その日そのとき現れた マニアでオタクな未来の子
董卓の娘(神奈いです)
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主人公・董青は前世の記憶をおぼろげに思い出した、董卓の長女です。目からビームとか全力全開とか超常能力はありませんが、非常に細かい三国志知識と広範な現代理科知識、そして現代なら標準的な読み書き算数能力があります。回復魔法は使えませんが手洗いうがいと体操を励行させることはでき、やがて教団を組織して殖産興業の拠点とします。一族皆殺しの運命を逃れるべく、董卓パパを急かしたり止めたりして「三国志を起こさせない」ことを目指します。
社会から人物・家系から有職故実の類から、じつに広範に史実をあさって書かれています。そのうえで「三国志が起こらない状態」とは何か、事件にぶつかりながら主人公が少しずつ考えを固めていくのが、まあ小説の本体です。解くべき課題を定義することに行数の大部分が割かれているというと極言過ぎるでしょうか。
たしかに難問です。西晋を滅ぼした前趙を匈奴扱いして「中原を制した初の北方民族政権」と見るなら、三国志の時代は周代以来中原がまだ一度も漢民族以外に制されたことはなく、名家名族があちこちに根を張ったままです。そうした名族と、宋代の発展にはまだ至らぬものの、大規模な資本投下で長江流域に根付き始めた新興豪族、そして君側を固める宦官が覇を争っています。「三国志が起こらない状態」とは、どれかが専横を始めて反発を買い武力闘争に至らないよう、誰かがバランスを取った状態でなければなりません。三国時代を飛ばして西晋が生まれることは、それが皇族と軍閥の内訌に明け暮れたことを想えば、求める答えではないのです。
すでに春秋期の晏嬰が「社稷才是真正的君主」という名セリフを吐いて、暗君への忠誠に一定の線を引き、為政者の責任を分担する官吏のありかたを示唆しました。暗君廃立を実行者ふたりの名から「伊霍之事」と呼びますが、これも「とのではなくおいえにつかえる」姿勢が(本来は……)必要ですし、あとで皇族に恨まれて自分が冷遇され、あるいは刑死するとしても、社稷安定のために断行する滅私の覚悟が要ります。ところが多くの有力者は、主家と共に自分の家も栄達させようとしますから、70年代ヒーローのように重荷を負おうとせず、それどころか現代で言う利益相反行為をやってしまいがちですし、それを抑えることは容易ではないのです。
現代台湾では孫文の考えに基づく五権分立制度を取り、公務員の選抜や昇進を司る考試院と公務員弾劾などを行う監察院が三権から独立していますが、中国史に鑑みてここが病巣になりうると孫文は強く感じたのでしょう。もちろん中国だけの話ではないことは、日々のニュースでよくわかりますし、公平に見えてもお仲間だけのダブルスタンダード……というのが明るみに出ることもあります。もちろん独立機関を作れば解決というものでもなく、三権の長たちから疎んじられて実権を発揮できないことも、逆に独立機関が暴走することも起こり得ます。
逆に今の日本では、厚生労働省が強制労働省と呼ばれ始めているように、官僚たちの劣悪な労働環境と、それに見合わない低待遇がよく話題になっています。いわゆる就職氷河期には地方公務員全般の志願倍率は高いものでしたが、その仕事はどんどん難しくなって、「まじめにコツコツ言われた通りにしていれば評価される」という昔のイメージとは離れてしまったように感じます。小中高教員など特定業種の公務員にもまた固有の問題がありますが、それはともかく。
作品の中で答えを探していった作者さんが、長い中断期間を置いてしまったのは、「答えのない問題の答え」を描くストレスが予想以上であったのかもしれません。それは例えば東晋の謝安のような名宰相・名君の治世に限られるのでしょうし、その時期でもそれぞれに不満はあるものでしょう。平和な時代と地域であっても、自分の働きに見合った報酬をもらっていると思っている人は、ほとんどいないのですから。




