第9話 真っ直ぐな賞賛
凪の晩飯を作る事になって二回目ともなれば、高級マンションへ上がるのにある程度は気後れしなくなる。
前回と同じくエントランスのロックを開けてもらい、凪の家のインターホンを鳴らすと、人形のように整った顔が海斗を迎えた。
「どうぞ、今日の晩飯です」
「ん。ありがとう」
苦いもの以外に嫌いな食べ物はないという事だったので、今日の晩飯は鯖の味噌煮だ。
ご飯用のタッパーと一緒に渡すと、凪がすぐに家の中へと引っ込む。
今日はこれで終わりと思ったのだが、再び玄関の扉が開いた。
「はい。タッパー、返すね」
「あ、ありがとうございます」
カレーや白米が入っていたとは思えないくらい綺麗になったタッパーを返され、驚きに目を見開く。
タッパー等の費用に関しては清二が出してくれるとの事だったので、全く気にしていなかった。
しかし、よくよく考えると返してもらわなければかさばってしまう。
返してくれる律義さと明らかに洗ったであろうタッパーは、正直なところ意外だった。
動揺して返答に一瞬だけ詰まった海斗の内心を正確に見抜いたのか、アイスブルーの瞳がすうっと細まる。
「もしかして、洗わないと思ってた?」
「いや、まあ、その………。すみません」
家の中の惨状からすると、凪に洗い物が出来るとは思えなかった。
明らかに馬鹿にしているので口には出来なかったが、代わりに頭を下げる。
すると凪は意外にも海斗を怒らず、諦めた風に溜息をついた。
「部屋を見たから、そう思われるのも仕方ない」
「助かります」
「でも、料理を作ってくれた人にそのままタッパーを返す程の非常識ではないつもり」
「ぶっちゃけ、洗ってくれて滅茶苦茶助かりました」
カレーや白米のタッパーをそのまま放置していたら、洗う際に大変だ。
そんな事にならず、ホッと胸を撫で下ろす。
普段から挨拶等を返してくれていたので何となく分かっていたが、家の事以外だと凪は非常に礼儀正しい。
それは同時に、片付け等をしないのは何かしらの理由があっての事だと分かってしまう。
話してくれる程の信頼関係は築けていないので、疑問を胸の奥底に押し込んだ。
「それじゃあ手間だとは思いますが、これからもタッパーは返してくださいね」
「ん。分かった」
空になったタッパーを鞄に入れ、凪の家を後にしようとする。
しかし何故か彼女は家に入らず、困ったような上目遣いで海斗を見つめていた。
「何か料理の注文とかありますか?」
「そうじゃない。そうじゃない、けど……」
「はぁ……」
伝えたい事があるようだが、当然ながら海斗には凪の考えは分からない。
何も言わずに彼女の言葉をジッと待っていると、瑞々しい唇がゆっくりと開く。
「カレー、すっごく美味しかった。本当にありがとう。それと、ごちそうさまでした」
「…………そう、ですか」
始めは世話をする人が海斗と知らなかったとはいえ、一度はお世話を断った身で言うのが恥ずかしかったらしい。
ほんのりと頬を赤らめ、眉を下げながら凪が褒めてくれた。
作り手として食べてもらえるのが嬉しいのはもちろんだが、何よりも「美味しい」と言ってくれるのが嬉しい。
それなりに自信はあったものの、まさか面と向かって褒めてくれるとは思わず、反応が遅れてしまった。
ぽつりと呟けば、凪が我慢出来ないという風に海斗に背を向け、扉の奥に引っ込もうとする。
「それじゃあ、またね」
「はい、また明日」
今度はしっかりと言葉を返し、凪の家を後にする。
料理人を乗せるのが上手いなと笑みを零しながら、家路に就くのだった。
それから数日が経ち、すっかり凪に料理を持っていくのが当たり前になった頃。
海斗は一週間に一度の清二への報告をしている。
「ちゃんとご飯を食べてくれてますし、特に問題は起きてません」
「なら一安心だ。本当にありがとう、海斗くん」
「お礼を言われるような事はしてませんよ。俺は俺の役割を全うしているだけです」
頼みを引き受けた身として、手抜きは許されない。例え料理を作って凪に届けるだけだとしても。
また海斗個人としても、凪とほんの少しではあるが会話する今の関係を気に入っていた。
むしろ毎日律儀にお礼を言ってくれる凪に、料理を持って行くのが楽しみになってすらいる。
決して嫌ではないのだと態度で示せば、清二が安堵の溜息を吐き出した。
「確かにそうだけど、凪ちゃんと仲良くしてくれる事にも感謝してるんだ。何度お礼を言っても言い足りないくらいだよ」
「それこそ、清二さんがお礼を言う必要はないと思いますが」
「いいや、言わせてくれ。ありがとう、海斗くん。やはり君に頼んで正解だったよ」
「……そんな言い方をするって事は、清二さんは西園寺先輩に同年代の人と関わって欲しかったんですね」
ハウスキーパー等を雇わず、男子高生が女子高生の家に入ってお世話をするという提案。
結果的に少し変わってしまったが、普通では絶対に有り得ないものだ。
そして凪の普段から人を拒絶する態度からすると、清二の考えがある程度分かる。
ほんの少しだけ踏み込めば、彼の顔がくしゃりと歪んだ。
「ああ、そうだ。海斗くんならとっくに察してるとは思うけど、凪ちゃんは色々と訳ありでね。他人を拒絶してるから、少々強引にでも近い歳の子と交流させようとしたんだよ」
「でしょうね。西園寺先輩は誰とも仲良くしないって有名ですから」
「それに、一人暮らしの事もだ」
「まあ、そうですね。高校生が一人暮らしなんて普通はしませんし、しかも料理や片付け等が出来ないのに許されてるなんて、いくら何でも変です」
「詳細に関しては――」
「探りませんよ。もし俺が知るとしたら、それは西園寺先輩から伝えられた時です」
極論を言うなら、海斗は雇われただけだ。
雇い主やお世話する相手の事情などどうだっていいし、知る必要もない。むしろ、探っては駄目だろう。
なので、海斗は語るに相応しい人が話してくれるのを待つ。
清二の言葉を遮って意思を示すと、深く頭を下げられた。
「本当に、ありがとう」
「お礼なんていいですって。普通の友達とは言えませんが、俺なりに西園寺先輩と関わりますから」
「その言葉だけで十分だよ」
清二の表情がふっと和らぎ、肩の力が抜ける。
気負ったような表情はもう見えない。
「本当は部屋の掃除も海斗くんにして欲しいけど、今の所は様子見かな」
「はい。俺から言うと絶対に拒否するでしょうし、料理を持って行くだけになりそうですね」
凪との約束は料理を持って行くだけで、それ以上の事は拒否されている。
いくら多少は凪と話すようになった海斗であっても「仲も深まったし部屋の掃除をさせてくれ」とは言えない。
清二には申し訳ないが現状を正確に伝えれば、悔しそうにしつつも彼はしっかりと頷いた。
「分かった。それじゃあ何か変わった事があったらまた伝えてくれ」
「了解です」
先は全く見えないが、なるようにしかならない。
不安を抱えるだけ無駄だと思考を切り替え、折角報告しに来たのだからとバイトに精を出すのだった。




