第103話 洗濯物
日が傾くくらいまで凪と穏やかな時間を過ごして立ち上がれば、彼女がきょとんと首を傾げた。
「何かするの?」
「え? いつも通り掃除しようかと」
「一応清二さん待ちだけど、もう海斗は私のお世話をしなくてよくなったんだよ?」
「それはそうかもしれませんが、俺が掃除しないと落ち着かないんですよ」
凪の言う通りお世話係に固執する必要はないが、もう海斗は凪の家を掃除するのが当たり前になっている。
ただの自己満足だと肩を竦めながら伝えると、澄んだ蒼の瞳が申し訳なさそうに揺れた。
「それならいいけど、私も手伝おうか?」
「大した手間じゃないですし、平気ですよ」
普段から小まめに掃除しているお陰で、凪に手伝ってもらう必要がない程に部屋は片付いている。
また、以前のように凪がご褒美目当てで海斗の手伝いをする理由もなくなった。
その証明の為に軽く凪の頭を撫でれば、彼女がふにゃりと緩んだ笑顔を見せる。
「ん、分かった。でも、服を畳んだり洗濯物を干す時は自分でやる」
「もしかして、恥ずかしくなったんですか?」
昨日は昼間に掃除を終わらせており、凪が好意を自覚してから彼女の服に触っていない。
そして自覚したからか、海斗に触らせたくなくなったのだろう。
ここまで来るのは長かったと感慨深く思いながら尋ねると、真っ白な頬が朱に彩られた。
「ん。……海斗はずっと前から、こんなに恥ずかしかったの?」
「そりゃあもう。お世話係なのでやるのは構わないですし、凪さんが許可したから頑張りましたが、普通の事じゃないですからね?」
凪に好意を抱く前から、彼女の服や下着を触る事に関して海斗は散々確認を取っていた。
ようやく遠慮なく言えるので、少し揶揄いつつ苦笑する。
すると、柔らかそうな頬の赤みが濃くなった。
「う。ごめん、なさい」
「いやまあ、謝る必要はないですよ。何だかんだでお互いに必要な事でしたし」
「でも、その……。下着触るの、嫌じゃなかった?」
「…………お世話係としての建前と、一緒にいる男としての本音、どっちがいいですか?」
耳まで真っ赤にした凪の問いに、心臓が早鐘のように鼓動し始める。
とはいえ最初から全力で感想を言うのは凪に悪いだろうと、選択権を与えた。
華奢な肩がびくりと震え、居心地悪そうに身じろぎした後、おずおずと凪が海斗を見上げる。
「本音」
「異性として意識している人の下着ですよ? 嫌な訳がないですし、むしろ嬉しかったです。……何か変態っぽくなってしまいましたね」
「はぅ……」
発言としてはグレーどころか真っ黒なので、多少は怒られると思っていた。
しかし凪は耐えられないという風に頬を両手で抑え、顔を俯ける。
羞恥に悶える姿が愛らしくて、もっと弄りたいという欲望が沸き上がってきた。
「少し前までは風呂から上がった後の下着も用意してましたからねぇ。それってつまり、凪さんの着けてる下着が分かるって事なんですよ? そりゃあもう理性に悪過ぎました」
「あぁぁぁ……」
「因みに、凪さんがどんな下着を持ってるか、ほぼ全部把握してますから」
「も、もうやめてー!」
凪が悲鳴を上げて立ち上がり、自室へと走っていく。
ぴしゃりと扉が閉まり、扉の向こうから何を言っているか分からないくぐもった声が聞こえてきた。
おそらくベッドに顔を押し付けて悶えているのだろうが、流石にやり過ぎた気がする。
追い打ちをかけるかもしれないが、確認を取りたくて凪の自室をノックした。
「すみません、ちょっと調子に乗り過ぎました」
反応する余裕がないのか、それとも海斗の弄りに怒ったのか。何にせよ、扉の向こうから反応は返ってこない。
失敗したかと溜息をついて扉から離れようとすると、軽い足音が耳に届いた。
緊張で心臓の鼓動が弾む中、ゆっくりと目の前の扉が開いていく。
半分だけ見えた美しい顔は、火傷しそうな程に赤かった。
「……これから、海斗は私の服に触るの禁止。洗濯物も自分で干す」
「了解です。因みに、怒らないんですか?」
「私が何にも考えずにお願いしたのが悪いから、怒るつもりなはい」
どうやら、異常だった服の管理はお咎め無しのようだ。
普通ならば激怒してもおかしくないのに、こういう所は冷静らしい。
流石にこれ以上弄る気は起きず、素直に頭を下げる。
「ありがとうございます。でも、洗濯物で一つ相談がありまして」
「何?」
「俺も洗濯したいんですよね。いいですか?」
「勿論。遠慮しないで使って。相談ってこれだけ?」
話が変わったと思ったのか、凪がきちんと顔を出して無垢な顔で首を傾げた。
少しだけ頬から熱が引いたようだが、まだまだ落ち着くには早い。
許可が出たのだし、避けられない問題は先に伝えておくべきだ。
「いえ、まだありますよ。俺も使っていいなら、洗濯物も増えるんですよね。どっちが干しますか?」
「それって、海斗の下着も、だよね?」
「はい。流石に洗濯物しないと持ちません」
清二から許可が出た事もあり、おそらく海斗は凪の家に冬休みの間ずっと居る事になるだろう。
泊まる用意をしてきたといっても、せいぜい数日程度だ。
洗濯しなければ、着る服も下着もなくなってしまう。
凄まじい頭の良さであっさりと正解に辿りついた凪に頷けば、再び彼女の頬に羞恥が灯った。
「じ、じゃあ、私が海斗の下着を干す、の?」
「いやまあ、別々に洗濯して干すのも手ですよ。残念ながら、お互いの干してる下着はバッチリ見えますが」
個別に洗濯しようが、どうせ取り込む際にどんな下着があるのかバレるのだ。
順番さえ気を付ければ、先に干したり後で取り込む側は相手の下着を見る可能性はないが、相手に見られるのは変わらない。
結局羞恥に悶える事になると告げれば、凪が潤んだ瞳で海斗を見上げた。
何故だかその瞳の奥に期待が渦巻いている気がする。
「か、海斗の下着なら、干してもいいよ?」
「いや、俺が恥ずかしいんですが」
「でも、どっちかがやらないといけないし」
「一緒に洗濯するのはいいんですね」
「わざわざ分けるとか手間だから、それはいい。でも、干すのは私がやる。……私の下着を触れて嬉しかったみたいだし、海斗はちょっと危険」
既にお世話係の役目は無くなっているようなものなので、凪が洗濯物を干すのは構わない。
しかし、いつもと違って少々棘のある物言いをしたのが気になった。
有り得ないとは思いつつも、まさかと思って口を開く。
「それはまあ、否定しませんが、もしかして俺の下着がどんなものか知りたいんですか?」
「な!? ち、違う! そんなつもりない!」
「……本当ですか?」
「私が知られたから海斗のも知りたいなとか、ちょっと触ってみたいなとか、そんなつもり全然ない!」
「盛大に自爆しましたねぇ」
「あぅ……」
腹芸が苦手過ぎる姿に、微笑ましさと呆れを混ぜた苦笑を落とした。
あっさりと本音が聞けたが、ならどうぞと言う訳にもいかない。
「でも、俺も譲れないんですよ。という訳で先程の発言を取り消す事になりますが、じゃんけんで決めましょう」
公平な勝敗を提案すれば、凪の瞳がゾッとする程に真剣なものへと変わった。
洗濯物をどちらが干すか、というだけでここまで揉めるのもどうかと思うが、今は置いておく。
「望むところ、覚悟はいい?」
「はい。それじゃあいきますよ。最初はグー」
「「じゃんけんぽん!」」
勝敗が決した後「海斗のいじわるー!」と負け惜しみのような言葉を発し、凪が再び自室へ引っ込むのだった。