第11話 文化祭開始
あっという間に九月末となり、文化祭が開催された。
秋の空気で涼しくなった校内が生徒の盛り上がりで温かくなる中、海斗はのんびりとぶらついている。
「はー、これが文化祭なのか。皆頑張ってるなぁ」
高校生活で初めての文化祭に心は多少動くが、どうにも熱中出来ない。
海斗のクラスが展示だけで終えたのも理由の一つだが、一人で盛り上がっても虚しいだけだという思いが大きい。
そうして僅かな疎外感を感じながら特に目的地もなく歩いていると、気付けばいつもの場所に足を運んでいた。
「文化祭でも図書室はやってるのかねぇ」
一人であちこちまわる気はないし、ここで時間を潰してもいいかもしれない。
そう思って扉に手を掛けて引くと、鍵は掛かっておらずあっさりと開いた。
中を覗けば、意外にもちらほらと人が居るのが見える。
「こんにちは、休憩しに来たのかな?」
近くのカウンターに座っている女性教師と目が合うと、にこりと微笑まれた。
昼休みに来ると偶に居たので、まともな会話をした事はないが顔合わせは初めてではない。
だからなのか、彼女も普段通りの落ち着いた態度だ。
「ですね。時間制限とかあるんですか?」
「そういうのはないけど、飲食は駄目だし、はしゃぐのも駄目だよ。それに文化祭だから名簿に記入してもらうけど、それでもいいならどうぞ」
「勝手に入られたら困りますから、仕方ないですよね。それじゃあ遠慮なく休憩させてもらいます」
文化祭なのだから閉めるべきだと思うが、おそらくは海斗のように盛り上がれない人の為に開けているのだろう。
とはいえ最低限のセキュリティとして、入室確認用の名簿は作らなければならなかったらしい。
記入するだけで文化祭の喧騒から逃れられるなら安いものだと、名簿に名前を記入する。
その中に、見知った名前を見た。
(今日も来てるんだな)
彼女の性格なら有り得る事なので驚きはしない。
すぐに名簿へ名前を書き終え、もはや定位置と化している場所へ向かう。
日当たりの良いテーブルには、いつもと同じように凪がいた。
「どうも」
「ん」
お馴染みの挨拶を交わし、凪の右斜め前に座る。
普段なら昼の陽気と昼食後の満腹感ですぐに眠気が来るのだが、残念ながらまだ文化祭が始まって一時間程度しか経っていない。
眠れるはずもなく、何とはなしに凪を見つめた。
すると彼女は読んでいる本をパタリと閉じて、海斗へ硝子玉のような瞳を向ける。
「文化祭、見に行かないの?」
凪の晩飯を届け始めて約三週間くらいが経つ。
そのお陰で、凪との会話はスムーズに出来るようになった。
だからなのか、それとも昼休みと違って時間がたっぷりあるからか、今は話をしたい気分らしい。
「一人で見たいものなんてないですよ。こうしてのんびりしてる方が性に合ってます」
「そう。クラスの出し物は大丈夫?」
「展示だけなので特にする事はないですね。念の為に交代で教室に待機する事になってますが、俺の番は一般開放の明日なので、今日は本当に何もないですよ」
流石に展示しっぱなしという訳にはいかず、監視目的で教室に居なければならないが、それもたった一時間程度だ。
しかも今日の当番ではないので、本当に手が空いている。
他人に興味など無い凪が心配してくれた事に、頬が緩んでしまった。
「西園寺先輩の方は大丈夫なんですか?」
「私も天音と同じようなもの。だからこうしてる」
「なら大丈夫そうですね。ちなみに、今日はずっとここに居るつもりですか?」
「そのつもり。あんな陽キャ達の中に突っ込みたくない」
余程嫌なのか、端正な顔が苦々し気に歪む。
凪の気持ちは非常によく分かるが、静かで大人しい雰囲気の彼女の口から「陽キャ」という言葉が出ると思わなかった。
こういう所は普通の女子高生なのだなと、小さく笑みを零す。
「なら、俺にも読めるような本は何かありませんか? ずっと寝るのは無理ですし、時間を潰したいんです」
「………そういう事なら、はいこれ」
海斗が本に興味を示した事がなかったからか、凪が目を丸くして見せた。
しかしすぐに無表情へと戻り、傍に重ねてあった小説を差し出してくる。
ほぼ間違いなく、図書室に引き籠る為に何冊も持ってきたのだろう。
図書室の中の本ではなく、まさか凪の私物を手渡されるとは思わなかった。
「いいんですか?」
「天音ならいい。大事にしてね」
「もちろんですよ。ありがとうございます」
突然大きな信頼をぶつけられ、どくりと心臓が跳ねる。
必死に動揺を押し殺してお礼を言うと「そう」とだけ零して凪が再び読書に戻った。
「…………俺も読むか」
美桜に凪と、美少女からの信頼の言葉に弱い自分に苦笑を零す。
気持ちを切り替え、折角の読書なのだからと真剣にページを捲り始める海斗だった。
「……ん?」
凪が渡してくれた本に熱中していると、ふと斜め前から小さな音が鳴った。
顔を上げれば、雪のように白い頬が僅かに赤く染まっている。
「ぅ……」
「もういい時間ですからね。腹だって減りますよ」
恥ずかしそうに顔を俯ける凪が可愛らしく、海斗の唇が弧を描いた。
時刻を確認すれば、時計の針が真上近くに来ている。
集中して読んでいたからか、凪の腹の音でようやく海斗も空腹を自覚した。
「西園寺先輩は昼飯どうするんですか?」
「………………どうしよう」
「考えてなかったんですか……」
事前にパンでも買っておけば良かったのかもしれないが、図書室は飲食禁止だし、当初は出店の物を食べるつもりだったのかもしれない。
しかし図書室から出たくない思いが強すぎて、昼飯の事が頭から抜け落ちてしまったのだろう。
心底困ったように眉根を寄せる姿に庇護欲がそそられ、何とかしたいと席を立つ。
「俺が何か買ってきましょうか?」
「でも……」
「いつも晩飯を届けるのと同じようなものですし、本を何冊も持ったままうろつく訳にもいかないでしょう?」
「それは、そうだけど」
「図書室の裏なら人は殆ど来ないでしょうし、そこで食べてください」
「え、あ……」
嫌というよりは申し訳なさそうな凪に笑みを向けて、図書室を後にする。
これは海斗のお節介であり、凪が気に病む必要はない。
仮に気が変わって食べたくないと言うなら、海斗が全て食べればいいだけだ。
出店へ向かい、まずは海斗の分の昼飯を買う。
定番のたこ焼きやフランクフルトを急いで腹に詰め、次は焼きそばの店へ向かった。
以前作った焼きそばは凪に好評だったので、これならば大丈夫だろう。
一パックだけ買って図書室に戻れば、入口の扉から少し離れた場所に凪が居た。
「わざわざ外で待たなくても良かったんですよ?」
「ご飯を持ったまま図書室に入っちゃダメ。なのに私をどう呼ぶつもりだったの?」
「……それはまあ、何とかして、ですね」
海斗は凪の晩飯を任されているが、彼女の連絡先は知らない。
なので仮に凪が図書室の奥に居たままなら、呼び出す手段が無かった。
出来る事があるとすれば、受付をしていた教師に凪を呼び出してもらうくらいか。
凪の座っているテーブルに行ってくれるならまだしも、声を張って呼ぶと彼女は嫌がるだろうし、周囲に海斗達の関係を詮索される可能性があるので、実行には移せないのだが。
人の事は言えないなと、抜けていた気恥ずかしさに頬を掻く。
すると、何故か凪が嬉しそうにほんのりと目を細めた。
「天音も詰めが甘い時があるんだね」
「そりゃあそうですよ」
珍しい凪のからかいに、海斗の胸がざわめく。
沸き上がる羞恥を押し込めて視線を逸らしながら答えると、小さく頭を下げられた。
「でも、わざわざ買ってきてくれてありがとう。お金は後で払う」
「別に奢っても良かったんですけど、そう言うなら。ああ、俺は食べて来たので本は預かりますよ」
「ん。お願い」
凪に焼きそばを手渡し、彼女が持っていた数冊の小説を受け取る。
多少仲良くなったとはいえ、図書室の裏で一緒に昼飯を摂るつもりはない。だからこそ急いで昼飯を腹に詰め込んだのだから。
後は文化祭の終了まで時間を潰すだけだと凪に背を向け、図書室に入るのだった。