宇宙をぼくのサイコロに
この続き物で繰り返してきたと思いますが、戦闘を単に「力と力のぶつかり合い」として描くのであれば、そこにはドラマはありません。「ピィカ、チュウウゥゥゥゥゥッ」と「GEWOWOWOWOWO」の違いがある程度です。選択があり、メリットの追求とデメリットの受け入れがあって、初めて物語が生まれます。
これは小説だけでなく、RPGであっても、SLGですらそうなのです。かつてガンダムの公式ボードゲームには、数十隻のサラミスと数十隻のムサイが激突し、フレーバーテキストに「戦いは果てしなく続いた」とだけ1行書いてあるシナリオがありましたが、こんなシナリオには(何度かに1回、劇的なピンゾロはあるかもしれませんが)ドラマはありません。勝った原因、負けた原因。有利の活用と不利の克服。そうした「与えられた条件の下でのn者択一」をつないだものがストーリーであるはずです。
そうだとすると、戦いはそれまでの国と人の歴史を背負うものであり、遠い過去の決断や不決断が今日の勝利や敗北の多くを説明するはずです。私たちの周りで、それは当たり前のように起きています。日本中で次々に古くもろくなっていくインフラは、保健所の予算を絞って予算を浮かせなければもっとひどい状態であったでしょうが、予算を絞った結果、covid-19の感染ルート追及は早い段階で限界に突き当たりました。もちろん、もっと絞ってしまった国々は、もっと悪い条件に置かれました。原子力発電や太陽光発電をめぐる過去の決定や不決定は、今日のエネルギー危機で日本の選択肢を増やしたり減らしたりしました。
TRPGプレイヤーにとっても、セッション前に決まっていること・済んだことを前提にして、今日のセッションでできることと、できないことが決まります。
TRPGプレイヤーが異世界で最強ビルドを目指す ~ヘンダーソン氏の福音を~(Schuld)
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※WEB版の感想です。
この作品は、転生したTRPGプレイヤーの物語です。主人公は広い意味での経験値をポイント化して、自分の能力に意図的に割り振ることができます。もちろんそれを生かし、節約するために、いろいろな「努力」を並行させる必要があるのですが。
主人公は田舎の富農の四男坊に生まれます。教育水準が極めて制約されますが、跡継ぎになれない者の(成功すれば華やかだが、悲惨な結果になることが多いとみんな知っている)選択肢として冒険者はよくあるものであり、主人公はそれを目指し、可能な限りでスキルをビルドしていきます。まずは斥候として、また剣士としての能力です。
じつは妹に事情があって、魔法に際立った適性があり、たまたま村を訪れた魔導士にそれを見抜かれます。いっぽう訓練を与えずに放置すれば、妹には悲惨な結果が待っているとも。そして主人公エーリヒは、妹エルザの教育費を年季奉公で稼ぐため、魔導士の丁稚となって妹と共に帝都に向かいます。
帝都の暮らしは、相当な魔法の素質を持っていたことを含め、エーリヒに多くの人的資本を積ませ、抜け目のない魔法剣士として成長させます。そしてすさまじい頻度で重大事件が起き、それを解決していった褒賞として、丁稚奉公の年季も明けてしまいます。12才で丁稚となってから、15才になったころ生家に戻ることができました。そして数か月後、エーリヒは冒険者として辺境に旅立ちます。
事件を解決するのは、それまでに積み上げたスキルのビルド、装備品、そして信用と人の縁です。ですから長い長い日常編が、その数か月後、数年後の危機でできること、できないことを決めていくわけです。全然話が進まないかと思うと、「さて3年後のこと」と跳んだりします。
理詰めで積み上げる日常に、それに比して圧倒的に上の方のグネグネした因縁・陰謀が介入し、有無を言わさず危機を突きつけます。貴族でもある魔導士アグリッピナに仕えて行けば中央で(または魔導院で)栄達する道もありましたが、エーリヒは政治がらみでない冒険者としての栄光を目指したいと考えました。もちろん政治事情の絡むイベントが、辺境丸ごと(第五次辺境戦争! いやいやいやいや)エーリヒを追っかけて、巻き込んでしまうのですが。
エーリヒはスキルの取得ではしょっちゅう悩むのですが、大きな方針決定ではほとんど悩みません。求めるのは自由と個人的栄光。それも近しい人たちが認めてくれるなら、大した栄光や収入は要らないと考えている様子です。典型的な今どきの転生者ですね。だからシナリオの急展開はいつも外からやってくることになり、そこを面白くないと感じる人はいるでしょう。
「縦様横様蜘蛛手十文字(平家物語、粟津の戦いで木曽義仲奮迅の突破)」という調子で、ちょっと古臭い戦闘描写が多用されます。私なんかはニヤニヤしてしまうのですが、これも好みの分かれるところでしょうか。




