かった。
蒐集家にとって、他の誰かが苦しむほどに欲している、という反応ほど、独占欲を刺激するものはないだろう。
ある意味でもっとも強力な支援をしてくれていて、別の機会にお礼をしなければならないな、と渡は思った。
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