39話
セシリアに睨みつけられたヒューバートは、初めて怒りをぶつけられたことに呆然とした。
「は? セシリア?」
「嫌いです。大っ嫌いです! ヒューバート殿下なんか、本当に、本当に、大嫌いです!」
今まで色々なことがあった。セシリアに陰険な言葉を放ったことも、待ち合わせに一時間以上遅れたことも。セシリアが渡したプレゼントを目の前で捨てたこともあった。
それでもセシリアは一度もヒューバートに怒りを顕わしたことなどなかったのだ。
「だ、大っ嫌いって、子どもじゃあるまいし」
ヒューバートは驚きのあまり弱弱しくそういうが、それをセシリアは更に怒気の満ちた瞳で睨みつけて一蹴する。
そしてそれから、大きな瞳からぽたぽたと大粒の涙をこぼし始めた。
セシリアはどんなことがあろうと人前で泣いたことはなかった。貴族の令嬢として恥ずかしくない態度をと思って生きてきた。
けれど、我慢しようとしても、涙がただ流れ落ちてしまう。
「セシリア嬢? 本当に、どうしたのですか? 兄上。一体彼女に何をしたのですか!?」
シックスは泣き始めたセシリアの背を優しく擦りながら、ヒューバートに問いかける。
ヒューバートは顔を歪めると答えた。
「ハンカチを捨てただけだろう! そんなハンカチ、いくらでも容易出来るだろうが! はぁ。もういい。じゃあな」
そういうとヒューバートはその場から立ち去ってしまう。セシリアは王族に大嫌いと言ってしまったことは貴族令嬢としては内心反省しながらも、それでも人のハンカチを破っておいて謝罪も何もなく立ち去って行ったヒューバートのことを許すことは出来なかった。
「ハンカチ?」
シックスはその言葉に、ヒューバートの足元にあったハンカチへと視線を移し、それを拾い上げた。
そこには丁寧に刺繍されたハンカチが破れ、そして、土で汚れていた。
「これ……」
シックスはハンカチから土を払うと、丁寧にそれをもってセシリアの元へと戻ると、声をかけた。
「これ、私にですか?」
声すら上げられずに、涙を流すセシリアは小さく頷いた。
シックスは嬉しそうに笑みを深めると、セシリアを優しく抱きしめて頭を撫でた。
「ありがとうございます。大切にしますね」
その言葉に、セシリアは小さく嗚咽を漏らしながら答えた。
「で……ですが、破れて、しまって……」
心を込めて刺繍をしたハンカチをシックスが喜んでくれると思った。こんなにも刺繍をするのを楽しみ、思いを込めたのは初めてだった。
それが破けてしまった。
悔しくて、悲しくて、感情がうまく制御できない状況に、セシリアは涙をどうやって止めたらいいのかが分からない。
「セシリア嬢」
「はぃ……」
顔をあげると、嬉しそうなシックスの顔があった。
「ありがとうございます」
その言葉に更に涙が溢れるセシリアに、シックスは微笑みそれから頭をやさしくまた撫でた。
「こんなに素敵な刺繍をもらえるとは、私は幸せ者ですね」
「で、ですが……ちゃんと、渡したかったのです」
「うーん。兄上には、ちゃんと私が話をつけておきます。ですから、まずはこっちを向いて」
両頬に手を添えられて、真っすぐにセシリアはシックスを見上げた。その表情は柔らかであった。
「確かに、兄上は腹立たしいです。ですからもちろん、後でちゃんと話をします。破れてしまったハンカチも残念でなりません。一生懸命作ってくれたのでしょう?」
その言葉に、セシリアは小さくこくりとうなずいた。
「ありがとうございます。破れてしまったけれど、これは、私の宝物です」
シックスの言葉にセシリアは少し落ち着くと、涙を止めて言った。
「新しく作り直します。ですから、また、受け取ってもらえますか?」
うるんだ瞳でそう言われ、シックスは我慢できないようにぎゅっと強くセシリアを抱きしめると大きく息を吐いた。
「はぁぁ。可愛いこと言わないでください。もちろんください。嬉しいです。ちゃんとお礼しますね」
「……今度は、やぶかれないように二人きりの時に、ちゃんと手渡したいです……」
本当に嫌だったのだろう。セシリアの恨みがましいその言葉にシックスは笑いを堪えた。
「もちろん。もう二度と破かせませんよ。でも、セシリア嬢の新たな一面が見られて、少しだけ嬉しいと思ってしまう私を許してください」
「え?」
「怒っていいのですよ。というか、今までがあまりに優しすぎたのです。それにしても兄上、さすがに大嫌いと言われてショックそうでしたね」
「え? そう、でしょうか」
シックスはうなずきつつも、困ったように言った。
「でも兄上に、もう貴方を譲る気は絶対にありませんけどね」
「まぁ」
そう言って涙を止めてくすくすと笑ったセシリアを見て、シックスはほっと胸をなでおろした。





