今日も決め手の銭を鋳る
銭の力で、戦国の世を駆け抜ける。(Y.A)
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本編完結2016年という昔の作品です。多作な方で、この連載の方向性に沿った作品ばかりでもないものですから、気づくのが遅れました。工作能力のある貨物宇宙船(各種データベースと管理用アンドロイド付き)で中小同族企業が戦国にタイムスリップして……という話です。
未来世界では核戦争で消し飛んでいるらしい日本とだいたい同じ世界に来た主人公一族は、遠慮も呵責もない歴史改変を始めます。露店を出したら織田信長が買いに来て、そのまま武士として領地までもらってしまったのでそこを拠点に生産と販売、そして農地開発を始めます。信長が版図を広げるとともに主人公の新地(のち津田)光輝は全国うまいもの巡り、そして名産品の発見と開発に精を出しますが、決して孤独のグルメではなく、うまいものの話を聞きつけた信長が首を突っ込んできますし、他の有力者も茶道そっちのけで紅茶やコーヒーに凝ったりします。連載当時の閑話を後で挟み込んだ名残かもしれませんが、脱線系の話と戦争政争の生硬な記述が交錯し、時系列がちょっと戻ったりもします。
戦争そのものは基本的に、米帝ムーブに終始します。圧倒的な火薬生産能力があるので、細かいところで何が起きても基本的に勝つのです。いっぽう、『八男って、それはないでしょう!』で下級貴族~上級庶民の職探し事情をいきいきと描いた作者は、この作品でもアホから傾奇者まで「戦国という社会」を主に武士群像劇として活写します。ですから「織田家の諸事情」によって、新地/津田家の関与が薄い戦線では勝利がつかめず、そこでの停滞が当然織田家そのものをぎすぎすさせます。そして最後には、どうすることもできない武将たちの寿命が事態を動かすことになります。
タイトルにもあるように、この作品では「銭」が大きな役割を果たします。例えば『戦国大名の経済学』(川戸貴史、講談社現代新書)で語られているように、戦国末期には諸事情で日本において銅銭輸入減少と使い古しの銅銭の劣化が並行し、土地取引が米で決済された事例も知られ、「米本位制への移行」と評されることもあります。これを下敷きにして、主人公はびた銭を集めて溶かし、未来技術で複製(私鋳)した永楽通宝(室町時代前半に輸入された明の銅銭)に変え、手に入るときは銅鉱石なども加えてデフレ気味であった日本に膨大な貨幣を送り込みます。合わせて領地で未来のチート種苗も交えて殖産興業を進めるわけですからインフレギャップも生じず、マンダム親子のような連戦連勝が続いていきます。栄達が目的というわけでもないのですが、津田一族の美食への思いはとどまるところを知らず、まあちょっと海外出版困難な感じの重商主義帝国が出来上がってしまいます。日本では支給額表記も支給物もコメになってしまった江戸期と異なり、この世界では武士がみんな銭侍になってしまい、年貢管理や域内行政権はそれぞれ役職であって、家禄がある場合もそれは銭表記で「何貫」などと表記されるようになります。
こういう、筋を通して世界を編んでいくタイプの作品の宿命として、ストーリー主体でないためオチがつかないのですね。『八男って、それはないでしょう!』もそうでしたが。まあそれでも人は一生を終えるので、そういう意味でのオチはついていきます。(いろんな)一族の戦いは始まったばかりだ、みたいな。




