善悪と世界構造
実際の世の中に接するときでも、皆さんの中には善悪の感覚があって、良い奴悪い奴をニュースの中に見つけて、良い奴が報われるとうれしいニュース、逆だと腹立たしいニュースになると思います。
でも毎日世界が回っていく構造って、善悪じゃないですよね。有能無能があり、全否定すれば混乱必至の「過去の蓄積」があります。「よい守衛さん」や「こつこつ経理さん」を食わせているのが「わるい営業さん」や「つかれたサポート窓口さん」であるのは、よくある話。
そういう世界構造のつじつまは脇に置いて、とりあえずいい奴が幸せになって悪い奴がバイバイキーンなお話にすると、鉄板ですよね。『水戸黄門』は実際にやったら、大名家から内政干渉を言い立てられる前に将軍家が全力でご老公暗殺をはかるはずです。あるいは面倒を避けたい水戸家自体が謀殺をはかるでしょう。でも娯楽世界ではそんなことはありません。
今まで報われなかった俺が魔導書たち(全員美少女)に出会い、真の力に目覚めて史上最強の賢者になる ~彼女たちに癒されながら、自由気ままに生きていく~(六志麻あさ)
https://ncode.syosetu.com/n1884gi/14/
※カクヨムに完全移転したようです。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054906040943
第2回アース・スターノベル大賞・1次選考の通過作品が発表されたのでひとつ読んでみたのですが、まさにこういう作品でした。もう悪い奴がとことん悪いのです。世界設定とかそうしたものを一切語らないうちから、悪い奴の悪さが際立っています。今までのヒット作だと『盾の勇者の成り上がり』が同じ矢印の作品だと思います。「キャラを愛で、消費する」という最近の創作によくある傾向を突き詰めると、こういうスタイルになるのでしょう。
『ご注文はうさぎですか?』が大ヒットしたとき、「誰も不快にならない世界」というコンセプトが話題になりました。世界全体に善意の霧をかぶせておいて、いろんなフレンズをそこに配置していく作品もあります。結果的に世界設定語りのような面も出てきますが、それも一族の使命だの種族対立だの地域なりの悩みだの、すぐキャラに影を落としてくるもので構成すれば、世界の構造がちょっと不自然にシンプルでも気にする人はあまりいません。
魔導具師ダリヤはうつむかない(甘岸久弥)
https://ncode.syosetu.com/n7787eq/
というのもそうした作品で、序盤にちょっとだけ出てくる悪意もすぐに作中で処理されて、善意の霧が世界を覆うペルソナ4みたいな世界になります。そして多くのギルドや貴族派閥や職人工房が登場し、しつこいくらいそれぞれの利害関心や駆け引きが描かれます。主人公のアトリエがいろいろな魔道具を開発していくと、誰かに幸せと富がもたらされて、その利益をどう分けるとか、負ける競争相手をどうするんだとか、そういう話が広がっていきます。これも「世界を描いているんだけれど、リアリティを求めているわけではない」のです。
いろいろなエンタにストーリーを語れる人がいない、いても報われないという話がありますが、実際問題として求められている「ストーリー」は、昔そう呼ばれていたものではないんじゃないかと思えるのですね。今のエンタの消費のされ方は何よりもキャラ中心で、ストーリーや世界設定もキャラに引き付けて語るのが流行りの条件なのではないかと思います。メカやギミックをミリタリの人はつい中心に考えますが、そこは擬人化してでもキャラの話にする工夫が必要なのかなと思います。
ええ、そういう流れにはまったく乗れないものを、私も準備中なのではありますが。