表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/60

溶けて流れりゃみな混ざる


 封建領主たちが結んだり争ったりするとき、地縁と血縁は基本的な要素です。近隣から圧迫されて従うような地縁もあれば、近隣すぎて領境の争いが絶えず、ちょっとした大義名分をつかめば侵攻が始まるような間柄もあります。血縁も似たようなもので、足利将軍家と関東公方のように、血縁だからこそ相容れない関係があり、野心と裏切りも生じます。織田信長は親族たちを斬り従えて尾張を平定し、伊達政宗は叔父の留守政景、祖父の弟の伊達実元とその子の成実を重用しましたが、弟の織田信包や叔父の織田信次は最後まで信長に仕えましたし、伊達政宗の祖父・晴宗と曾祖父・稙宗は6年間の内戦を経ています。


 特にヨーロッパですと、宗教対立もありますが、これは大義名分と同類の問題であった「場合も」あります。カトリック教会財産を没収する問題がついて回るためです。そっちが利害関心の中心だとすれば、信仰の選択は大義名分ということになります。宗教より大切な利害関心の核心があれば、宗教は二の次にされます。


 1618年に三十年戦争が起きたとき、神聖ローマ帝国の7人の選帝侯は3人のカトリック教会大司教、3人の世俗諸侯、そしてベーメン(ボヘミア)王でした。だいたい現在のチェコに当たる国です。ここの王をオーストリア王が兼ねていたので、カトリック教会の守護者である限り、ハプスブルグ家からしばらく神聖ローマ皇帝が出続けていたわけです。ベーメンのプロテスタントが反乱して、プロテスタント貴族を王に推戴しようとしたので戦争になりました。「だいたい」新教国は新教側、旧教国は旧教側に立って順次参戦しましたが、ハプスブルグ家が戦争中盤に優勢になると、これ以上強くなられては困るフランス軍はオランダ奪回をもくろむスペイン・ハプスブルク家を攻め、新教国側に立つことになりました。細かいことを言えば、ハプスブルグ家優勢のころ、プロテスタント諸侯の一部は降伏して寝返りました。


 この連載の第19部分「血は水よりも汚い」でとりあげた『冬嵐記』はすでに続編の『春雷記 』が(2022年12月から)1年続き、物語が先に進んでいます。今川家と福島家のドロドロ模様が織りなされ、大名家の内部での合従連衡が描かれます。ちょっと面白いことに、ちょうど伊勢新九郎(北条早雲)の生涯を描くゆうきまさみ先生の『新九郎、奔る!』が連載中で、部分的にこの作品と被ってきています。福島(くしま)家は主導権争いに敗れて没落したこともあって、いろいろ不明な点が多いのですが、この作品も援用してドロドロ模様の中味を味わってみたいと思います。


『冬嵐記』『春雷記 』の御屋形様は今川氏親と思われますが、その母親である桃源院は伊勢新九郎の姉です。足利義満の時代に今川氏は駿河と遠江の守護職を得ましたが、遠江はすでに斯波氏に守護職が移っていました。この遠江を武力で奪い返そうとして敗死したのが、桃源院の夫である今川義忠です。氏親は幼少、家中の一部は小鹿範満(氏親の従兄弟)を後継に立てようとしました。


『新九郎、奔る!』第9巻31頁に「駿河のおおむね東半分の国人たちは小鹿殿についた」という台詞があります。駿府(静岡)は駿河の中でも東寄りにありますが、西の遠江に出兵して利益を見込める西駿河の国人たちと、熱のない東駿河の人々に温度差があったとされるわけです。さらに第12巻24-28頁では、今川(小鹿)範満の与党とされる国人たちの家名を足利義政がつぶやき、その中に福島の名もあります。『冬嵐記』『春雷記 』にも登場する興津氏は、静岡に本拠地の地名が今も残っていますし、三浦氏も名を呼ばれます。


 いっぽう、東遠江の要衝である高天神城主を福島氏が務めていた時期があったのも事実です。その時期はむしろ義忠戦死の時期に近く、義忠の遠江出陣に伴って任された城なのでしょう。


 ところが氏親の死後、まだ若い氏輝(竜王丸)が1536年に(たぶん)病死すると後継問題が噴き出し、氏親と福島氏の娘の間に生まれた玄広恵探が福島氏などに担がれ、今川義元と争って敗死してしまいます(花倉の乱)。ここで『冬嵐記』『春雷記 』では、勝千代は福島正成の娘と氏親の子(双子であったので片方を福島正成が養嫡子とした。双子の兄・彦丸はすでに不審死)、玄広恵探(『冬嵐記』では時丸)はその弟・福島兵庫介の娘と氏親の子ということにしています。『春雷記 』では氏親が存命、義元はまだ幼少ということで、物語は独自展開となります。明らかに両細川の乱(大内義興帰国後の後半戦)が下敷きになっていますが、架空の足利家の公達がどうもひとり増えていますね。伊勢氏は『新九郎、奔る!』で盛んに貧乏がネタにされるように、足利家の執行者としての権限の割に自軍・自領がわずかで、ちょっと下駄を履かせないと有力な悪役にならないのでしょう。


 伊勢本家・今川家・北条家を結ぶ伊勢氏ネットワークが絡んで、その血縁にあずからない勝千代につらく当たってきます。いっぽう、後世今川義元について双璧と言われたのは岡部と朝比奈……やはり西駿河の国人であって、花倉の乱は遅れてやってきた東西駿河国人優勝決定戦みたいなものだったのでしょうが、『冬嵐記』『春雷記 』では伊勢氏ネットワークの魔の手をはねのけて行くうち、岡部と朝比奈が勝千代の同盟者のようになり、さらにここに(今川氏側)遠江国人である井伊氏らが加わっています。「御恩と奉公」といいますか、助け合っていくうちに信頼と心服が生まれてチームになるという王道展開も組み合わさっています。


『新九郎、奔る!』では今川家を巡る盤外の敵(あるいは味方)として、(扇谷)上杉定正と太田道灌が描かれています。小鹿範満の後援者・調停者として今川家に口を出していた太田道灌が主君に疎まれ謀殺され、小鹿範満の周囲が空白になったことが小鹿範満敗死の背景にあったのでしょうが、まだ『新九郎、奔る!』最新刊でもそこまでは描かれていません。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ