進歩も循環も没落もしない世界
第10部分「ハズレ枠スキルで最弱だけどここを組み合わせてこうしてこうじゃ」で触れたように、多くのラノベ戦闘シーンはカードゲームの戦闘に似ています。それぞれの技や魔法に課された制約を乗り越えるため、別のカードとのコンボを使うのです。それはカードテキストの穴をつく(「やっちゃいけないとは書いてない!」)ことを伴います。
水属性の魔法使い(久宝忠)
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は戦闘シーンだけ取り出せば、典型的なカードゲーム戦闘です。それに上乗せして、これもいまや典型のひとつですが、「開幕ジャンプ」が加わっています。すごい師匠、すごい特訓、すごい継承武器などによって、メインストーリーが始まる前に(どんな条件でも発揮されるわけではない)何らかの強みを持ちます。これは第9部分「ハズレ枠スキルで最強になったけどハズレ枠だから薄氷の勝利ばかりでつらい」で触れましたね。『水属性の魔法使い』の主人公は、水の妖精王から高い近接戦能力と、隔絶した性能の武器・防具を与えられ、「魔法使いには近接戦」と考える敵手をたびたび破ります。
作者さんは物理系の教育を受けた人でしょうか。主人公には物理学を始めとする体系的な知識があって、この世界では戦闘向きでないとされる水魔法に分子レベルの様々な細工を加え、さらに体系の異なる「錬金術」で魔法無効の罠を回避して、数か月で吟遊詩人に歌われる存在になります。
そういうふうにご紹介すると、この作品が既知パターンの順列組み合わせだけでできているように聞こえますが、この作品の真骨頂は作者の「史観」にあります。ファンタジー世界や中世史「を」深く考証した作者さんたちよりも、世界というものを構造的に、客観的に(突き放して)とらえているのです。市井の暮らしを支える巨大ツール(の群れ)として国家群が描かれ、最近の執筆部分になるほど専制や占領も善悪で裁かれなくなっていくのは、最近のリアルな国際情勢を見ての変化でしょうか。主人公はもちろん、最初に縁のできた王国の一員として、後には国王の友としてふるまい、傍観者ではなくなるのですが、それでも自分の当然を(自分や縁者に刃が向かない限り)他人に押し付けることは避けます。周囲の要人たちも、一部の宗教指導者を除いて、「遠国では事情が違うのか」と多様性を冷静に受け入れます。
これだけだと、プライム・ムーバー(願い・望みをもって物語世界を動かす主導者)がいなくなってしまいますが、作者はそれを魔人・幻人といった人外の存在に求めます。彼らは人間の国に介入し、あるいは超然としてどこにでも現れ、主人公たちに害や益を与えます。主人公たちは彼らの一部と戦い滅ぼしますが、明らかに人には倒せない存在もあり、倒せても再誕が約束されていたりします。「共に生きていかざるを得ない存在」が物語を追ってどんどん増えてゆくのが不思議なところです。ニュースを通して私たちが受け取る国際社会のイメージ……と決めつけてしまうのは書きすぎでしょうか。いろいろな理由で、主人公はいろいろな組み合わせのパートナーと遠方を旅する破目になり、珍しく数年自宅にいると思ったらナレーションで1話で飛ばされたりします。世界の多様性が作者にとってテーマなのかどうかはともかく、世界の多様性を背景として語られる物語であるのは確かです。




