今日はたくさんの昨日でできている
騎士爵家 三男の本懐 (龍槍椀)
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※Web版第一幕までの感想です。
たしか海自の人であったと思いますが、「艦上では〇〇長、××士といった職掌で呼び合っていたので、あるときふと気づくと、何年も一緒に乗り組む同僚の名字を知らないことに気づいた」と書いておられたのを読んだ記憶があります。
この作品の趣向は、まさにそういう世界です。主人公は転生記憶を持って、騎士爵家の三男に生まれます。ですから当然に「父」「母」「長兄」「次兄」がいます。これを敷衍して、部下についても「爺」とか「最年少女性兵士」とかいった形容でもって人と人を識別して、全編を通すのです。
これによって多少、個人の感情表現は圧縮されて、ハードボイルドな筆致になります。しかし案外この演出は効いていないのではないかと思います。カワイイとかモフモフとかいった要素は、どちらにしてもほとんど含まれていないからです。
主人公の生まれた騎士爵家は、魔獣・魔物がときどき人里方向に出てきてまず狩人、続いて辺境の村人としょっちゅう接触する「魔の森」に接する土地を領し、魔物には巨大で強力な(または、奸智にたけた)ものもいるため、数百人を常時指揮して広い範囲の警備に当たっています。王都を中心に……少なくとも王都の方を向いて暮らす貴族たちからは下に見られていますが、彼らの暮らしは騎士爵たちが張る薄い防衛線によって保たれているわけです。
少年時代の王都学院での暮らしはさらりと流され、主人公である三男は強い防人としての自覚をもって郷里に戻り、一隊を率いて主に遊撃・偵察に任じます。ラノベによくあるように、主人公は魔道具の作成に関係するチートスキルと強い魔力を持ち、銃器を模倣した魔道具を一般兵士に持たせて、魔獣・魔物への火力を飛躍的に高めます。通信関係の魔道具も工夫して、魔物出現の急報を受け取りやすくします。
さて、私はよくこの連載で「主人公が複数の選択肢から迷って、何かを切り捨てて何かを選ぶことが話の中心になっているか」を、その作品の性質を分ける大きなポイントとして扱います。この作品には、ある意味で、主人公の取捨選択はほとんどありません。チートの力も借りながらですが、いつも主人公は予測し、備えて、受け切り克服するのです。
お仕事って、だいたいそうですよね。皆さんのお仕事に、同僚たちがみんな感じ取った「選択のとき」なんて、ありましたか。気付いたときには取り返しのつかない変化が起きていて……というのは遺憾ながらよくありますが。仕事のほとんどは昨日までに知られていた作業手順の組み合わせで、実際にそれが必要になるまでに訓練や有資格者や機材・材料を整えておかないと、現場は崩壊してしまうのですよね。主人公のやっているのは、特別な力や財源や立場は使いますけれど、そういった「備え」なのです。「曹」とか「錬成」とか特徴的な表現がいくつか出てきて、作者さんのバックグラウンドについては一定の想定ができるところです。
その「備え、練る」日々を淡々と語り、その意義と誇りを語る。それがこの物語の中心にあるのです。それがすべて間に合い、すべて成功して報われるのは、まあ、お話だから。しかしその作者さんの「現場愛」、あるいは「現場の男女たちへの愛(男たちとも限りませんね。マイソフの従姉妹も1期だけですが、前世紀に通信隊でお世話になりました)」がクリアに押し出されているので、それが一種の視点統一になっています。
細かいことを言えば、プロフィールに書かれた音楽のお好みを見る限り、作者さんは今世紀に入る前に「曹」とか「錬成」とかいった世界を抜けられたのではないかと思います。日本も2023年にG28マークスマンライフルを「狙撃銃」として採用しましたが、これは選抜射手が使うこともある銃で、今世紀に入ってから歩兵分隊には射程の違う2種類の自動小銃(と軽機関銃)が混在することも珍しくなくなっています。想定される2種類の敵に対してひとりで2種の武装を持とうとして、重いのでやめるシーンがあるのですが、もう少し作者さんがお若ければ、小集団でも武装を複数種持つ方向で書かれたかなと思うのですね。
追記 現行最新部分(第3部序盤)まで読みました。ここで語られているのはやはり、「理想のチーム、理想の現場」です。職場でも趣味でもMMOでも、うまく回っていたチームが外部からのイベント(対応できない天変地異や需要不振やモンスター顧客)、中のごたごた(経営者・上司交代、モンスター同僚の配属、すべてをワンオベしていたバイトSEの解雇)、その他のちょっとしたことで、あっという間に崩壊することがあります。特に支えとして重要なのは、上司や経営者の理解と、それを前提とするリソースの確保ですが、なかなか得られません。王国の上の方に知遇を得て、何重にも干渉から守ってもらえるというのは、現実にはあり得ないくらいの幸せな世界ですよね。もっと世知辛い世界で日々暮らしている大多数の読者の皆様が、ほっと一息つける空間。『ご注文はうさぎですか?』がウケたのと似たものを感じます。




