知略の中味
転生貴族、鑑定スキルで成り上がる~弱小領地を受け継いだので、優秀な人材を増やしていたら、最強領地になってた~(未来人A)
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アニメ放送中だったので読んでみました。
主人公アルス・ローベントは転生者で、小領主の継嗣です。アニメ版でも小説版でも、父の葬儀のシーンから始まるのですが、少年ながら領主を継いで動乱の世に成りあがる物語です。
主人公の鑑定スキルは物品ではなく、人のパラメータが読めるものです。現在値の他に潜在値がわかるので伸びしろ(のなさ)が見えます。
このパラメータの中に「知略」があります。どうしても軍師の知略となると、「他人の思いつかないことを思いついてしまうッ。そこにシビ(以下略)」をイメージしてしまいがちですが、軍師とか参謀とか副官とか言った人々は、分業して多様な仕事をこなしています。そういう話をしたいと思います。
1.事務
情報処理が指揮官の意思決定を左右するという話は、この連載の第17部分「うん知ってた」、第27部分「情報の偏りと過誤」で語りました。下からの報告、上からの命令を処理し、その中から大事な(そして正しい)ものを選び取り、自分の命令と報告を書いて整理・記録するのは緻密さと知識・知恵を必要とする事務作業です。
ただしこれらの多くは、指揮官の意思決定そのものではありません。ですから参謀が別にいる司令部では、こうした仕事は副官に委ねられ、副官の下に処理チームが作られます。戦場では死傷疾病による欠員と補充、昇進や欠員の代理といった人事データの修正が絶えずおきますが、これも戦闘中の指揮官が細部を把握する必要はありませんから、副官チームや専門の人事・後方チームが取り扱います。
2.細部の具体化、あるいは立案
参謀は指揮官のために、ひとまとまりの命令を提案します。それはあらかじめ簡単に伝えられた指揮官の望み・意図を広げ、具体化したものであったり、上からの命令を果たすための計画で、指揮官に裁量の余地があまりなかったりします。これも緻密さと知識・知恵、そして指揮官に対して明快に短く説明できる直観力が必要です。
これを果たすためには、参謀の脳内「道具箱」には過去の戦例、いま取りうる行動の一覧表が整理されていなければなりません。もちろん敵の参謀も似たようなものを脳内に持っているはずであり、互いに出方を読み合う(相手もこちらの出方を読む)ことになります。完全に意外で、思いつきもしないことは、戦場ではそうそう起こらないのです。
3.「軍事的には」合理的な目標と、政治的な目標
大量の貯蔵物資が手に入るケースもありますが、土地を占領しても生産物が占領軍の手に入るまでには時間がかかるのが普通です。軍事的には敵戦力を削ること(戦力比を有利にすること)の方が、土地や地点を占拠することよりも大事です。
しかし選挙を控えていたり、世論によって政権が倒れたりする場合、政治家たちは土地や地点にこだわるかもしれません。その意向を通せば、軍事的な有利が失われ、不利が増幅するかもしれません。
封建領主はそう言うタイプの政治家ではありませんから、「軍事的にこれが一番お得でございます」と軍師が言えば、それで役目を果たせるのかもしれません。それは近代的な軍人の立場(と悩み)をイメージすると、一致しないところがあるので、注意しないといけません。
4.悪逆鬼謀
クリミア戦争(1853-56)のとき、イギリスの新聞と契約した特派員が現地に入って、兵士たちの厳しい生活や、思うようにいかない戦況を書き送りました。もちろん現地の軍司令部は批判的な特派員を忌避しましたが、危害を加えられない程度には市民の権利は守られていました。そしてイギリス本国では、閣僚たちの政敵が政府批判にこうした報道を利用しました。写真も撮られたのですが、まだ撮影に時間がかかるもので、静物しか撮れませんでした。第2次ボーア戦争(1899-1902)になると、現地人収容所の悲惨な内情などが写真入りで報じられ、批判的な世論が掻き立てられました。
中世までよく見られた寝返り調略、あるいは残虐行為の類は、それが第三者によって突き止められ報じられ、それが世論を通じて政治家を縛るようになると、異世界でも実行しづらくなってゆくのでしょう。現代でも、世論を気にしない武装勢力は敵や住民への嘘も残虐行為も、それを糊塗する虚偽の発表もためらいませんね。まあジェット戦闘機を使った暗殺は時々起きますし、2011年にカダフィ大佐が脱出に失敗したときは、NATOの戦闘機が車両を破壊したのですが。
そうだとすると中世風転生世界では「知略」といっても別の能力が想定され、要求されるのでしょう。
5.地誌情報
国土が広かったり、あちこちに植民地があったりする国は、前例のない場所で武力紛争が起き、自国民が危機に陥ったりします。地図もなければ道路状況も気候もわからない……のでは、軍隊だけ送っても戦えません。イギリスやロシアの陸軍参謀本部は、こうした地誌情報に基づく作戦計画や、広い国土からの動員計画を平時から立てておくのが大事な仕事でした。ですから「実際に戦争が起きたときの作戦指揮権限は全くない」参謀本部もありました。ロシアはプロイセンより前から参謀本部があるのに、ニコライ大公やニコライ2世はそれとは別に自分の参謀長を任じて、第1次大戦を戦ったのです。ニコライ大公に有能すぎる参謀長がつかないよう某廷臣が暗躍したとかいう話も、あったりなかったり。




