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色々ありますが、なにか?

 マイソフの小さいころ、テレビに出てくるヒーローはだいたい「正義の味方」でした。この続き物の「天も呼んでねえ 地も呼んでねえ」で取り上げたように、なんとなく「テレビの前のみんなが持っている正義の感覚」の存在が前提となって、その実現のために身を粉にする様子が描かれます。そしてかなり高い確率で、本人は最終的にろくなことにならないのですね。鉄腕アトム(アニメ版)やジャイアントロボは典型的にそうでしたし、サンダーマスクなんかもかわいそうでした。ただそれは1970年代までが顕著で、「人造人間キカイダー」は漫画版が壮絶な展開を見せたのに対して、特撮版は悲劇要素が少なめになりました。


 今の若い人は聞いたこともないかもしれませんが、バブル崩壊のころまで、「二重労働市場」という労働問題の専門用語がありました。当時から中小企業に勤める人たちはいくら勤続してもそれだけでは給料が上がらないのに、大企業であれば工場労働者であっても(本社の正社員採用ならば、ですよ)右肩上がりに給料が増えて行って、もし何かやらかして大企業から追い出されてしまったら大企業への中途採用の道はほとんどなく、二度と元に戻れなかったのです。本社ではなく子会社・別会社で採用して給料を低めに……という当時の便法は今でも使われているようですが。それはともかく、社会の中にかなり大きな「安全圏」があって、「頑張ればそこまで行けるから頑張れ」と教師も親も口をそろえていて、「安全圏」まで行けなかった人たちも一定の鬱屈を持ちながらも、社会が「全体として回っているという安定感」がありました。


 バブル崩壊はソヴィエト崩壊と重なりました。「価格破壊」もこのころのキーワードです。中国や東欧の低賃金を生かした製品が日本市場も席巻し、賃金が上がらなくなった日本も、安い新製品が次々登場するので(それを吸収できる立場の人たちは)経済的な行き詰まりを実感せずに済みました。しかし「言われた通りコツコツやる仕事」はごっそり日本から奪われ、あるいは国際価格の影響を受けて(!)低賃金でしか受けられなくなりました。残ったのは人を説得する仕事(低賃金/非正規の部下を鼓舞する仕事を含む)ばかりで、言いくるめたり印象付けたり、ちょっと後ろめたいうえに、努力と成果が釣り合うとは限らないものでした。


「共通の正義」の輝きは、その果実を分け合う仕組みが詰まり、壊れていくと、輝きを失いました。「言われたとおりにしていればいいことがある」世界であれば、異を唱えずに雷同していけば楽ができますし、それが「おいしい生き方」でしょう。それがなくなれば、自分を守ってくれない社会規範への反発がまず生まれます。現代日本を生きる作者たちが共感できないのですから、創作物のヒーローが統治者や経営者になることを目指さないのは当然です。


 よくある中間的な解決は、自分が選んだ人々と村や町をつくって、そこを統治しながら残りの世界と向き合うことです。この続き物の「月が導く遊侠と御政道」で取り上げたように、「侠」という生き方の概念は古くからあって、身内や「友」のために犠牲を払うのはやむを得ない、むしろ立派な良い生き方だと思う人が多いのです。そういうなろう系小説は多いですよね。他者に対してある程度残酷な結果を生むとしても、例えば年金への若い人の反発など、自分の貢献が縁のない人へ「漏れ出していく」ことへの反発感は広がっています。


 いま社畜と呼ばれる人々を、昔は猛烈社員と言いました。仕事に殉じることを是とする気分は昭和のころには漂っていましたが、少なくとも年功で報われた時代が去ると、他人の献身を搾取して自分の収入や手柄にする人たちが現役世代共通の敵になりました。「ざまあ系」はこれですね。もうひとつの深刻な一面として、昭和・平成にやりがいを搾取されつつ無理を重ねた人の重病・早世が相次ぎ、ご安全に生きるべきだというメッセージが(たぶん一般社会の平均より色濃く)SNSを漂っています。


 でも、日本が幻想みたいなチーム意識を持っていて、それがいくらか実態を伴っていたのは、むしろ特別な例でしょう。たいていの時代でたいていの国民は、油断も隙もない世界を生き、今日を喜び、明日に備えています。たいていの人はちょっと(自分と周囲が信じる)正義を行うだけですが、中には大きなリソースを集めて大きな成果を挙げる人がいて、そんな人は感謝を集めて支持者もつくけれど、利害が対立する敵がいるのです。


蜘蛛ですが、なにか?(馬場翁)

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 この作品の書籍版が1年前に完結していたのをつい先日気づいて、Web版も途中までしか読んでいなかったので、後半を書籍版で一気読みしました。ラスト近くだけWeb版も確認しましたがずいぶん違いますね。Web版の結末も嫌いではありません。まあ、この読み物で取り上げる側面については、どっちでも大して違いません。


 この作品世界は危機にあるのですが、いろいろな立場の人間(にんげんとかまぞくとか)が、いろいろな理由でその一部を伏せているため、立場によって「世界を救うために今必要なこと」の認識が食い違っています。クラスひとつ分の転生者は、担任教師ごとそのいろいろな陣営に散らばってしまいます。そこでそれぞれ、いろんなことを信じ込んだりダマされたりするわけです。


 同じ理由で、ある事件が起きたとき、水面下で並行して別のことがこっそり進んでいて、実際に起きていることは見かけと違っていたりします。それはいろいろな視点を突き合わせ、物語が進んでいくと、わかってくるのですね。その過程で何種類もある正義は揺れ動き、情報が共有されると陣営を変えるキャラクターも出てきますが、最優先するものを変えようとしないキャラクターもいます。


「他人を犠牲にして自分の目的を遂げること」への様々な態度が描かれます。そして、相対的に力のないキャラクターは望みを抑圧され、ときには粛清されます。目的に身を捧げる行動をとるキャラクターもいます。


 この多様さを残したまま、物語はクライマックスを迎えます。迎えますが……その後も信ずる道を行ったとされるキャラクターが、実は結構残るのですね。結果的に全く報われなかったキャラクターもたくさん出ます。道は交差するだけで、そこで行き止まらないのです。別の言い方をすれば、結末は多数の正義が織りなした、ひとつの妥協点であったということです。現代的だと思います。


 思惑の違う転生クラスメートたちがサバイバルする点では『ありふれた職業で世界最強』と似ていますが、「特定の敵を倒すことが最終課題ではない」ことで課題の解き方に幅が生じて、勝者側・敗者側に二分されない結末がもたらされました。『ハズレ枠の【状態異常スキル】で最強になった俺がすべてを蹂躙するまで 』もクラスメート一括転移物でクライマックスを迎えつつありますが、こちらは異世界転移から比較的短期間に話が進み、主人公の毎度の危機脱出と並んで、地球帰還を軸としたクラスメートの合従連衡がストーリーのカギとなっていて完結が待たれます。



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