読者の記憶がオーバーロード(過積載)
『オーバーロード』(丸山くがね)
劇場版を見てきた(2024年9月)のを機会に、最近作3冊分を読んでなかったのを一気読みしました。
この作品は、「異世界では現代社会の人倫を無視することも可能である」ことと、「三大欲求のないアンデッドの体を得た主人公」を組み合わせて、思い切りブラッディな異世界サバイバルを描いた点に特徴があります。この連載では侠だの天道だのといった現代日本の意識を無自覚に異世界の常識として扱うことに、批判的な態度を取ってきました。それに対して、このアプローチは「根拠地ナザリックの経済で(ほぼ)完結させうる俺らには、異世界の常識など関係ねぇ。国ごと踏みつぶしたっていいんだぜ」と斜め上を行くものです。しかし自分と同様、他のゲームプレイヤーがゲーム知識とレアアイテムをもってこの世界に来ている可能性はあり、主人公アインズはナザリックとともに転移したNPCたちを使って、それら同等の戦力を持つ仮想的脅威に備えさせ、それに必要な限りで異世界の人間たちや勢力を保護します。
この世界の王族や有力者たちは、個人として現代日本の価値観から見れば非常にゲスい望みを持っており、ときには王朝や勢力を存続させる基本的な義務に反して、公然とその望みを遂げるために王権を使います。その背景となる文化や技術は、現代日本はおろか、アインズの拠って立つそれとすらかみ合わないもので、読者はしばしば(現代日本の読者としては)どうでもよい腹の読み合いを延々と読まされます。しかしそれもまた、異世界の指導者や集団にとっては真剣なサバイバルの過程なのです。
こうした構成のため設定語りはどうしても非常に長くなり、整合性を取る作業も大変になること必定で、それがまた続刊がなかなか出ない基本的な原因なのでしょう。
キャラの行動がストーリー内部での選択結果なのか、そうなるよう天下りに設定されていたのかは、多分に印象の問題、言い換えれば「他の可能な選択肢を効果的に読者に示せていたか」であり、統一基準で分けることは困難です。しかし『オーバーロード』の冗長さはまさにその状況判断と選択の過程であり、実際には取られることがない選択肢の羅列と淘汰です。案外これは、この作品の無数の模倣者たちがついていけていない境地のように思います。「意外な展開」を書こうとして、つい単に設定を追加してしまう著者が多いのです。




