会議は踊る 交渉はすぐ終わる
いま(2024年5月)放映されている『魔法科高校の劣等生』第3期は原作文庫版第12巻(ダブルセブン編)から始まる部分ですが、すっかり原作を忘れていることに気が付いて、文庫版31巻と続編8巻を5日ほどかけて一気に復習しました。続編に入ってからどうにも甘いシーンが多くて、ぺっぺっぺっ(砂糖を吐く音)。
あらためて思いましたが、後で焦点になる人物(の対人関係)については、ねっとりと伏線が張られていますね。最新刊として読んでいるときには、当座のストーリーラインに関係しないので、砂糖ぺっべっのシーンと同列に読み飛ばしてしまうのですが。あらかじめ何十巻も先までストーリーを組み立てている典型的な作品だと思います。
この作品は、事件が現場でも会議室でも、少人数の対話・交渉の場でも起きます。そして全体にリアリティがしつこく追及されていて(もちろん架空の魔法世界での「辻褄」ですが)、無駄でグダグダとした(実際の世界で、「開くよう定められている」会議にありがちな)対話や、感情に任せた有力者の結論押し付けはあまり見られません。この作品を枕に使って、会議や交渉について少し考えてみたいと思います。
文庫版第21巻末~第22巻冒頭、十師族・師補十八家の若手会議が、他者による事前の根回しによって、受け入れられない役割を深雪に押し付けてくることを見て取った司波達也は、合意形成を妨げる発言をした後、交渉継続の場となる懇談へ参加せずに帰ってしまいます。この作品では多人数の会議がこうした「主張をぶつけ合った末、合意に達せず終わる」姿がよく描かれます。合意に達する場合、それは少人数で、互いの得るものと譲るものを明確にした交渉のことが多いのです。
私の若いころに見た吉本新喜劇で、こんなシーンがありました。将棋盤をはさんで座った伴大吾がパチリと駒を動かすと、谷しげるがうーん、うーん、うーんとうなって考えます。数十秒引っ張った挙句、「百四十五手まで先手の勝ち」と言って周囲がずっこける(死語)のです。でも互いに相手の手札(使えるリソースや頼れる相手・手段、望みと好み)を知っているとしたら、交渉というものはむしろ一瞬で終わるものではありませんか。将棋や囲碁の必勝法が確立していないから、やってみないと勝敗が決しないというだけです。比較的最善手順を研究しやすいチェッカーの大会では100年以上前から three-move restrictionといって、互いに最初の3手ずつをランダムに進め、あらかじめ予測できない「今日の初期状態」からゲームを始めることで、研究しつくした手順ばかり選べないようにしています。
交渉が意外な結果に終わるとしたら、それは相手が自分の知らない手札を持っていた(あるいは、持っていると思っていた手札がもうなかった)か、あるいは、相手の望みや優先順位が、自分の思っていたものと違っていた場合です。『魔法科高校の劣等生』序盤で、四葉家関係者の多くは司波深雪を四葉本家の後継者有力候補、兄の司波達也をその護衛と考えています。司波達也にはごく少数の者だけが知っている強い能力がありますが、それへの恐れも含めて、達也は四葉家の有力者たちから疎まれています。ところが現当主であり、ふたりの叔母である四葉真夜には秘めた望みがあり、それがある時期からふたりの四葉家での地位を大きく変えていきます。
四葉真夜は当主ですが、反対者の存在を封じられるほどではありません。しかし時間が経つにつれ、達也と深雪の自由や、望みのために使えるリソースは増していき、四葉家の内外に庇護者や同盟者を増やしていきます。それはもちろん第一に、達也と深雪が色々な意味で能力を高め、周囲に提供できるリソースを豊かにしたからです。しかし四葉家が他の十師族、さらに国防軍や日本政府からアンタッチャブルとも呼ばれ、反対や妨害を冷然とはねのけられる地位にいたのは、四葉家を保護しつつ暴力装置として用いる「スポンサー」がいたからでした。達也もやがてそのスポンサーと直接対峙し、その望みを受けて行動し、助力を願うことになりますが、ちょうどアニメ第3期から、そのスポンサーの存在が言及されます。それはもちろん、達也と深雪への四葉家内外からの介入を退ける力になります。他のラノベで、主人公を何かと助けてくれる神や精霊がいて、じつは主人公にいつかやってほしいことがある……というのはよくある展開ですよね。
自分の選択肢を豊かに見せる(俺にこんなことをして、あのお方が黙っていると思うなよ)のと同様に、自分の望みや優先順位を偽ると、自分の利益になる場合があります。「ホーンブロワーシリーズ」はナポレオン戦争を舞台とするイギリス海軍士官戦記ですが、その1冊『砲艦ホットスパー』で、大陸封鎖任務に従事していたホーンブロワー艦長は、どうもフランス通商破壊船らしき船を拿捕します。フランス海軍の船だという物的証拠はありません。ホーンブロワーはニタニタ笑って、自己嫌悪しながら「容疑者を即決裁判で処刑したいサディスト艦長」を演じ、「自分はフランス軍人なので捕虜としての取り扱いをしてくれ」と船長に言わせようとします。
会議も交渉も手札や望みを明かし合う過程ですが、そこで手札が都合よく増えてくれることは、あまりありません。味方を増やすための個別の根回しが大切になりますが、根回しをしたことが漏れて誰かを怒らせる……などということは、まあ、皆さんの周りでもあるでしょう。誰かを味方につけるということは、別の誰かの悪口を言うか、不利を図るかすることでもあるので。事件が会議室で起こることはあまりなくても、会議室で決着することはよくありますし、そこには会議室の外での経緯も加わるのです。対立の激しい事柄だと、決着の見通しがつくまで「話し合っても仕方ない」ことも、よくありますよね。
四葉真夜の黙認する限りで、達也と深雪は次第に社会に対して自分の目標を掲げ、実現に向けた組織づくりを進めます。物語序盤、達也はその強力すぎる特定の能力で国防軍の一員として働くことがありましたが、次第に独立性を高めるにつれて、達也の敵もまた国家や、国家を操れる有力者、少なくともその同盟者になっていきます。ただ達也と深雪の戦力強化が劇的すぎて、どうも敵の強さが追い付かない印象はずっと持っています。まあ『水滸伝』の梁山泊を次々に襲ってくる宋の将軍たちや近隣の有力者が共同攻撃しないのと、同種の問題なのでしょうが。
追記 そうか。ご老公に平伏しておいて最終話で全悪漢で襲えば……




