公共下水道と男女間において、いずれの方式が理想的かを考える話
管・埋・設
かん・まい・せつ♪
管・更・正
かん・こう・せい!!
チャーシュー麺、ワンタン麺のように、ポンポンポンの音の響きが耳に心地いい。それに加えて、直線的な、角張った漢字3文字のカッコ良さ。ストイックな漢字の感じにキュンとなる。
私、菅野 舞子の自宅は駅から南に自転車で約15分。
駅北は都市開発でそこそこ栄えているけれど、南側は未だに田んぼや畑が多く残っている。
落ち着いた穏やかな場所なので、季節によって、蛙の合唱、蝉のじりじり音、秋の虫達のりんりんコーラス、目に見えないくらい遠く離れた場所にある線路を電車がゴゴォーと通過する音、発情期のにゃーにゃーがきっとにゃんにゃんする時の鳴き声などがよく聞こえる。
自宅がある辺りは市街化調整区域に指定されていて、農地を宅地にする目的で売却が出来ないよう、現在は市が土地売却にストップをかけた状態になっている。
けれど今から約10年前、農地転用……田んぼや畑だった農地を宅地にしても良いよと市が許可をしていたほんのちょっとの間で、少子高齢化に核家族化、農業の担い手不足もあってか、多くの農地が売りに出され、次々に新しい家が建った。
自宅周辺には確かに田んぼや畑はそこそこあるのだけれど、新しい家も割りと多い。
それなのに……下水道普及率80%を越えるこの街で、我が家の側には下水道がいまだ通っていない。
「なぜ我が家の近くに下水道が通らないのですか?」
「狙うなら、もっと、ガッとした住宅地」
低めの重たい声でさらりとそう答えるのは4つ年上の水河さん。上下とも濃紺の作業服で、上着はチャックを完全には上げておらず、開いた首もとから覗く黒Tシャツが妙に色っぽい。両袖は肘の辺りまで捲っていて、日に焼けたこんがり小麦色の肌と、ごつごつしていそうな腕の筋肉がたくましくて格好良い。
「私も下水道を自分のすぐ側に感じたいんです」
我が家の側には残念ながら下水道が通っていない。合併浄化槽なるものが家の敷地内にあって、そこで微生物さん達がうんとこどっこい頑張って、使用済みの汚れたお水を綺麗にしてくれている。
「菅野さん、痴女だよね」
「私は変態じゃないです! だって、この街の8割の人が下水道の恩恵を受けていて、自分がそこに含まれない2割だなんて、悲し過ぎます」
あっそ、と水河さんはそっけなく、手元の分厚い書類に目を落として電卓を叩き始めた。
少し伸びた前髪が、うつむいた水河さんの目を薄っすら隠す。
それをいいことに、私は水河さんを観察する。
側頭部、寝癖かな。ちょっとだけ髪が跳ねていて可愛い。少し大きな尖った耳。美味しそう……かぶりつきたい……あぁ、いけない妄想が。これでは本当に痴女になってしまう。昨日食べたミミガーサラダは美味しかったなぁ。
はぁ。でもやっぱり、今日も水河さんは素敵……。
「菅野さん、真面目に仕事」
「目の保養の時間です」
「今、勤務中」
ちぇ、と思いながらも、気持ちを切り替えて業務再開。
普通、水道といえば上水道。蛇口をひねれば流れ出てくる綺麗なお水。
私のお仕事は下水道。
台所やお風呂、トイレ、洗面所から排水口へと吸い込まれていく使用済のお水。当然のことながら便と尿を含む。
綺麗なものではもちろん無いけれど、汚くて臭いかも知れないけれど、それでも私は自分の仕事をとても気に入っている。
人々の生活に無くてはならないものだから、皆にほとんど存在を忘れられて生活の中でまるで認識されていなくても、目に見えていなくても、下水道は足元にあって、ずっとずっと遠くまで繋がって、市の隅っこにある下水処理場までずっと繋がっていて、汚れたお水は綺麗なものに生まれ変わって自然に帰って行く。
なんというロマン。
確かに存在はしていて目には見えていない世界の不思議。
まぁ、我が家には下水道は来ていないのだけれど。
下水道の役割は大きく3つ。
「浸水防除」、「公衆衛生の向上」、「公共用水域の水質保全」で、国土交通相のホームページにまんま書いてある。
「公共用水域の水質保全」は汚い水をそのまま川や海に流してお魚さんたちに悪い影響が出たら困るよね的なやつ。最近はどこも下水道がぼちぼち普及して、一昔前と比べたら幾らか水質改善されたんじゃないかと思う。
「公衆衛生の向上」はきっとピンと来やすいはず。
汚い水が街のあちらこちらにあれば病気が流行る。
コルセットにレースにドレスにシャンデリアの、きらびやかなイメージな世界でも、汚水に侵された地下水が原因で怖い病が蔓延した歴史がある。もちろん、この日本でも。だからこそ下水道で汚水を流して、下水処理場で綺麗なお水になるよう適切に処理する。
公衆衛生の観点から汚水の処理はとても大切で、下水道普及率の向上はずっと叫ばれてきた。
下水道普及率は人間に対しての率。なので、無人の土地の側に下水管を埋めてもあんまり意味がない。下水道に沢山のお家が接続してなんぼ。そんなこんなの仕組みで普及率は上がるので、1軒2軒まばらに家が建つような場所ではなくて、ぼぼぼんとした新築いっぱい夢いっぱいの新興住宅地の側に下水道を通した方が率の向上で言えば手っ取り早い。我が家の近辺も結構家は多いのだけれど、ぎゅっと密集した住宅地という程ではないからか、きっと行政的には後回しなのだと思う。
市街化地域、中心部の住宅地にはほぼ下水道が普及したから、普及率向上はぼちぼちに、最近は「浸水防除」の雨水対策に重点が置かれているみたい。
雨水……あまみず、と書いて、うすい、と読む。
それに対になる言葉は既に登場済みなのだけれど。汚水、きたないみず、と書いて、おすい、と読む。
おすいちゃんと、うすいくん。……ふふふ、可愛い2人。孟宗竹が生える勢いで、脳内で妄想劇が始まってしまう。
『おすいちゃん、君を離したくないんだ』
『駄目よ、うすいくん。だって、私は汚いから……』
『大丈夫さ。一緒に下水処理場に行こう。そうすれば悪い魔女にかけられた呪いはきっと解けて、綺麗だった元の姿の君に戻れるはずさ』
『でも、下水処理場って遠いのでしょう?』
『君の手作りサンドイッチでも持って、下水道管の中を2人で手を繋いで、てくてくお散歩デートさ。そうすればあっという間だ』
『でも……だって……ここの下水道は分流式なのに……』
あぁ、おすいちゃんが両手の平で顔を押さえ、ガックリ膝をついて泣き崩れてしまった。考えの浅かったうすいくん、自分の発言で彼女をむやみに傷付けてしまったと今更後悔している。
下水道の管の方式は2通り。
合流式と分流式。
おすいちゃんとうすいくんがランデブー出来るのは合流式の下水管。
汚水と雨水が一緒くたに流れるので、管の直径は太めで、ずどんと一本の管で流れて行く。映画や漫画のバトルシーンで、場所が下水管の中だとしたら、きっと合流式。下水処理場からの距離にもよるかもだけれど、場所によっては人が立ったまま歩けたりする。
そして、おすいちゃんの涙の理由、分流式下水道。
管が2本あって、汚水と雨水が別々な管を通る為、問答無用で2人の愛は引き裂かれてしまう。本来ならおすいちゃんとうすいくんは出会えもしない。だって2人の道は最初から別々で、前世に来世で共に生きようと約束をしていたとしても、分流式の管ならば今世の2人の人生が交わることなど端から無いのだから。
「水河さんは合流式派です? それとも分流式派ですか?」
「は?」
「そう、何派かなぁと思って」
頭痛でもするのか水河さんは某探偵のように人差し指と中指で眉間を押さえながら溜め息混じりに答えてくれた。
「分流式」
水河さんの言葉はいつも少なくて、言葉がぷつんと途切れる音が切なくて胸がきゅんとなる。はぁ、無口で冷たい感じ、堪らない……。ちなみに、下水道管の中は夏でも冬でも一定して10度くらいなのだとか。
「でも、合流式の方が管が1本で済むからお得というか、経済的な感じがしません?」
「合流式だと大雨が降った時に雨水が大量に管に流れ込むから、下水管がキャパオーバーになる。そしたら下水道の容量超えた分がそのまま川に流れるんだ。今のご時世、環境視点で見たら未処理の汚水ごと川に流すのはアウトだろう」
昔はたくさんの水で薄めたら大丈夫さ~なんくるないさぁ~くらいの感覚だった下水処理。今は環境問題にも世間様の厳しい目が光っているから、今時な施工、いわゆる工事は分流式なのだそう。
はぁ、クールな水河さんの口からキャパオーバーとかアウトとか、カタカナの言葉が飛び出すと……野性的な格好良さがあってまたまた胸がきゅんとなる……。
「働け」
そうしてまた仕事に集中する水河さんをうっとり見詰め、はぁーいと返事。さぁ、私も仕事に集中。
近年、雨水処理が注目される理由には、全国での大規模な自然水害の頻発がある。
台風や梅雨前線、どす黒さをまとった雲の群れは地上に大雨をもたらす。かつては豊かな土壌や木々の根が今よりもしっかり雨水を吸収していたのかもしれない。けれど時代は移い、街は栄え、範囲を拡げた。人々は山を削り、木々を切り倒し、田畑をアスファルトで埋め、海をも埋めた。そして行き場を失った雨水は時折、灰色の地面をさ迷い、膨らみ、川の水と結託して濁流となり、建物ごと街を飲み込む。
街を守るために、目には見えない巨大地下帝国の建設工事!!……というのは冗談で、雨水貯留施設という、雨水を貯める施設がある。個人様宅の雨水を貯めるタンクもそれに含まれるのだけれど、市が作っている施設は規模がでかい。地面の下に作られた巨大空間。浸水被害が多い地区に、もうすぐ我が街では2ヶ所目が完成するらしい。地下にある、雨水を貯めるプールのようなイメージ。
今日はとってもとっても嬉しいことに、水河さんとその現場に行くことになっている。
「菅野さん、そろそろここ出る時間。車両の鍵は借りた?」
「あ、水河さんに見惚れて、すっかり忘れてました。すぐに総務に行って借りて来ます」
「いいよ、もう出る。一緒に鍵、取りに行けばいい」
一緒に鍵を取りに行く……まるでこれから同棲を始めるカップルが賃貸のコーポの仲介業者に新居となる2人の愛の巣の鍵を取りに訪れるみたい。
孟宗竹はすくすくと成長し、妄想劇はここでも。
『この鍵で君を家の中に一生閉じ込めたい』
え!? まさかのヤンデレ! 同棲開始早々に発覚する彼氏さんの重たすぎる愛。
でも、水河さんがヤンデレだったとしたら……アリな気がする。どうしよう私、囲まれちゃう?
『私の分の鍵、水河さん預けます。ずっと持っていて。私を一生離さないで』
ぐはっ。自ら囲まれに行ってしまった。
「……おーい、菅野さん……やっぱ別々に行く? 男と同じ車に乗るの嫌?」
驚きの発言が耳に飛び込んで来てパッと水河さんを見ると、少し困ったような、しゅんとした顔に見えた。
「え!? なんで? 絶対にそんなこと無いです。絶対に水河さんと一緒がいいです。絶対に水河さんと一緒に行きます!」
「……絶対に、ね。冗談とか社交辞令とか思ったけど、そろそろ本気に取るよ?」
少し大きな尖った耳、ちょっぴり赤くなっていて、美味しそう……。
かぶり。
「は?」
あ、もっと赤くなった。
「さ、行きますよ。水河さん♪」
下水道は分流式で。
2人のこれからは合流式で、一緒に、ね。