第23話 ヴォーカルの店
ヴォーカルの店主たちの評判は上々だった。
夢中になって試供品を食べつくしたのだから、魅力は十分に伝わっただろう。
あとは条件を交わして、取引を契約するだけ。
その状態になって、渡は考えていた価格を伝えた。
五〇〇グラムの袋一つで、銀貨が五〇枚。
日本円にしてざっくり五〇万円だ。
砂糖に比べれば非常に安価な価格だったが、それでも店主はビックリしていた。
「た、高いな……! そんなにするのか。この量でどれぐらい使えるんだい?」
「おおよそですが、小麦粉二〇〇に対して一〇から五グラムぐらいですね。作る料理によって微調整は必要です」
「なるほど、それぐらいで済むのか。となると高級菓子として使用するならなんとか採算は取れるか」
金額については事前にマリエルと相談をしておいた。
貴族向けに販売する砂糖は、あくまでもウェルカム商会の看板と販路があってのもの。
平民でもなんとか購入できるギリギリの金額を考えつつ、利益も得るための価格を悩みながら設定した。
それでも非常に高額なのは確かだが、もともとお菓子は非常に高級な食べ物だったことを考えれば、許容範囲内だろう。
店主はしばらく考えていた。
思ったよりも反応が渋く、心配してしまう。
いけると踏んでの交渉だったが、難しかったか。
渡としては、可能な限り足で稼ぐような営業は避けたかった。
時間が経てば経つほど、日本での活動に支障をきたすことになる。
メールの返信すらまだしていないが、受注の依頼は今も確実に溜まっているはずだった。
「どうでしょうか。私たちがこのパウダーを販売しているのは、この国ではこちらだけです。今ならばどこよりも早く出せる優位性を確保できますが」
「うーん、だがなあ。研究に使って、実際に商品として出すとしてどれだけ売れるか……売れなかったら投資とはいえ大損をこくことになるし。すぐさまハイとは言えないよなあ」
「親父、馬鹿なこと言うなよ」
渡がここは諦めるべきか、と思い始めたところ、跡継ぎであるヴォーカルの息子が後ろから口を挟んだ。
彼の料理人の一人として、思うところがあったのだろう。
店の経営が順調か不調かで一番影響を受けるのは、跡継ぎである息子の方だ。
「たしかに失敗もするだろうけど、他所の店がこんなクッキーを出してみろよ、オレたちの店なんてあっという間に客を奪われちまうぜ! 後から慌ててこの人に売ってもらっても、評判は戻ってこないんだ! これはチャンスだ!」
「お前……だが……」
「それに料理人として一番美味しいものを作るって誇りはどこにやったのさ! オレはいやだぜ! こんなうめえもんを知ってるのに、挑戦をやめるなんてできねえ!」
「そ、それは……! ええいっ、くそ、分かったよ。俺も腹を括る。だが、お前も口を出したからには、絶対に完成品を作るぞ!」
「おうっ、当たり前だよ!」
息子の気迫に熱が移ったのか、店主の表情に覚悟が宿った。
意外な援護射撃に助かった形だ。
試供品のクッキーを家族にも食べてもらっていて本当に良かった。
店主一人だったら、このままお流れになっていてもおかしくはなかっただろう。
「いくら購入なさいますか。こちらは一〇袋までは用意しています」
「買うなら全部買うよな、親父」
「ああ。金貨五枚か……。少し待ってろ」
個人経営の店舗が売上でなく、稼ぎを金貨五枚稼ぐのはとても大変だ。
一人前の職人の年収がおよそ同額なのだ。
流行っている店だから出せないことはないだろうが、たしかにこれで失敗すれば大損になるだろう。
渡も元々はある程度流行っていてお金がありそうだからこそ、交渉を持ちかけたが、店主は相当な覚悟がいったはずだ。
大切に仕舞ってあっただろう金貨袋を取り出してくると、渡に丁度五枚を渡した。
お金と引き換えに、エアからベーキングパウダーを渡してもらう。
契約書を取り交わし、ひとまず一月後に再訪を約束した。
ゲートのおかげで次回から訪れるのは気軽にできそうだ。
「それでは、また寄らせていただきます。完成を楽しみにしていますね」
「おう、その時はあんたもお得意様になってくれよ」
「もちろんです。どんな料理が出てくるか、本当に待ち遠しいですよ」
ケーキ、クッキー、パンケーキなどの洋菓子には使い勝手のいい素材だ。
白砂糖こそ使わないだろうが、その甘さをどうやって補うのか、どんな素材と組み合わせて作るのか、今から本当に楽しみだった。
ヴォーカルが王都でもっとも有名な洋菓子店となるのは、しばらく先の話。
店主はうちは軽食屋なんだが、と頭を抱えたという。
〇
営業活動を終えて、渡たちは王立学園に向かっていた。
もはやコンプレックスを解消したマリエルは、貴族の装いを求めることなく、自分の持っている服装で訪れるつもりらしい。
渡としても貸衣装と馬車代は馬鹿にならない出費だったから、そちらの方が良かった。
王都を走る寄り合い馬車に乗って、四人で移動を始める。
寄り合い馬車は王都をゆっくりと巡回していた。
地下鉄というよりはバスがもっとも近い乗り物だろうか。
二頭のヒューポスが馬車を牽き、客は一二人が乗れる。
ガタガタと車輪が音を立てて走る中、マリエルがおずおずといった様子で、渡に問いかけた。
「ご主人様、どうして今回は商会やギルドを通さずに、個人店舗に商品を卸したのですか? 普通に考えれば、砂糖と同じようにどこかの商会に任せてしまった方が、圧倒的に手間が少なく済んで、儲けも大きいと思うのですが」
「それだとどうしても貴族向けになりそうだったからなあ。儲けが大きいのは良いけど、俺としては一般人にも手が届く範囲で喜ぶ人が増えてほしかったんだ」
「なるほど。あのお店を選んだのは、他にも理由がありますか?」
「いや、王都で購入してくれそうで、美味しい店ならどこでもよかった。あの店が評判を呼んで、需要が高くなれば、そこから他の店にも卸すつもりだ」
「ご主人様は以前に珈琲についても個別に販売する予定でしたものね」
「ああ。俺自身が平民だからか、特権階級だけが美味しい思いをするより、皆が楽しめるようになって欲しいんだ」
稼ぎだけを考えるなら、間違いなく貴族相手に商売をした方が良い。
だが気難しさや横暴さに直面するかもしれず、また一つの商会だけを優遇するのも避けたい。
今は渡たちが販売する手間もあるが、この辺りは今後人を雇うなりして解消したいところだ。
話をしている間に寄り合い馬車は目的地である学園前に到着した。
「さあ、着いたぞ。祠についてもっと詳しい話が聞けるといいけど」
魔術師であることを隠していたモーリスだ。
どこまで本当の話が聞けるのか、それには渡たちの聞きだし方が大きく関係してくるだろう。
学園の門を前に、渡はグッと腹に力をこめて、気合を入れた。





