読み切り短編 夏と後悔
長いホイッスル。チームメイトの目に浮かぶ涙。僕が部活を引退した瞬間だった。
しばらく涙を流した後少し考えた。明日から何をしようか。苦しかった練習はもうない。自分は自由なのだ。明日はクーラーの効いた部屋でゴロゴロしよう。そう決めて布団にはいる。
翌日、目が覚めると1通のメールが届いていた。雄大からだ。雄大は僕と同じサッカー部で同じクラス。つまり昨日僕と同じく引退し、暇をもて余している人物だ。
「今日ザリガニをとりに行かないか?」
なるほど確か彼はアクアリウムを趣味としていたはずだ。アクアリウムにザリガニを加えたいのだろう。それはそれとして、行くか行かないかに関しては少し考える必要がある。今自分はクーラーの効いた快適な空間にいて、その現状に満足している。しかし今まで部活で忙しかった分遊びたいとも考えている。魚をとるのなら是非とも参加したい。しかし、とるのはザリガニである。ザリガニが悪いとは思わない。彼らの住む環境が良くないのだ。魚なら涼しげな小川で魚を追いかけるのだから楽しげなものだ。しかしザリガニは小汚く濁ったドブに住んでいる。ヘドロの臭いがするドブのなかを覗きこんでザリガニを探さねばならない。どうしたものだろうか。
ふと思い出した。雄大は今まで僕のどんな誘いにも乗ってくれたじゃないか。図書館、公園、プール、雄大と行った場所は数えきれない。
「いいよ。何時にどこ集合?」
「一時に俺の家に来い、バケツと網は用意する」
あまりにも早い返事、僕でなきゃ(略)よほどは暇なのだろう。彼の事を想って予定より数分早めに家を出た。
ピンポーン
インターホンがなり終わるのを待たずにドアが開いた。間違いない。やはり暇だったのだろう。彼は右手に網を持ち左手にバケツを持っていた。
どっちが持ってよ
その一言は僕を悩ますのには十分だった。おそらく網の方が歩いていて邪魔にならないだろう。しかし同時に少し恥ずかしい気もした。網を持っているのを同級生に見られたらと思うと網を持つのをためらう気持ちが出てくる。気になるアイツが見たらどう思うだろうか。子供っぽい、ガキ臭いと笑うだろうか?一方でバケツは歩くときに邪魔になるものの、網を持っている雄大の後ろを歩いていけば雄大の付き添いだと思われるだろう。雄大の趣味はわりとみんな知っているので同級生に見られても気にされないと考えた。
「バケツを持つよ」
雄大はバケツを僕に渡すと歩き始めた。バケツは想像以上に邪魔になり同級生はおろか見知らぬ人とすらすれ違うことはなかった。網を持つべきだったと僕は一人後悔した。
そんなこんなで僕らはドブについた。ドブというか農業用用水路と言うべきか、用水路も広い意味ではドブではあるが、なんというか、思ってたほど悪くない場所だと思った。目の前に広がる田んぼとそこから香る何とも言えない匂い。懐かしいというかリラックスできるというかそんな感じだ。そんな僕の心情を知ってか知らずか雄大は口を開いた。
「悪くないだろ?ここ」
なんてこった。倒置法を駆使したことに感心しつつ一つ深呼吸する。僕が息を吐き終わるの待ってから雄大は続ける。
「バケツか網か選んでいいよ」
僕は悩まずにはいられなかった。さっきバケツを選んで後悔したからといって網というのはあまりにも安直。ナンセンスだ。とはいえ、バケツを選ぶメリットはそこまでない。強いて挙げるとすればドブを覗いている間に後ろから押されたりする可能性が無いくらいだ。網にすればザリガニを捕まえて楽しめるし、行くときと比べてバケツには水が入っていて重い。邪魔なだけだった行きとは違い肉体的にキツいのだ。正直、バケツを選ぶのは余程の馬鹿か、お人好しか、もしくは筋トレマニアぐらいなものだ。しかしながら、後ろから押されるという唯一のデメリットが重くのし掛かる。逆にバケツにはそこまで危険なデメリットは無い。雄大はそこまで頭がおかしいやつではないので網にするべきなように感じるがそれは一歩間違えれば死のギャンブル。競馬で例えるとディープインパクトが出走するからといって全財産を賭けるようなものだ。いくら七冠馬と言えども、負けるときは負ける。無敵の皇帝と言われたシンボリルドルフでさえ3回は負けているし掲示板を外したこともある。いくら雄大と言えども魔が差すことはあるだろう。結局、馬鹿でお人好しの僕はバケツを選んだ。
案の定、雄大はザリガニを見つけてはしゃいで楽しそうにしているのをひたすら追いかけ続けることになった。
帰り道、雄大は、満足げに
「いっぱいとれて楽しかったな、バケツと網どっちもつ?」
恐らく最後の大勝負になるだろう。僕は悩む。悩む。深みにハマっていく。ハマる。ハマる。その先に見える、光明。先人の知恵。二度あることは三度あるというのならバケツを選ぶのはやめた方がいい。たが、三度目の正直を信じるのなら勇気のバケツ選択である。対立。対立。先人達の仲違い。信じられるのは己の勘。長考。その先に下す決断。
「バケツにするよ」
結果はどうあれ自分の選んだ道なのだ。恥じることはない。帰りながら雄大は一番大きなザリガニをバケツから取り出して言った。
「一匹やるよ。こんぐらいなら簡単に飼えるから」
正直ザリガニはかっこいいし簡単に飼えるのなら是非欲しい。だが
「いらないよ。だけどまた一緒にザリガニはとりに行って欲しい。」
さらに続けて
「自分で捕まえてみたいんだ。そのあとに飼うかは決めるよ」
と言った。だってザリガニを探す雄大の顔はあまりにも、楽しそうだったから。雄大は何を察したか、僕の発言の意図を聞くでもなく言った。
「いいぜ。明日お前んち行くから。バケツと網は用意しとけよ。」
そうか、だから僕はこいつと仲良くなったんだな。
僕はもう後悔しない。恥もしない。僕は、
………………僕を生きていく。