かくれんぼ
「よし、こんなもんで大丈夫か」
大学のレポートを書き終え、ふと壁にかかった時計を見ると長針と短針はすでに頂点を通り過ぎていた。
すぐに寝てもいいのだが、小腹が空いて何かを胃に押し込みたい気分だったので、コンビニに行くことにした。Tシャツの上から少し薄めの上着を着て、家を出る。
冷たい風が僕の体をそっと撫でて通り過ぎていく。白い息が目の前に現れては消えていく。
秋が終わりを迎え、冬に向かっている証拠だろう。もう少し厚手の上着を着てくるべきだったか。そんなことを考えながらコンビニまでの道のりを歩く。
少し歩くと暗闇の中に目立った光を放つ建物が目に入る。駐車場に車の影はなく、周囲に人もいないことを確認する。自分のためだけに営業しているのかと錯覚させてくれる深夜のコンビニが僕は少しだけ好きだった。
自動ドアがゆっくり開くと同時にちょっとした音楽が流れる。それを聞いてから少しするとレジの奥の方から「いらっしゃいませー」と少しやる気のないアルバイトの声が僕を迎え入れる。
入ってすぐに僕は少ない商品の中から夜食としておにぎりをいくつか選びかごに入れる。それと同時に甘いものも適当に選んでかごの中へ投げ入れる。他に何か欲しいものはないかと店内を一周してみるも、結局ただ見るだけになってしまった。そのままレジへ向かい会計を済ませて外に出ると僕は目を疑った。
「あれ」
目の前には白く濃い霧が視界いっぱいに広がっていた。どれだけ目を凝らしても少し先も見えないことに僕は言葉を失った。
「さっきまで、こんな霧なかったよな?」
誰かに聞くわけでもなく、僕は言う。
ただ、この場で固まっていても仕方ないので僕は何とか家へ向かおうとする。幸い何度も通っている道なので、迷わずに帰れるだろうという自信があった。
しかし、どれだけ歩いても一向に家には辿り着けなかった。
これは何かおかしい。
そう思った僕はポケットから携帯を取り出そうとしてハッとする。
「まじか」
どうやら家に忘れて来たらしい。誰にも連絡がとれないこの状況はさすがにまずいと考えた僕は元いたコンビニに戻ろうとしたその時どこからか少女の声が聞こえてくる。
「もういいよ」
突然の声に驚き、周囲を見渡すも人影はどこにもなかった。それでも少女の声は確かに僕の耳に届く。
「誰かいるんですか?」
僕の問いかけには答えず、少女はまた同じ言葉を繰り返す。
「もういいよ」
会話が成立しないと考えた僕は思い切って、声のする方へ進むことにする。恐怖心がないわけではないが、ずっとこの場で固まっているより何か状況を変るためには動かなければいけないと思ったからだ。声がする方へ進んでいる間もその声が止むことはなかった。
「もういいよ」
何度も、何度もそんな声が僕の耳に届く。同じ言葉を同じ調子で繰り返し言われると恐怖が増していく。早くこの状況を何とかしたくて少し小走りになる。
どれだけ進んだだろうか。ついに霧が少し晴れ、景色が目に映る。そして僕は言葉を失った。
目の前に現れたのはコンビニだった。いや、厳密に言えばコンビニだったであろう建物だ。ガラスは所々割れており、壁にもひびが入っているのが見える。店内の照明も電球が切れかけているのかパチパチと点滅を繰り返している。そして一番驚いたのは先程まで居たコンビニとそっくりだったのだ。
「本当にどうなってるんだよ」
状況が全く理解できない僕はその場で固まることしかできなかった。しばらくその場で立ちつくしているとまた少女の声が聞こえて来た。
「うふふ、こっちだよ」
まるで迷子の僕を導くかのように少女の声は僕を呼ぶ。最初は行かない方がいいのではと考えたが、意を決して僕は声のするコンビニの中へ入っていく。
中に入ってまず驚いたのは、建物の造りがさっきまでのコンビニとほとんど同じだったということだ。違いと言えば、商品がないことと棚が壊れて、店内が寂れているという印象を与えること。そしてそんな店内を彩るかのような赤い模様が床のいたるところに広がっていることだ。
「どこにいるんですか?」
声の主であろう少女の声に僕は問いかける。しかし、返事が返ってくることはなかった。それどころかさっきまで聞こえていた声も聞こえなくなっていた。外は真っ暗で建物もなかったことから恐らくこの店内にいるはずだと考えた僕は店内を歩き回る。
しばらく店内を探し回るも、どこにも少女は見当たらなかった。
「くそっ。どこにいるんだよ」
見つからないことへの不安、焦りからだんだん怒りが込みあげてくるが何とか抑える。落ち着いて周りをもう一度見渡すと一か所だけ探していない場所があった。
「あっ、バックヤード」
僕はすぐにレジへと向かいカウンターを乗り換えそこへ辿り着く。
壁に身を隠しながらそっと中を覗き込む。
「うわぁぁぁぁぁ」
中にあった物に驚いた僕はその場に尻餅をついてしまった。
そこには赤い絵の具で染められたぬいぐるみのようになった少女の姿があった。
「やっと見つけてくれたね」
僕が状況を理解する間もなくどこからともなく少女の声がまた聞こえてくる。
「何なんだよこれ。どういうことだよ」
状況の説明を求めるも一切聞き入れられるはずもなく少女は「ふふ」とどこか楽しそうに笑う。
「楽しかったよ。次はあなたがかくれる番ね」
それだけ言うと少女の姿はボッと炎に包まれて消えてしまった。
「本当に何だったんだよ」
完全に置いてきぼりにされた僕はコンビニから出ようと立ち上がるとどこからかまた白い霧が中に入ってくる。
「またこれかよ」
その場から逃げるように立ち去ろうとするも上手く足が動かず、地面が一気に目の前にやってきた。そして僕はそのままその場に倒れ、意識を失ってしまった。
「おい、君。大丈夫か?」
体を強く揺すられ目を覚ますとそこには最初に行ったコンビニの店員が居た。焦って立ち上がり周りを見渡すとそこは元いた場所のようだった。日が昇り始め、優しい光に包まれていた。
一瞬で自分が無事に帰ってこれたのだと確信した僕は一気に不安から解放され、またその場に座り込んでしまった。店員には少し不審な目で見られたが「大丈夫です」とだけ言って、店に戻ってもらった。そこでしばらく考えたが今まで起きたことは夢だった。という結論に至り、僕は急いで家に帰った。
「昨日未明、九歳の少女が倒れているのが見つかりました。その後病院に運ばれましたが死亡が確認されました。現場のコンビニに設置された防犯カメラには殺された少女と大学生ぐらいの男の姿が映っており、付近ではその男だけがその場から逃げるように立ち去っていく姿の目撃情報もあったということです。警察は事件に何らかの関係があると見て、調査を進めているとのことです」