第88話 ようやくの邂逅
「聞きたい事があるんだけど、いいかい?」
渚とある程度深い話をして打ち解けたので、ずっと気になっていた事を尋ねたい。
前置きを口にすれば、渚が可憐な笑みを零して頷いた。
「私に答えられる事でしたら、何でもどうぞ。その代わり、後で私も質問していいですか?」
「勿論。それじゃあ――渚って凄く言葉遣いが丁寧だけど、それはそういう教育を受けたの?」
凪をお姉様と呼んだり海斗をお兄様と呼ぶのもそうだが、渚は言葉遣いがあまりにも大人びている。
幼い容姿を見なければ、少し声の高い高校生だと判断する人も居ると思えるくらいに。
それが西園寺家の教育ならば、凪も似たような言葉遣いになっているはずだ。
不思議に思って尋ねれば、渚が微笑を浮かべて首を横に振る。
「いいえ、これは私が勝手にしている事ですよ」
「……理由を聞いても?」
「大した事ではありません。少しでも追いつきたくて、背伸びをしているだけです」
自らが子供っぽい行為をしていると自覚しているからか、少し恥ずかし気に渚がはにかんだ。
追いつく、という言葉が当てはまるのは、海斗が知る限り一人しか居ない。
勘違いではあるが、嫌われていると思っている人を慕いながらも追いつこうとしているのは、そう簡単な事ではないはずだ。
ましてや、彼女の姉は凄まじい頭脳を持っているのだから。
あるいは、だからこそ渚は精一杯背伸びをしているのかもしれない。
「やっぱり、渚は凄いな」
「そんな事ありません。私よりお姉様の方が凄いです」
「……あの人は規格外だから、比べない方が良いと思うよ」
凪はあの歳で高校生の全ての授業内容を覚え、全国模試で一位を取っているが、それだけではない。
何らかの仕事をしている事からして、大人顔負けの知識を持っているはずだ。
海斗とて釣り合うか悩んでいたので、比べるのが間違いだというのは分かっている。
しかし血が繋がっておらずとも姉妹だからか、どうしても意識してしまうのだろう。
渚が瞳に羨望を浮かべ、苦笑を落とした。
「そういう訳にもいきませんよ。追いつかなければ、いけないんですから」
「……そうか」
凪を追い出したと思っているからこそ、頭で分かっていても考えは変えられないらしい。
強い決意を込めた瞳に、相槌を打つ事しか出来なかった。
話が途切れ、少し重い空気になったからか、渚が「それはそれとして」と弾んだ声を上げる。
「私の番でいいですか?」
「いいよ。まあ、俺も答えられる内容でだけど」
「大丈夫です。お姉様がどんな素晴らしい生活をしているか、気になっているだけですから」
「…………はい?」
満面の笑みで告げられた言葉に、呆けたような声が出てしまう。
固まる海斗へと、渚が僅かに距離を詰めた。
「天才であり一人で何でも出来てしまうお姉様を海斗お兄様は支えているのです。ならば、お二人がどんな生活をしているか気になるのは当たり前じゃないですか」
「あー。そういう事か……」
海斗が凪のお世話をしているのは知っているが、その詳細までは清二から聞いていないようだ。
だからこそ、渚は西園寺家に居た頃の、何でも一人で行う凪を基準に考えてしまった。
もしかすると、渚はかなり優雅で高尚な生活をイメージしているのかもしれない。
同時に、凪を支えている海斗も素晴らしい人だと思っている。
渚の中で妙に海斗の評価が高いのも、それが理由のはずだ。
(言えない……。凪さんが家ではぐうたらだなんて言えない……)
実際は海斗の為にぐうたらでいてくれているのだが、それでも渚にとって家での凪の姿は卒倒ものだろう。
はしばみ色の瞳が輝いている事から察するに、余程話を聞きたいはずだ。
だからこそ、小学生の純粋な思いを壊したくない。
「それでそれで、どのような感じなんですか?」
「……それは俺じゃなくて、凪さんの口から聞いた方がいいかな」
海斗に出来る事は、成長していくにつれて場を誤魔化す必要もあるのだという、遠回しでの教育だけだった。
こんなにも愛らしい少女への対応が情けなさ過ぎて、罪悪感という名の棘が海斗の心にぐさりと刺さる。
あまりにも心苦しくて僅かに視線を逸らせば、渚が「むぅ」と不服そうな声を漏らした。
「確かに、それもそうですね。お姉様としっかり話して近況報告しろという海斗お兄様の意見、しっかりと受け取りました」
「ソ、ソウダネー」
プラス方向に受け取ってくれたのはいいが、渚が純粋過ぎて海斗の醜さが浮き彫りになる。
とはいえ、凪と渚にはきちんと話し合って欲しいという思いはきちんとあるので、彼女の言葉を否定出来なかった。
曖昧な笑みを浮かべて、話を逸らそうと頭を回転させる。
しかし、喫茶店の扉が開いて思考が止まった。
「どうぞ。旦那様、奥様」
入口の方を向けば、清二が恭しい仕草で連れて来た人を店内に招いている。
喫茶店のマスターとはどこか違う、まるで付き人のような姿は驚く程に似合っていた。
そして、海斗の前に見目麗しい男性と女性が現れる。
この二人がどんな存在かなど、清二や渚に問うまでもない。
(この人達が、凪さんの両親……)
外見は三十代くらいか、下手をすると二十代後半だろうか。
とても高校生の娘を持つとは思えない若い姿だが、凪が養子であり渚が小学校低学年な事を考えると、そうおかしな見た目ではないだろう。
男性が綺麗に整えられた黒髪と異性を魅了するであろう爽やかな雰囲気を持ち、女性が栗色の髪を腰まで伸ばした清楚な雰囲気を持っている。
見ただけで高貴さが伺える二人であり、凪と渚の両親だというのも納得だ。
呆然と姿を眺めていると、二人が海斗の傍へ来て柔らかい笑顔を浮かべた。
「こんにちは、天音海斗くん。僕は西園寺博之。よろしく」
「私は西園寺桃花。よろしくね」
「あ、っと……。すみません、天音海斗です。凪さ――西園寺先輩の身の周りのお世話をさせていただいています」
清二が凪のお世話をしていたのは、この二人――博之と桃花に頼まれたからだと聞いている。
ならば、二人は海斗の一番の上司に当たる存在だ。
にも関わらず先に挨拶され、失敗を悟って慌てて頭を下げる。
かなり失礼な事をしてしまったが、博之も桃花も微笑ましいものを見るように目を細めた。
「そんなに畏まらなくて大丈夫だよ。僕は単なるおっさんだからね」
「そうね。私もただのお姉さんよ。堅苦しい接し方をされると困るわ」
「いや、それは……」
博之はおっさんと思えない程に若々しいし、桃花に至ってはお姉さんという発言が冗談か本気か分からない。
頬を引き攣らせて必死に言葉を探していると、博之が桃花へ視線を向けて呆れた風に肩を竦めた。
「桃花。お姉さんなんて言うから天音くんが困っているじゃないか」
「あら? 私をお姉さんと呼ぶのは嫌かしら? 女性は若く見られたいものなのだけれど」
「……その」
「気持ちは分かるし桃花はいつも綺麗だけど、流石に今日は控えてね」
「はぁい」
桃花を窘めているようだったが、いきなり博之が惚気だした。
桃花も桃花で嬉しそうに顔を綻ばせ、頬に手を当てている。
唐突に繰り広げられた甘い光景に絶句していると、カウンターに座っている渚が盛大に溜息をついた。
「お父様、お母様、そのくらいで。海斗お兄様に引かれますよ」
「おや、それはまずい。ありがとう、渚。天音くんに迷惑を掛けていないかい?」
「大丈夫だと思います」
小学生の娘に注意される親、というのも不思議だが、博之も桃花も気にしている様には見えない。
おそらく、家でもこういう雰囲気なのだろう。
これぞ家族という仲睦まじさに目を細めつつ、渚のフォローに入る。
「迷惑なんて掛けられてませんよ。むしろ凄く良い子でびっくりしました」
「そうなの? この子、すっごく天音くんに会うのを楽しみにしてたから、はしゃいでると思ってたわ」
「お、お母様!」
桃花の言葉に渚が頬を真っ赤に染め、余計な事を言うなと悲鳴のような声を上げた。
娘に注意された桃花だが、ころころと可愛らしい笑みを浮かべて渚の声を流す。
「あらあら、恥ずかしがっちゃって。取り敢えず、座らせてもらうわね」
「は、はい。飲み物は――」
「それは僕がやるよ。海斗くんはここに居て欲しい」
「り、了解です」
いつの間にかカウンターにいた清二が、注文も取らずに奥に引っ込む。
渚がカウンターからテーブルの隅に移動し、その横に博之が、その更に隣に桃花が座り、意図していないだろうが三対一の構図になった。
散々揶揄われたからか、それとも話に口を挟むべきではないと思ったのか、渚は仏頂面でココアを飲んでいる。
(ここからが本番だな)
渚が店に来たのは海斗に会うのが目的だろうが、ほぼ間違いなく博之や桃花のついでだ。
となると、これからの会話が海斗にとっての本当の試練となる。
柔和な二人ではあるが、油断しては駄目だと気を引き締めるのだった。




