ところで赤胴鈴之助だが
ふと、赤胴鈴之助のことを考えておりました(突然何)。
連載は1960年に終わった作品でしたから、最初に人気に火が付いたのは1957年のラジオドラマであったようです(吉永小百合のデビュー作、数か月後にテレビ化)。1957年から1958年にかけて、2年間に9本の映画が製作されました。
漫画では必殺技「真空斬り」が「十文字(真空)斬り」にパワーアップしましたが、映画版では最後まで真空斬りのままで、逆に1972~1973年のアニメ版では初期の必殺技が追加され、ライバルの対策が進むなどして赤胴空転斬り→空転二段斬り→真空斬り→十文字真空斬りの4ステップを悩み苦しんで身につけていく、典型的な「スポ根」フォーマットの作品になりました。
圧倒的に強いヒーローを、壁に突き当たらないまま描くフォーマットと、「特訓」で能力を飛躍させるフォーマットがあります。後者は「努力は大切で尊い、努力すればかなう」といった昭和(戦後)教育イデオロギーの産物なのかもしれません。昭和時代後半にすでに大人であった人たちが見るような、例えば旗本退屈男、水戸黄門といった演目には、努力と根性でパワーアップする話は見かけません。
前者のフォーマットでは、ヒーローとそのチームはドラマの傍観者のようにふるまう作品もあります。旅先で起きていることを、水戸光圀は自分の取材と弥七のナレーションで知るのです。あまりドラマに入り込んでしまうと、旅を続けていくことができないからでしょう。ヒーローでなくとも、連続小説のドラマが主人公たちの外で展開するのは、探偵小説にもたくさんありますね。バローズの『火星シリーズ』『金星シリーズ』のようにヒーローが現地に婿入りしてしまい、防衛戦や子孫の冒険が延々と続いていくのも歴史のあるフォーマットです。
手札が多めのビクトリア〜元工作員は人生をやり直し中〜(守雨)
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手札が多めのビクトリア 2
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の主人公ビクトリア(のち偽名を捨て本名に戻ります)は、『SPY×FAMILY』のロイドとヨルをひとりで兼ねたような女性です。『カムイ外伝』などで裏切者の「抜け忍」が扱われますが、ビクトリアも外国に逃げて静かに暮らそうとして、やがて他国に家族を得て根を下ろしてしまいます。
ビクトリアの圧倒的な個人戦闘力は終始変わらず、周囲の人間にいろいろな秘密があることでドラマが進んでいきます。ストーリーのあちこちに小さな「意外な結末」があるのは、なろう小説ではあまり見ないスタイルです。
百合ゲー世界に、百合の間に挟まる男として転生してしまいました(とまとすぱげてぃ)
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これも……まあ……初手から強い主人公ではあるでしょう。ただし「その時点で勝てない敵」が節目節目で立ちはだかり、新たな解決を見つける必要に迫られます。ここで上手いのは、主人公が「百合ゲーの悪役であるスケベ男」に転生しているうえ、本人は「百合を眺めるのが無上の喜び」としていることです。主人公は自分の(転生先の)命がちっとも惜しくないので、普通なら忌避されるリスクを冒してしばしば勝利します。女性キャラは「女の子である以上、将来百合カップルの片割れになりうる」との理屈で主人公が決死で守りますから、結果的にハーレムができて主人公が悶絶するというギャグ仕立てです。前半はこのギャグが前面に出ていてちょっとうんざりしますが、話が進むにつれていろいろな勢力の思惑、隠された所属と裏切りといったストーリー上の見せ場が増えますし、強さを描く表現にも古語・死語の多用など次々工夫が加わります。ギャグも総量が減って効果的に突然挟み込まれるようになり、最初は少々のことを我慢して読み進められるとよいと思います。
最強陰陽師の異世界転生記 ~下僕の妖怪どもに比べてモンスターが弱すぎるんだが~(小鈴危一)
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さらにこれも「初手から最強主人公」です。多くの妖を使役する陰陽師が、それらと鉱物や化学のチート知識を持ったまま転生し(誰かの思惑かもしれないがそれは未解決)、ファンタジー属性魔法の世界で「召喚した妖の能力」を未発見の魔法だと言い張ります。2023年第1クールにアニメ化された序盤に出てくるセリフの通り、政争などに首を突っ込まず忍びやかに狡猾に生きようとするのですが、もともと情の厚い人物であり、周囲を救うことで重要人物になっていきます。




