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ミラクルマンのナンバーだが……


 この文章は2025年10月末、書きあがったら11月くらいのタイミングで書いています。9月までやっていたアニメをまとめてアマゾンプライムで見ていたのが、これを書こうと思ったきっかけです。


転生したら第七王子だったので、気ままに魔術を極めます(謙虚なサークル)

https://ncode.syosetu.com/n5657fv/


 この作品のアニメ2期だったのですが、もとになっている原作第3巻から、だいぶ膨らまされている部分があるなと思ったわけです。


 とはいえそれは強調であり展開であって、原作にも簡単に触れられていたことではありました。善行を積んでいたある人物は、かつて不運にも自宅に犯罪者の襲撃を受けてしまい、愛する家族を失ってしまいました。善行に凶行で報われたことが、闇に落ち禁忌の力を求めるきっかけになったという話でした。


 これは「公正世界仮説」というキーワードでさんざん研究されているテーマのバリエーションですが、我々の生活の中の価値判断にも、もちろんエンタメの世界にも昔から、そして世界中で見られます。善い行いには善い報い、逆なら悪い報いがあるという「因果応報」「善行善果」の考え方は、私たちの暮らしの中に度々現れます。悪いことをしてきた(と自分が信じている、知っている)人や組織が罰を受けたり大損をしたりすれば、何だかうれしいですよね。逆に好意や努力・犠牲を振り向けて、失敗や拒絶が返ってくれば、悲しみだけでなく怒りがわきます。「こうあるべきではない」という気持ちがわきます。「因果応報」「善行善果」が実現するのが、公正な世の中というものであり、そうある「べき」だと私たちは自然に考えているのです。「公正世界仮説」はその極端なもので、私たちが住む世界が「実際に」公正な世界だと信じ込むことです。実際にはそうではないと思い知らされるたびに怒りや怨みを貯めていたら、無理に「悪人に」思い知らせようとして、最後には犯罪者、少なくとも社会的不適合者になってしまいます。


 2024年に前章・後章に分けて劇場版が公開された『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(浅野いにお原作)にも、この種の「善意の暴走」が描かれていました。何といっても今年この路線を描いて大ヒットを飛ばしたのは、『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』でしたね。


 太秦映画村で、遠山の金さんなどで使われたお白洲セットを見たことがありますが、「破邪顕正」の額が(左右逆に)いかめしく飾られていました。正しきが顕れヨコシマが見破られ、相応の報いがあればよいのですが、それが行われないときの代表的な私刑が「仇討ち」です。世の中が間違っているとき、私的な世直しはだいたい違法行為ですから、それを称賛する演劇なんかやったら召し取られるに決まっておるわけです。それをお目こぼししてもらえるギリギリの演目が遠い昔の仇討話であったところ、戦後になってやっとアウトローによる復仇・私刑の物語が語れるようになったことは、仕事人だとかゴルゴだとか、皆様もたくさん思い出されるかと思います。でもそれは現実世界では一方的な断罪であり、暴走すれば無法のカオス、いつ自分の番が来るかわからない不安、断罪者同士の内ゲバなどなど、公正でも何でもない世界につながっていくわけですね。


 第七王子は魔法(原理・技術・実装実演)に対する私的な興味を行動原理の一番上に置きますし、それに都合のいい限りにおいて、権力者の係累という立場を利用します。ときどき思い出したように、たまたま縁を結んだ相手のために正義を行いますが、王家の公的権力が持つべきバランス感覚への配慮はありません。その半面、自分の行為が私的で偏ったものであることは、自覚しているのです。そして第七王子ロイドの周囲には、魔法以外のことで、同様に私的な偏愛に生きている人たちが大勢いて、順々にロイドと(適切な距離を保った)相互了解関係に入ります。結局、「第七王子」アニメの二期も、そうした「自制と相互の尊重」といった方向の結末を迎えます。


「何をしたらよいのかわからない」と悩む(必ずしも若いとも限らない)人が、「世のため人のため」使い道を思いつかない自分を捧げてしまうのは、良くない結果になることが多いと聞いたことがあります。理由は色々考えられますが、公正世界を信じ、あるいはその訪れを望む人は、自分も他人から公正に扱ってもらえることを期待するでしょう。何かを相手に押し付けても、当たり前のように思われて感謝が得られなかったり、警戒心や嫌悪をぶつけられたりして、心の赤字を増やしてしまったら、待っているのは心の破産と闇落ち、そして破滅的な行動への傾斜でしょう。むしろ、すべての出発点として「自分の欲望」を持ち、世界との交換取引に臨んだ方が、世界と安定した関係を築けるわけです。


 逆に言えば、公的な組織とルールは「大異を捨てて小同につく」妥協の産物でしかなく、それだって膨大なコスト消費の果てに得られ、不断にコストを払って維持されているものであって、パワーもバランスも完全とは程遠いし、歪みや勇み足がありうるのです。グローバリゼーションで世界がつながりすぎて、遠くで通用するルールの歪みが身近にしわ寄せされてくるのが現代です。いまどきの作品はだんだん、そのイメージを反映していくのでしょうね。


追記「努力は必ず報われる、報われるべきだ」という考え方も、「善行善果」のバリエーションと考えていいでしょうね。


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