最終話 ずっと続いていく関係
「卒業生、退場」
体育館にアナウンスの声が響き渡り、最高学年の生徒達が一斉に立ち上がった。
涙を堪える者、毅然とした態度の者など、様々な表情の卒業生達が去っていく。
その中に、銀髪を靡かせた小柄な女性が居る。
「……」
相変わらずの美しい無表情だが、凪はちらりと海斗を見て頬を緩めた。
とはいえその顔には僅かな寂しさが見えており、何だかんだで海斗との高校生活が終わった事を悲しんでいるのが分かる。
勿論海斗の胸にも哀愁が沸き上がるが、唇の端を緩めて見送った。
その後、卒業生の保護者も退室したので、海斗にとっての義理の父と母は凪の元へ向かったはずだ。
出来る事なら海斗も向かいたいが、在校生には後片付けや授業が待っている。
黙々と手を動かしていると「やっほ」と聞き慣れた親友兼妹の声が耳に届いた。
声の方を向けば美桜が柔らかな微笑を浮かべていたが、ほんの少しだけその笑顔が曇っている。
「凪ちゃん先輩、ついに卒業しちゃったねぇ」
「仕方ないさ。そういうもんだ」
凪が一つ年上だという現実が変えられない以上、いつかは訪れる終わりだった。
既にこれからの事も話しているし、あくまで凪との学校生活が終わるだけだと、肩を竦めて寂しさから目を逸らす。
美桜はというと、沈みっぱなしでは気が滅入ると思ったのか、無理矢理普段のへらりとした笑みを浮かべた。
「だね。ま、海斗の家に行けば会えるから、滅茶苦茶ショックって訳じゃないけど」
「今までと同じように一ヶ月に一回泊まりに来てたら、あんまり会う頻度は変わらないもんな」
海斗と美桜が二年生になって、残念ながらクラスが別れてしまった。
とはいえ一年生の時点で海斗と美桜の仲が良いのは知れ渡っていたので、こうして話していても男子からの嫉妬の視線は飛んで来ない。
その理由の一つに海斗と凪が学校でいちゃついていたのもありそうだが、お互いに名前を呼んでも誰も気にしなくなったのは進歩だろう。
「そういう事。海斗もあんまり寂しくなさそうだし、心配は無用だったかな?」
「心配してくれた事は嬉しいけど、割り切りはとっくにつけてるぞ」
「ならよし。というか、どうせ家でいちゃつくから気にしてないか」
「……それもある」
家に帰れば凪が居るのだ。学校で会えなくなった寂しさは埋められる。
分かりきっているという風な悪戯っぽい笑みに視線を逸らしつつも、正直に答えた。
散々海斗と凪のいちゃつきを見て来たからか、美桜の目が呆れたように細まる。
「あれから一年以上経ったけど、ずーっといちゃついてるよねぇ」
「愛情が冷めないのは良い事じゃないか?」
「それは否定しないけど、渚ちゃんも完全に呆れるくらいなのはどうなのさ……」
「仕方ないだろ。凪さんとくっつくのが当たり前になってるんだから」
自らの両親とほぼ同じような事をしているからか、微妙に対応が雑になってきている義妹のじとりとした視線が頭に浮かんだ。
とはいえ凪との触れ合いを止めるつもりはないし、何だかんだで昔と変わらず渚も甘えてくれているのだが。
何も悪い事などしていないと胸を張れば、美桜が盛大に溜息をついた。
「はいはい、ごちそうさま。これからも仲良くしなさいよ」
「勿論だっての。ほら、立ち話してると注意されそうだし、片付けするぞ」
「はーい」
これからも決して変わらない凪への愛情を美桜に誓い、片付けを再開する。
間延びした声を漏らして手を動かし始めた美桜だが、「そうだ」と何かを思い出したような声を上げた。
海斗と視線を合わせたブラウンの瞳は、ぞっとする程に澄んでいる。
「海斗は今、幸せ?」
一年以上も前に言われた「幸せになってね」という妹の願い。
その願いが叶ったのかという確認に、迷う必要などない。
「ああ。幸せだよ」
「……………そっか」
晴れやかな、けれどどこか痛みを押し殺したような笑みを美桜が浮かべる。
気にはなったが、尋ねてもはぐらかされるのだろうなと思いつつ、美桜から意識を外すのだった。
「いやー。お腹いっぱいです」
「私も。もう食べられない……」
学校を終えた海斗は、家に帰ってすぐに西園寺家へと向かった。
そこで凪の卒業祝いとしてのパーティーを行い、海斗達の家に帰ってきている。
すぐに帰ってしまい博之達には申し訳なかったが、二人きりになりたいのを見抜かれたのか、快く送り出されてしまった。
近いうちにもう一度西園寺家に行かなければと思いつつ、ソファに思いきり凭れ掛かる。
すぐに肩へ凪の頭が触れたので、美しい銀髪を撫でた。
「改めて、卒業おめでとうございます」
「ありがとう。海斗のお陰で学校に行くのが苦じゃなくなったし、むしろ楽しかった」
「色々ありましたからねぇ……」
凪と知り合い、そして彼女が卒業するまでの約一年間半、本当に様々な事があった。
勿論、海斗が一年生の時だけではなく、二年生になってからもだ。
体育祭や文化祭という学校の行事。プールや花見等の学校以外でのイベント。海斗や凪の誕生日等、そのどれもが大切な思い出だ。
ゆっくりとこれまでの思い出に浸っていると、凪が海斗の肩から頭を離してこちらを見上げた。
アイスブルーの瞳には、期待と不安が渦巻いている気がする。
「あの、卒業お祝いをもらっていい?」
「明日の俺達だけでのパーティーが卒業祝いって話でしたけど、いいですよ。でも、無理難題はナシでお願いしますね」
「大丈夫。すっごく簡単な事だから」
簡単という割に、凪が口を開いては閉じてを繰り返す。
彼女の言い淀む姿は珍しく、相当言い辛い事だと察せられた。
緊張で心臓の鼓動が弾む中、ゆっくりと小さな唇が言葉を紡ぐ。
「敬語、辞めて欲しい」
「はい?」
「私が年上なのはどうしようもないけど、もう先輩じゃない。だから、畏まって話さないで」
「……そういえば、敬語の話って随分前にしましたよね」
既に凪は卒業し、上下関係というものは無くなった。
だからこそ、これを切っ掛けに敬語を無くして欲しいのだろう。
そもそも、元々凪は敬語で話さなくてもいいと、かなり昔に言っていた。
しかし単に慣れたからと、海斗が頑なに敬語を付けていたのだ。
良い機会なのだからと、微笑を浮かべて頷く。
「了解です。なら、いきますよ」
「う、うん」
海斗があっさりと承諾したのが意外だったのか、凪が目をぱちくりとさせた。
しかし瞳は期待に彩られており、今か今かと敬語が外れるのを待ちわびている。
こんなにも期待されると緊張するのだが、それでも口を開いた。
「これからもよろしく、凪」
「うん……。うん……!よろしく、海斗!」
歓喜に彩られた凪の顔を見て、これで良かったのだという実感が沸き上がってくる。
余程嬉しいのか、凪が目尻に涙を浮かべて抱き着いてきた。
「大学生になっても、社会人になっても、おばあちゃんになっても、ずっと一緒だよ!」
「ああ。何があっても一緒だし、絶対に離さないからな」
お願いされたお世話係から始まった歪な関係は、新たな変化を迎えたのだった。
「ん……」
電子音が鳴り響き、海斗の意識を無理矢理覚醒させる。
重い瞼を開ければ、いつもの如く胸に愛しい妻が引っ付いていた。
社会人になっても未だに学生と間違われる程の美しい外見であり、無垢な子供のような寝顔も昔から変わらない。
ずっと寝かせてあげたいが、心を鬼にして華奢な肩を揺さぶる。
「凪。起きてくれ」
「…………う゛ー。や゛ー」
「やーじゃないっての、ほら」
「いーじーわーるー」
駄々を捏ねる凪への対応も慣れたもので、文句を言われながらも凪を引き剥がした。
渋々ながらも彼女は起き上がり、眠たげに目を擦る。
「うぅ、おはよぅ、かいと」
「おはよう、凪」
「ふわぁ……」
大きな欠伸を隠す仕草すら見せないのは、油断しきっているからだろう。
そんなだらしない姿も、相変わらず好きなのだが。
欠伸の後に背伸びをした凪が、無防備に海斗へと手を広げる。
「着替えさせて」
「はいはい」
ぶかぶかのシャツを掴み、思いきり引っこ抜く。
シミ一つない肌や鮮やかな下着がばっちりと見えてしまったが、もう慣れたものだ。
それでも海斗の心臓の鼓動を乱すくらいには色っぽく、襲いたくなってしまう。
流石にそんな事をしている余裕はないので、クローゼットから凪のシャツを取り出して着させた。
「よし。後は自分で出来るよな?」
「んー」
曖昧な返事を漏らした凪が、ふらふらと覚束ない足取りでクローゼットへと向かう。
いつ頃からか忘れてしまったが、凪がこうして海斗に着替えさせるのが当たり前になった。
とはいえ海斗には朝食の準備もあるので、流石にシャツだけに留めてもらっている。
それでいいのかと以前尋ねたが「シャツだけでも幸せな気分になれる」と言っていたので構わないらしい。
昔よりもだらけ具合が上がった気がするものの、ついつい許してしまうのは惚れた弱みだろう。
凪の様子を見つつ彼女の自室から出て、海斗もさっと準備をする。
朝食を作り終える事には、しっかりと目が覚めた凪が居た。
「「いただきます」」
手を合わせた後は黙々と朝食を摂り、片付けと戸締りを済ませる。
二人で玄関に向かった所で、後ろに居る凪の方を向いた。
何も言わず瑞々しい頬に手を添えると、凪が艶やかに笑んで目を閉じる。
「「ん……」」
家を出る前に交わす、お決まりの口付け。
たったこれだけでも体に力が漲った。
凪も同じなのか、端正な表情はやる気に満ちている。
「それじゃあ、今日も頑張るか」
「ん。サポートお願いね」
「勿論」
愛しい妻との人生は、これからも続いていく。
完結まで読んでいただき、ありがとうございました!
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後日談、もしくは次の作品をどこかで見かけたら読んでいただけると嬉しいです。
改めて、本当にありがとうございました!