第90話 橋渡し
「それで、俺がここに呼ばれた意味は何でしょうか」
凪の家庭事情がほぼ全て分かった後、一息ついてから博之に問い掛けた。
いきなり話が変わったからか、彼が瞳を僅かに見開く。
「僕や桃花に何も言わないのかい?」
「俺にお二人を責める権利はありません。この状況に助かっているのは事実ですから」
当然ながら、凪の両親である二人に物申したい気持ちはある。
けれど凪のお世話という恩恵に預かっている身として、胸を張れないのも確かなのだ。
自らの立場を明確に示せば、博之が柔らかく目を細めた。
「成程、清二さんの最高傑作と言われるだけはあるね」
「……最高、傑作?」
「旦那様」
「おっとすまない。今のは聞かなかった事にして欲しいな」
「は、はぁ……」
清二に博之が咎められ、悪戯っぽく片目を閉じる。
話の流れ的に海斗の評価な気がするが、流石に最高傑作は言い過ぎだろう。
ちらりと清二を見れば、珍しく視線を逸らされた。
「と、取り敢えず、西園寺先輩の過去を知りたかったのは俺の意思です。ならば、あなた方の目的は別にあると考えるのが普通かと」
一応、話の最初に凪の様子を尋ねられたが、あの程度の事は清二から聞けばいい。
仮に凪のお世話係である海斗の顔を見る為であっても、あまりに理由が分かりやす過ぎる。
本題に入って欲しいと遠回しに告げると、博之が小さく笑んで頷いた。
「その通りだよ。君を呼んだのは他でもない、凪をクリスマスパーティーに誘って欲しいからなんだ」
「クリスマス……。そう言えば、そんな時期でしたね」
既に十二月も後半に入っており、あと少しでクリスマスだ。
とはいえ、生きるのに必死だった海斗にとって、その手の行事は他人事だったのだが。
遠くを見ながら呟けば、どんな反応をすればいいのか分からなかったのか、何とも言えない苦笑を博之が浮かべる。
「いつもなら家で行うけど、今回はここを貸し切ってしようと思う」
「西園寺先輩の家に近い場所で行う事で、来やすいようにしたんですね」
「その通りだ。とはいえ、そう簡単に来てくれるとは思っていない。実際、誘いはしたけど返事は保留にされているからね」
「ああ、そういう……」
少し前に凪から変な質問を受けたが、おそらくあの時に博之からお誘いが掛かったのだろう。
あの日以降の凪は今までと変わらない態度だったので、パーティーの事を考えないようにしているのかもしれない。
「保留にしてくれるだけでも昔より良くはなったが、このままではやはり凪は遠慮するはずだ」
「そこで、俺に西園寺先輩を説得して欲しいと」
「大正解だ」
清二から凪が明るくなったと聞いた事で、博之は今なら関係を良いものに変えられると思ったようだ。
実際、海斗に質問した時の凪の様子は悩んでいるようなものだったので、昔とは少し心境が変わっているに違いない。
それを博之も感じ取ったからこそ、現状を変える最後の一手を彼は海斗に頼んだのだろう。
「それで、どうだろうか?」
「……少し、考えさせてください」
「ああ、じっくり考えて欲しい」
目を閉じて深く深呼吸し、思考を落ち着かせる。
凪の気持ちは詳しく聞いていないが、少なくとも両親を悪くは思っていない。
そして博之と桃花、渚の思いは今日聞いたもので間違いないだろう。
善意ですれ違った仲を修復する為に、今回の件は絶好の機会になるはずだ。
しかし海斗は目を開けて、首を横に振る。
「すみませんが、絶対に参加させると保証は出来ません。俺は、西園寺先輩の――凪さんの味方ですから」
ある意味海斗の上司である博之のお願いに頷かないのは、悪いイメージを持たれるかもしれない。
凪の名前を呼べば、博之達の機嫌を損ねる可能性だってある。
それでも、海斗は凪の一番の理解者でありたいのだ。
少なくとも「仲直りしたがっている」と説得する事だけは出来ないと、毅然とした態度で言い返した。
沸き上がる恐怖に内心で怯えていると、博之と桃花が嬉しそうに顔を綻ばせる。
「それで構わないよ。むしろ、海斗くんには凪の味方をして欲しい」
「これからも、凪をよろしくね」
「は、はい」
名前呼びも含めてあっさりと許され、海斗の方が動揺してしまう。
おっかなびっくりという風に頷けば、話は終わりという風に「さてと」と博之が明るい声を出した。
「長話に付き合わせてすまなかったね。僕達はここで軽く食べて帰るけど、海斗くんは?」
「そう、ですね。すみませんが、凪さんの家に向かっていいですか?」
博之や桃花はともかく、渚に悪感情は抱いていないので、ここで三人に料理を作って仲を深める手もある。
しかし、今は凪の顔を見たかった。
深く頭を下げて意思を示すと、清二が柔らかく笑んで近寄ってくる。
「勿論。後は僕が引き継ぐよ。海斗くん、お疲れ様」
「……出来れば、今度から事前に詳細を伝えてくださいね」
渚が来る前に何となく予想はしていたのでまだ大丈夫だったが、いきなり博之や桃花と話していたら、海斗は怒鳴っていたかもしれない。
心の準備をさせてくれと懇願しても、清二はどこ吹く風だ。
「こういうのはありのままの姿の方が良いと思ったんだよ。流石に今日のような事はそうそう無いから許してくれ」
「絶対にない、とは言えないんですね」
「ははは」
「はぁ…………。失礼します」
露骨に誤魔化されると、これ以上責める気力がなくなる。
盛大に溜息をついて、更衣室へと向かった。
普段着に着替えてホールに向かい、博之達に挨拶して店を出る。
扉を閉めようとすれば「お兄様」と幼い声が耳に届いた。
くるりと振り返ると、先程は殆ど黙っていた渚が店から出てくるのが見える。
「あの、お姉様の事、よろしくお願いします」
急いで出てきたようで、渚は薄着のままだ。
しかし寒さなどおくびにも出さず、彼女は思いきり頭を下げた。
先程までの会話を傍で聞いていたというのに、渚の顔は純粋な凪への親愛で彩られている。
自らを省みない姿に、ちくりと胸が痛んだ。
「勿論だよ。だから、俺と約束して欲しい」
「約束、ですか?」
「ああ。自分は要らないんじゃないか。そういう風に、思わないで欲しいんだ」
「っ!?」
いくら博之や桃花から愛情を注いでもらっていても、凪との仲が拗れている以上、自らを卑下してしまうのは仕方がない。
家族との仲が冷え切っており、暴力と暴言を吐かれた海斗だからこそ、渚の気持ちが少なからず分かってしまう。
はしばみ色の瞳が大きく見開かれ、びくりと小さな体が震えた。
「どうして、それを……?」
「まあ、俺も家で色々あってね。だから、不安になったら店に来て欲しい。休日の夕方なら、俺も働いてるよ」
「あ、ありがとう、ございます。お兄様……!」
凪との関係に悩んでいる両親に、渚の悩みを打ち明けるのは酷だ。
渚とてそれを分かっているからこそ、今までずっと心に秘めていたのだろう。
ならば、多少は気持ちが分かる海斗を頼って欲しい。
美しい黒髪をやんわりと撫でれば、はしばみ色の瞳が潤んだ
しっかり励ましたくはあるものの、この状況では出来ないと悟り、ゆっくりと渚の頭から手を放す。
「ほら、外は冷えるから中に入って」
「はい! お兄様、また!」
「うん、またね」
名残惜し気に海斗の手を見つめていた渚だが、最後は満面の笑みを浮かべて喫茶店に入っていった。
小さ過ぎる後ろ姿を見送り、喫茶店に背を向ける。
「……羨ましいな」
西園寺家には西園寺家の問題がある事など、良く分かっている。なにせ、海斗も首を突っ込んでいるのだから。
それでも親の愛情を知らない海斗にとって、西園寺家の在り方はとても眩しい。
胸に去来する感情を呟き、スーパーへと足を向けるのだった。




