第11話 敗者の末路
(勝った。エアが勝ったのか。つまり、手放さなくて良くなったんだな)
勝敗がついてホッとした、というのが素直な心境だった。
勝った喜びよりも、負けなかったことに対する安どの方が大きい。
それだけ、自分の中にエアの存在が大きくなっていて、失われることが怖かったのだと気づいた。
滂沱の涙を流すクローシェの姿を見ていると、さすがに痛ましい気持ちになる。
もちろん決闘を仕掛けてきたクローシェが悪いのだが、なんというか不憫さを感じさせる子だった。
エアもけっこうキツイことを言うよな。
わざと負けていたなんて、心が折れるぞ。
そう思ってエアを見てみれば、そこには多量の汗を流し、肩で息をする消耗した姿があった。
余裕を見せて圧倒的な勝利を演出していながら、エアもまた追い込まれていたのだ。
ただし、戦闘中はそれをまったく表に出さなかった。
言葉で惑わされたクローシェだけでなく、周りで観戦していた渡たちにも見抜かせないブラフは、勝利への執念によるものだ。
訓練不足の状態でもこの強さ。
今後しっかりと鍛えなおせばどれほどの強さになるのだろうか。
渡はマリエルから飲み物を受け取ると、それをエアに差し出した。
「お疲れ、エア。よくやってくれたな」
「ありがと……」
ふっ、ふっ、と荒い呼吸を続けていたエアだが、グビグビと水を飲むと、ぷはあ、と気持ちよさそうに声を上げた。
荒れていた呼吸がだいぶ落ち着く。
「なあ、エア。このクローシェはお前をずいぶんと慕ってるみたいだけど、さっきの話は本気で言ってたのか。今のエアの姿を見てたら、頭からは信じられないが」
「ううん、あのままマトモにやり合ってたらヤバかったから。本当は圧倒できたら良かったんだけど、ちょっと難しかった。だから動揺させた」
エアはエアなりに、勝利への道を必死に手繰り寄せていた。
負ければ奴隷の身分から解放されると分かっていても、エアは手を抜かなかった。
捉えようによっては卑怯と思われる恐れがありながらも、勝ちを見出していったのだ。
そんなエアを誰が責められるだろうか。
むしろ、そこまでやってくれたエアの姿に、渡はますます信頼を深めた。
「勝つために必要な話だったんだったら、俺は責めないよ。でももう勝負は終わったんだ。この子にとってもショックだっただろうし、フォローはあっても良いと思う。この子の長年の努力を無駄だと誤解させるのは可哀そうだし、それに今後の付き合いにも良くない。エアだってギクシャクしたままでいたくないだろう?」
「……ん。そうする」
エアとしても後味は良くなかったのだろう。
渡の言葉に頷くと、さめざめと泣いているクローシェに近づいた。
「ねえ」
「うっ、うう。お姉さま、申し訳ございません……」
「……やい、負け犬クローシェ」
「だ、だれが犬ですか! わたくしは誇り高き狼、たとえエアお姉さまと言えども侮辱は許せませんわ……」
「ふん、じゃあそんなにメソメソと情けなく泣いてるんじゃない」
エアに言われてクローシェはゴシゴシと目をこすった。
まだ泣いた直後の真っ赤に充血した目だったが、それでもなんとか涙は止まっている。
「さっきはあんなこと言ったけど、あれは動揺させるためだから、全部忘れて。クローシェはすごく強くなってたし、立派な戦士になってた」
「お、お姉さまあああ!? ひどい、ひどいですわ! ひどくありませんか!? わたくしコロッと騙されてしまいましたのよ!」
「ごめんて」
「昔からそうなんですから! お姉さまがクスねたおやつもわたくしが犯人に仕立て上げられましたし」
「そんなことあったっけ?」
「ありましたわ! もおおお! んもおお!」
「牛さんになってる。もー」
「ですから! わたくしは狼ですの!」
「ニャーン」
「それは猫ですの!」
エアと冗談のようなやり取りをして、少し元気が出てきただろうか。
あまりにも打ちひしがれていたから可哀想に思ったが、今ならば多少真面目な話もできるだろう。
渡たちは壁際の控えに移動して、本題へと移ることにする。
「さて、勝負は着いたわけだけど、覚悟はできてるんですか?」
「はわ……はわわわ……。そうでしたわ。わ、わたくし負けてしまいましたのね。か、かくなるうえは好きなようになさると良いですわ」
「いい覚悟です」
「もももも、もちろんですわ! このクローシェ。吐いた唾は吞みませんのよ……ひぃい……」
クローシェの立派な尻尾がくるっと丸まって、小さくなってしまった。
今更ながらにマズい事態になったことを自覚したらしい。
情けない瞳でおどおどと見つめてくる姿は、怜悧な顔とは裏腹に幼く感じさせる。
「それで、ちょっと先に誤解を解いておきたいんだけどね……」
「誤解、ですの?」
「そもそも、なぜ急に決闘を申し込んだんですか? あまりにも手口が強引すぎますよね?」
渡はまず気になっていたことを聞いてみることにした。
どうも対話も成り立たないほど、最初から敵視されているのが不思議で仕方なかったからだ。
そして、クローシェの口から、エアが罠にはまって奴隷に落とされたという噂を聞いたこと。
その罠に嵌めた男こそが渡だと考えたことを告げられて、渡は頭が痛くなった。
奴隷商から購入したのと、奴隷に堕とした相手とでは印象があまりにも違う。
噂で間違った情報を手に入れていれば、そこから推測される景色はまるで違って見えただろう。
渡は自分がただ購入者でしかないことを伝えた。
「はあああああああああああ!? わ、わたくしったらなんて失礼なことを!!」
クローシェの反応は激甚だった。
目を見開き両手で頬を押さえる姿は、ムンクの『叫び』にも似ている。
整った顔が真っ赤になって、涙目になり、プルプルと震える姿は可愛かった。
これはエアがイジメたくなる理由が分かる。
「あー、傷ついたな。悪人と誤解されてすごく傷つきました」
「うわああああ、ごめんなさいごめんなさい!」
「胸が痛いなあ」
「うひいいいい!! お、お許しをぉおおおお!」
「あー、つらい。まさか極悪人扱いされるなんて」
「キャイーン!!」
どんどんと体が前傾して、頭が下がり、土下座に近い座り方になっていく。
丸まった尻尾がプルプルと小さく小刻みに震えていた。
うーん、おバカ可愛い。





