頭のいい人の頭のよさって描くの大変よね
『TRPGプレイヤーが異世界で最強ビルドを目指す ~ヘンダーソン氏の福音を~』9巻下が発売されました。この連載の第21部分「宇宙をぼくのサイコロに」で(当時の発表分までの)Web版を論評したことがあります。その後、エーリヒはめでたく年季が明けて冒険者になって、徒党を組んで西方辺境の中心都市マルスハイムに定宿を持ち(Web版で持っている居館はまだない)、かつての主アグリッピナとつかず離れず、しかしどこのひも付きにもならないように奮闘しています。いまWeb版は長い長い「十八歳の晩春」戦役を経て、帝都でかつて知り合ったツェツィーリア(セス)さんが持ち込んだ大問題でてんやらわんやらですが、書籍版第9巻上下はその前日談として、マルスハイムに居ついたころのエーリヒたちが地元勢力と結んだり争ったりして地歩を固める様子が描かれています。この作品に出てくるTRPG用語についてはピクシブ百科事典『ヘンダーソン氏の福音を』が要領よくまとめています。
9巻上から登場し、下でも重要な役割を果たすのは、情報屋のシュネーです。この連載の第17部分「 うん知ってた」で詳しく扱いましたが、「主人公にどうやって情報を得させるか」はストーリーテラーの腕の見せ所です。情報は行動選択の幅を狭め、それによって決まった行動が、主人公に起きる結果をもたらすのですから、情報を与えたとき、物語の結末は狭い幅のうちに定まるのです。
シュネーは書籍版オリキャラですが、Web版でも書籍版第7巻でも「十五歳の夏」に登場する猫の君主ロード・ルドヴィクの保護下にあるのか、その手下らしい猫がシュネーの危急をエーリヒに知らせるシーンがあります。しかし基本的に、自分の好きなように情報を集め、またエーリヒの求めた情報を探してきます。
さて、情報担当の仕事は何でしょうか。情報を収集し、信頼性などでふるい分け、最終的な現況判断を組織として受け入れ、要人たちに周知させる。この3ステップを経て、ようやく組織が情報を活用できることは上記の過去掲載分でも触れました。第9巻上下では、それぞれのステップが詳しく描写されています。シュネーは物理的に証拠を見つけたり、写し取ったりすることも得意ですし、雑然とした情報の海から使えるものだけ拾い集める分析も得意なのです。そしていくつか「要人の判断材料になる確証」が得られたことから、判断そのものはもちろん、要人たちの分析リソースも投入されることになりました。
こうして集まった情報から結論を引き出し、断固として実行し、威圧と交換取引を交えて他者へも押し通す指揮能力をエーリヒは大いに発揮し、懐柔しようとする要人たちを困らせます。そこから先は先行するWeb版の展開からある程度推し量れるだけですが、より大きな交換材料を提供してより強大な相手から自衛するために、エーリヒの剣友会は有力にならざるを得ない……というロジックで行くようです。
かつて鈴木みそ『あんたっちゃぶる』で、攻略本や攻略サイトに従えば一本道にエンディングへたどり着けるRPGを指して「盲導犬型RPG」という評言が飛び出しましたが、情報の与え方が無造作だと、そういうことになってしまいます。少しずつ出したり、いろいろな機会とルートで出したり、「作者の用意したルートはこれである」という印象を薄めて、登場人物が迷って選んだ結果(+単なる幸運と不運)に見える工夫をするのがストーリーテラーというものです。
しかしこの作品でも戦闘シーンは細かく、紙数を割いて描かれていますが、情報戦のウェイトが高いため「作者に引き回された」印象は少し残っています。「情報入手」には「気付かないものを気づく過程」はあっても、入手者自身が裁量・選択をする余地がほとんどないのです。まあ戦闘も「小刻みな選択の連続」として描かれますが、技術や士気・練度や補給状況はそれまでの経緯で決まってくるので、見かけほど何でも起こりうるものではないのでしょうが。
「キャラが立っている」ことは、「キャラの行動基準・優先順位が明確でブレない」ことを含みます。そうなってくるとストーリーに自由度がなくなり、毎回「なるように(=いつものように)」なる弊害が出てきます。主要キャラたちが登場してかなりの巻数を重ねたので、ゲストキャラの分だけしか自由度がなくなってきたことを感じます。まあ私なんかは世界構築を見物できればストーリーは譲ってもよいと考える方ですが。
※メモ 9巻下のラストでちらっと出てくるナケイシャとドナースマルク侯爵は書籍版第5巻の主要人物で、Web版では14歳の冬にちらっと(ナケイシャは姿だけで名前なし)登場します。アグリッピナが拝領したウビオルム伯爵領は実入りの良い要地ですが汚職がはびこり、帝国直轄としたものの利権を欲しがる貴族たちのうるささに持て余しており、厄介払いされたものでした。ドナースマルク侯爵はその利権争奪戦の主要プレーヤーのひとりで、アグリッピナやエーリヒと直接戦うものの、書籍版第5巻では生きて逃れることができました。密偵にして刺客のナケイシャは秘密にされている彼の庶子です。




