劣等生ランキング
『それではこれよりー、校内のスクールカースト最下層に所属する劣等生を対象にしたー、劣等生ランキングの発表を行いたいと思いまーす!』
校舎の二階に取り付けられたスピーカー。そこから聞こえてくる生徒会長の声に合わせて、昇降口前の掲示板に『劣等生ランキング』の結果が記された紙が貼られていく。ランキングの対象となっている僕は両手を握り、祈るような気持ちで劣等生ランキングの発表を見守った。この高校にいる百人程度の劣等生。その中で、誰が一番存在価値があるのか、誰が一番存在価値がないのか。それをスクールカースト上位者たちによって順位付けする劣等生ランキング。上位五位以内に入れば、投票権を持つスクールカースト上位者たちから一目置かれているということだし、逆にランキングの下の方へなればなるほど、劣等生の中でもさらに落ちこぼれだと思われているということを意味していた。
ランキング上位に入りたいなんて贅沢は言わない。全校で百人ほどいる劣等生の中で、せめて平均よりは上にはいたい。それが僕のささやかな願いだった。掲示板に貼られたランキングに、集まっていた劣等生たちが虫のように群がっていく。僕もその一人として、人をかき分けながら掲示板に近づいて、最新のランキングを確認した。
ランキング上位者の顔ぶれは前回と変わりがない。いじられキャラで陽キャたちから可愛がられている乾君。テストで赤点を取りながらも、校外の美術コンテストで入賞を果たしている美術部の斉藤さん。パシリとして扱われながらも、家がお金持ちで色んな人から重宝されている亀有君。だが、彼らの順位については想定済みだ。芸も愛嬌もお金もない僕からすれば、彼らに勝てるだなんて最初から思ってもいなかった。問題はそこじゃない。大事なのは、僕よりもランキングの順位が低いやつが、この校内に何人いるのかということだった。
僕は掲示されたランキングをじっと見つめ、一位から順番に掲載された名前を確認していく。十位以内に僕の名前はない。期待していなかったわけでもないが、これは想定内。三十位以内。ここらへんがスクールカースト上位者たちが人間として扱ってくれるギリギリのラインだったが、そこにも僕の名前はない。五十位以内。ここまでに入れば劣等生の中でも平均より上。しかし、そこに僕の名前はなかった。僕は深い絶望を覚えつつ、ランキングさらに追っていく。結局、僕は劣等生ランキングで68位だった。前回が56位だったから、十位ほどランキングを落としたということになる。
一体何をしてしまったんだろう。そう自問する僕の後ろで、遅れてやってきた劣等生ランキング上位の乾くんが喜びの声をあげる。僕は乾君の方へと視線を向けた。ランキング上位だった乾君は嬉しそうに表情を綻ばせながら、同じグループに入れてもらっている陽キャグループのもとへと走っていった。そのグループの中で乾君が、いつものようにいじられたり、肩をパンチされているのが遠目でもわかった。あれが自分だと思うとぞっとする光景ではあったけれど、あのような我慢と努力があるからこそ、乾君は陽キャグループから仲間に入れてもらえ、かつランキングの上位を維持できている。僕は遠くから乾君を見つめ続ける。羨ましいと思う気持ちと、ああはなりたくないという気持ちが入り混じった複雑な感情を胸に抱えながら。
そして、掲示板の前で一喜一憂する劣等生たちに対し、二階のスピーカーから生徒会長が言葉を投げかける。
『えー、このランキングはー、スクールカースト上位者があなたたち劣等生にどれだけの存在価値があるのかについて考えー、公正に投票を行った結果となっていまーす。もちろんこれは単なるランキングでありー、この数字だけであなたたちの存在価値が決まるわけではありませんー。ですがー、これは我々スクールカースト上位者全体の意思でもありまーす。劣等生の皆様も、自分の順位をしっかりと自覚しー、それぞれの身の丈にあった学園生活を楽しんでくださーい』
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劣等生ランキングで順位によって、何かペナルティがあるというわけではない。ランキングはただ、スクールカースト上位者たちから見た僕たち劣等生たちの存在価値が、そのまま反映されているだけ。スクールカースト上位者たちに気に入られるような振る舞いをすればランキングは上がるし、逆に、彼らの機嫌を害するような言動をしてしまえば、その分ランキングが下がってしまう。彼らが見ているのは、僕たち劣等生の高校生活。そして、僕たちの立ち振る舞いだった。
僕は毎日同じ時間に学校に来て、同じ時間に学校を後にする。クラスに友達はいない。昼休みになったら隣のクラスへ行って、同じ劣等生の高田君と一緒にご飯を食べる。だらだらと中身のない会話をした後で、午後授業が始まる直前に自分のクラスへと戻り、そのまま誰とも喋ることなく放課後を迎える。部活には入っていない。一年の一学期だけ、漫画研究部に入っていたことがあったが、部内のノリについていけなくて、結局そのままフェードアウトしてしまった。だから、授業が終われば僕は荷物をまとめ、楽しくおしゃべりをしているクラス名をよそめに学校を後にする。これが僕の毎日。これが劣等生ランキング68位の僕の毎日だった。
だけど、今回のランキングが運悪く68位だったというだけ。今までの最高順位は45位だから、本来ならばそれくらいのポテンシャルは持っているはずだ。50位付近ということであれば、僕より存在価値のない人間が、この高校に50人ほどいるということになる。
実際、一緒にお昼ご飯を食べている高田君が僕よりランキングが上になったことはない。高田君は太っていて、僕から見ても不潔な見た目をしている。大人しくて、控えめな性格であることだけが唯一の救いで、彼はその清潔感のない見た目のせいで、ランキングはいつも80位代から90位代をうろうろしている。僕は高田君や、僕よりも順位が低いその他大勢を見るだけで、心の平安を手に入れることができていた。もしこのランキングがなかったらと想像すると、正直ぞっとする。もしこのランキングがなかったら、自分が誰よりも存在価値があって、誰よりも存在価値がないということがわからないまま、不安な高校生活を送ることになっただろうだから。
だからこそ、僕は最新のランキングについて必死に考えを巡らせた。順位が下がったと言うことはつまり、スクールカースト上位の人たちから見て、僕の存在価値が低くなったということを意味している。最近、何か彼らを不快にさせるようなことをしてしまったのだろうか? 例えば、劣等生に相応しくない立ち振る舞いをしたとか、自分の立ち位置をわきまえずに、しゃしゃり出てしまったとか。しかし、いくら考えても原因らしきものは思いつかなかった。僕はいわゆる痛い劣等生とは違って、自分の立ち位置を理解している方だと思うし、彼らに不快に思われないように最新の注意を払いながら高校生活を送っている。生徒会長の言葉を借りるのであれば、まさに身の丈にあった行動を取っているはずだった。
どうすればこの失敗を取り返せるだろう。どうしたら、スクールカースト上位者たちから、存在価値のある人間だと認めてもらえるのだろうか。僕は毎日毎日そのことだけを考え続けた。考えに考えて、結局彼らから認めてもらうためには、毎日のちょっとした行動を積み重ねていくしかないという結論に至る。失礼なことをされても愛想笑いをして受け流し、適当に扱われたとしても文句も言わずに我慢をした。君は存在してもいいんだよ。スクールカースト上位者たちからそう言ってもらえることだけを信じて。
実際、嫌われることさえしなければ自ずと順位は上がっていくはずだ。何せ、競争相手は僕と同じ劣等生で、正直人間的に問題のある連中ばかりだから、僕がミスをしない限りは周りが勝手に評価を落としていくだろう。勉強ができたり、狭い範囲で何かに秀でている連中もいるけれど、それは少数。ランキング対象の連中は、勉強もスポーツもコミュニケーションもできない人ばかり。まさに昼食を仕方なく一緒に食べている高田なんかその例だ。あいつは僕から見てもキモくて、クラスメイトの女子たちから影でボロクソに言われていることを僕は知っている。
そんな人と競っているのだから、常識の範囲内で行動さえしていればいい。そうすればきっと、スクールカースト上位者たちも僕が彼らよりも『まし』であることに気がついてくれる。僕はそれを信じている。そんな僕の努力が報われることを願いながら、僕は僕の身の丈にあった学園生活を送るのだった。
*****
82位。
それは、三学期に更新された劣等生ランキングに掲示されていた、僕の順位だった。僕はその数字を初めて見た時、自分の目を疑った。過去最低だった前回の68位から10位以上も下がっている。細心の注意を払い、スクールカースト上位者に嫌われないように過ごしてきた結果が、この数字なのか?
僕は立ちくらみを覚えながら、他の人の順位を確認する。しかし、そこで再び目を疑うような光景が飛び込んでくる。ずっと80位から90位をさまよっていた高田君の名前が僕より下に見当たらない。僕の背中に冷たい汗が流れるのがわかった。僕は呼吸を整えた後、見落としがないようにもう一度上から順位を確認していく。そして、ランキングの27位に高田君の名前を見つけた時、僕は言葉を失った。どうしてあんな奴がそんなに上位にいるんだ? 衝撃のあまり、吐き気が込み上げてくる。僕はおぼつかない足取りでその場を後にし、高田君の元へと向かった。
「そういえばだけど……一ヶ月前にさ、昔からやってるオンラインゲームで同じ高校の人と仲良くなったんだよね。バスケ部の花園君って人なんだけど、そういえば同じクラスだよね? ひょっとしたら彼が僕に投票してくれたのかもしれない」
バスケ部の花園。常にクラスの中心にいて、高身長でスポーツもできる、スクールカースト上位者。つまり、劣等生ランキングの投票権を持つ人の一人。ほら、あのランキングってさ、マイナス投票だけじゃなくて、プラス投票もするじゃんか。だから、誰か一人でも票を入れてくれるだけで、順位がすごく入れ替わるらしいよ。高田君はいつものたどたどしい話し方で僕に講釈を垂れてくる。
「僕も結構オンラインゲームをやり込んでるんだけどさ、花園くんもすごいんだよ。でさ、一緒にギルドを組もうって誘われて、そこで色々話をするうちに仲良くなったんだ。最初はスクールカースト上位者だってこともあって正直怖かったんだけど、話してみたらすごくいい人でさ。今度も超高難易度のクエストに挑戦するために、一緒にレベリングをやろうって話を……」
「何やってんだよ」
僕の呟きに、高田君が困惑げにえ?と聞き返してくる。そのきょとんとした表情がさらに僕の感情を逆撫でする。不潔で、太っていて、クラスの女子たちからの評判は最悪。僕よりもずっと存在価値のない人間。僕はそう信じていた。怒りが沸々と湧き上がってくる。その怒りを必死に抑えながら、僕は彼を睨み付ける。
「お前如きが、スクールカースト上位者と仲良くなっていいと思ってんのかよ。身の程弁えろよ。クズが」
僕の言葉に高田君の表情が固まる。それからごめんとしどろもどろな声で僕に謝罪してきたけど、その言葉の中には、どこか僕を憐れむような、どこか僕を馬鹿にするようなニュアンスが混ざっていた。掲示板の前で感じたのと同じ吐き気が、もう一度僕に襲いかかってくる。僕は口元を抑えながら、そのまま高田のクラスから出ていく。それから自分のクラスへと戻り、自分の荷物を鞄に詰め、誰にも言わずに早退した。
顔色が悪く、黙って早退しようとする僕に、大丈夫? と声をかけてくれる人は誰もいなかった。
*****
結局それから三日間、僕は学校へ行くことができなかった。自分の部屋に閉じこもりながら、繰り返しフラッシュバックする屈辱にただただ必死に耐え続けた。どうして自分を認めてもらえないのか、どうしてあんな奴が僕よりも上の順位にいるのか、終わりのない問いかけが頭の中をぐるぐると巡り、僕を苦しめる。
そして、そんな時。僕はスマホを取り出し、一枚の写真を見て自分の心を落ち着かせた。劣等生ランキングで自己最高となる45位となった時の、ランキングの写真だった。入学した当時、僕はこの高校で一番劣っていて、存在価値のない人間だと思っていた。だけど、僕よりもずっと容姿も性格も優れているスクールカースト上位者たちから、45位という順位をつけてもらった時、僕は心から救われた。自分よりも下がいることで安心するなんて、性根が腐っていると思う。だけどそれでも、僕はまだこの高校にいてもいいんだよという言われている気がしたし、これがなければ今頃僕は高校を辞めていたと思う。もっと認めて欲しかった。かっこいい人たちから、可愛い人たちから、僕という存在を、認めてほしかった。ただ、それだけのことが、どうしてこんなに上手くいかないんだろう。
僕は考える。自分を苦しめる元凶を。どうしたら、この苦しみから逃れられるのかを。
そして、考えに考えて、僕の頭の中に一つの答えが思い浮かぶ。この答えが正しいのかなんてわからない。だけど、少なくとも、今の僕を苦しみから救ってくれる。そんな気がした。いや、もう考えることすら、今の疲れ切った僕にはできなくなっていた。
スマホで現在時刻を確認する。今、高校では二時限目の授業をやっている。これから学校へ向かえば、昼休み頃に到着する。僕はゆっくりと立ち上がり、制服へ着替え、それから勉強机へと向かった。そして、引き出しの奥からカッターナイフを取り出す。刃先を伸ばすと、歯は毀れ、サビがついていた。それでも構わない。僕は自分に言い聞かせるようにカッターナイフを制服のポケットへと仕舞う。
相手は決まっている。いや、本当は誰でもいいのかもしれないけど、やっぱり一番最初に頭に思い浮かぶのはあの人物だった。僕の苦しみを生み出している存在。家を出た時には激しく脈を打っていた心臓は、校門をくぐるときには不思議と落ち着いていた。ただ今の僕の頭にあるのは、自分がやるべきこと、自分がナイフを突き立てる相手のこと。それだけ。
昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴り、校舎全体が騒がしくなる。そして、僕はある場所へ先回りをして、やつがやってくるのを待った。大勢の足音が聞こえてきて、授業を終えた生徒たちが廊下を渡るのが見えてくる。そして、いつものように、全てが満たされたような表情で廊下を歩くやつを見つけた僕は、勇気を振り絞って、声をかける。
「乾君、ちょっといいかな?」
劣等生のくせに、陽キャグループの集団に紛れ込んでいる彼がその呼びかけに立ち止まる。彼は一瞬だけ僕が誰だろうかと訝しがりながらも、何?とにやにやした表情でこちらへ歩み寄ってくる。
劣等生ごときが。僕は穏やかな表情を崩さないようにしながら、心の中でそう毒づいた。劣等生ランキングトップの乾君がこちらへ近づいていくる。僕は呼吸を整える。制服のポケットに突っ込んだ右手でカッターナイフを握りしめ、それからゆっくりと刃先を伸ばしていく。
「どうしたん?」
乾君がそう尋ねながら僕の前で立ち止まった。僕は彼に愛想笑いを浮かべる。
劣等生ごときが。心の中ではなく、僕は声に出してそう呟く。乾君がきょとんした表情を浮かべる。僕は彼の表情をゆっくりと観察し、それから、カッターナイフを握りしめた右手を、勢いよく振り上げた。