0、始まりは雨上がり
雨上がり特有のむわっとした匂い。濡れたアスファルトには大小いくつかの水溜り。薄くなった雲の隙間から光が差し込む空。そしてその空を飛ぶは、きちっと折り畳まれた水色の折り畳み傘。
二見陽子がそれを自分のものだと認識するのにそう時間はかからなかった。
ただ、何故傘が空を待っているのか。その事実を認識するのには少し時間を要した。
目の端に映るのは長身の男。その眼鏡の奥、つい先程まで鋭かった瞳は大きく見開かれている。
何が起こったか。
簡単だ。
刺されたのだ。男に脇腹を思いっきり、一切の躊躇なく串刺しにされた。
でも、不思議と痛みはない。
それと同時に、死ぬのだろうか、と陽子は思う。
以前見たアニメで痛みを感じない方が死に近いと言っていた。その話が本当であれば、すでに自分手遅れである。
しかし、もし死ぬとしても陽子は満足だった。
だって陽子の死は無駄ではない。一つの尊い命を救ったのだから。
体が地面に打ちつけられ、地面と平行になる。
ゆっくりと視線を動かすが、助けたはずの犬の姿はどこにも見当たらない。
もしかして遠くに逃げたのだろうか。
一瞬、え、私を置いて?と思ったが、よくよく考えれば昔話じゃないんだから犬に感謝の心なんて求めてはいけない。
それでも、最期に「ありがとうわん!」くらいは言って欲しかった。
ああ、体が冷たくなってきた。
水溜りの水が染みて、顔や首、腕や肩、脚に至るまでが張り付き・・・。
と、ここで陽子は疑問に思う。
顔や首、腕、肩までは許容範囲としよう。ただ、脚はおかしい。足先まで届くほど髪は長くない。そしてなんだ、この変な感じは。お尻に力を入れると何かが動いている。
そろりと体を持ち上げる恐る恐る振り向くと、そこには人間にはあるはずのない尻尾がついていた。
いいや、それだけではない。
自分の視界に映るのは、頑張って脱毛処理した肌ではなく、白い毛に覆われたもふもふの体。
それは確かに先程男の魔の手から身を挺して守ったはずのもふもふわんこと同じ毛色ではないか。
え、もしかしてわたし─
「わ、わんわんわーん!?(い、犬になってるー!?)」