なかなかこう都合よく現れてはくれんよね
逃亡賢者(候補)のぶらり旅 〜召喚されましたが、逃げ出して安寧の地探しを楽しみます〜(BPUG)
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※Web版本編完結までの感想です。
ご本人が最終話に、「地球にスローライフと称するラノベはたくさんあったが、実際そうできているものはない」と主人公たちに言わせています。まあ、そのようになります。
世界各地のダンジョンが長い周期で魔物の氾濫を起こし、大きな被害を出す世界。ある王国でそれに対処するため、4人の高校生、ひとりの30代おっさん、ひとりの中学2年生少女が召喚されました。高校生は互いに知り合いで、おっさんが召喚時に得たスキルは非戦闘系でした。中2少女のスキルも非戦闘系でしたが、その中に隠密スキルがありました。それを使って、絶対自分は孤立してハブられると気付いたおっさんは、中2少女に頼んで自分も隠密状態にしてもらい、召喚されなかったことにして逃げ出してしまいます。おっさんのスキルには「鑑定眼」があって、隠密状態の少女に気づけたからです。
じつは召喚時に、中2少女はそのまま現世で事故死するはずでしたが、少女をいっしょに転生させればハブられるおっさんは脱出して好きに生きられるはずだと気づいた女神が、そのように計らったのでした。ついでにおっさんの転生時年齢は15才誕生日直前に巻き戻され、15才の成人時に改めて女神からスキルをもらえるようになっていました。この追加スキルで女神は気前良く、ふたりに強力な戦闘スキル、少女の方には回復魔法を含む光魔法を与えました。おっさんはハル、少女はイーズと名乗ることにしました。
この物語のひとつの軸は、王国の歯車とならずに済んだハルとイーズが、チートスキルを手にして好きなように敵と味方を、そして目標を選んでいくことです。早い段階で、世界を旅して定住の地を探そうというのが、ふたりの長期目標になります。
この連載で何度も似たような傾向の作品を取り上げてきましたが、まあ現代の20代後半以降の社会人のほとんどは、責任を負わされ指示やノルマに振り回され、社会にハメられたくないけれど、評価や達成は欲しいのです。独立自営のフリーランスになるしかありませんが、そうするとすべてのチームメイトと仕事の都度交渉し、妥協し、協力する必要があります。たいていのライトノベルはここで都合よく善意の協力者などが現れ、悪意や偏見を持って接近する人や組織が、都合よくヘマをするのです。
それだけかと思っていたら、この作品には二の矢がありました。これも他の作品でよく使われる、侠の論理の応用です。諸事情で最近勇者召喚をしていない国であっても、ダンジョンその他の危機の源はあります。旅先で交誼を結び、親切を受けた人たちが危機にあると、ハルとイーズは結局、勇者としての貢献をしてしまいます。誰でも助けるわけではなく、助けてくれた人、放っておけないと自分が思う人を助けるのです。その過程で、だんだん勇者並みの力があることが知られていきます。どこが呼んだのかは不明なままですが。
そして三の矢として働くのが、4柱の龍です。勇者召喚システムとは別に、龍たちは神々に配置され、ダンジョンの氾濫(魔力の過集積と放出)があれば魔獣を狩ってそれを抑え込む使命を持っています。あまり事情は説明されませんが、勇者と龍の協力関係はぎくしゃくしていて、総じて龍は人間から見て気まぐれです。ハルとイーズ、そして少しずつ増える仲間たちは龍たちと少しずつ信頼関係を結んで、共同で危機に当たります。龍以外にも、基本的に善意をもってダンジョンや魔獣に立ち向かう勢力や集団はいくつかあり、それぞれの優先目標や得手不得手を持っていますが、それらをコーディネートすることがハルやイーズの大きな役割となっていきます。龍が飛んだり泳いだり地に潜ったりするので、それを使役しているかのようなハルとイーズの一党は注目を集めます。
話が相当進むまで、最初に召喚された4人の高校生はストーリーの圏外にいます。彼らはハルのような「経営者」を欠き、打算と汚職まみれの王国上層部から利用されるばかりでばらばらに能力を叩きつけ、大きな王国軍の損害とともに勇者自身に重傷者を出し、あからさまに厄介者として扱われたまま王国の危機は進化していきます。自分たちが逃れた重荷を背負った高校生勇者たちを王国から救い、この世界で望みと適性に合わせた再就職・起業を果たさせることが、本編最終段階でハルとイーズの課題となります。
ひとことで言えば女神を含む神々の世界設計がアカンのであり、それを明確な指示もなく異世界勇者に白紙丸投げしている半面、渡したスキルはふたり合わせるときわめて強力であり、安心感がほぼ全編に漂います。個人の火力や治療・再生能力はいわば個人を死なせない能力に過ぎず、コミュニケーション不全へのワクチンとして送り込まれたふたりという印象も受けます。ハルやイーズの敵は基本的には「大自然の猛威」のように描かれ、指揮の優劣以前の問題として、ほとんど選択をしません。こちらはそれに対し、考えに考え抜き、限られた戦力を精一杯活用して挑む展開になります。
全編を通して、ハルやイーズはその時点での仲間を巻き込んでマシンガンのように軽口を叩き合い、それによって文章のテンポが作られていきます。おそらくそれはキャラたちを生き生きと「立てていく」ことに貢献しています。




