血は水よりも汚い
米この文章は『冬嵐記』の紹介文ですが、末尾に人名・勢力のまとめがあります。作中で少しずつ出されてくる情報ですので、ネタバレ度が大変高いものです。ご注意ください。
「血は水よりも汚い」というのは、劇作家の花登筺さんが自伝『私の裏切り裏切られ史』で、ある兄弟役者が互いにかばい合った事件を苦々しく表現された言葉と記憶しています。
転生者として4才児の中の人となり、いきなりお家騒動で毒を盛られたり斬られたり、だいたい事情はおろか自分の名字もしばらくわからない……というのがこちらの作品の趣向です。
冬嵐記(槐)
https://ncode.syosetu.com/n7459hn/
主人公・勝千代はどこかの嫡男です。お家騒動のさなかですので、親戚が一番危ないわけですね。側室の庶長子がいて、父が戦場に出ているので側室と義兄に虐待されるのが最初のチャレンジ。ようやく父に救出されますが、その後もなんだか組織的に命を狙われ続けるのは、父の小兵力と小領地を手にする話だけでなく、実は主家のお家騒動に関連していることが、だんだん明らかになります。すごく根気のある著者で、情報を刻んで少しずつ出します。
とはいえ、例えば年号や旧国名は読者に明かされていきますので、だいたいどのへんで、実際にあったどのお家騒動を下敷きにしているかはわかっていくわけです。作品説明に「ファンタジーとしてお読みください」とあるように、まあ来歴に不詳な点がある「実在する戦国武将の幼少期設定」らしいのですが、どうも主家の家族構成が史実といくらか違っているのですね。少なくとも現代に知られていない若君が何人かマシマシになっていて、お家騒動を史実よりややこしくしています。
※訂正。続編も含めて、史実で知られている主家の子弟はほぼ登場しました。つまり史実の主家に、架空の男子が生まれたのが主人公なのです。
父は忍者集団を雇って、自分の側室に牛耳られた自分の城から勝千代を脱出させますが、この過程で勝千代は忍者たちと信頼関係を築き、やがて父にも、他の父の側近たちにも年齢に似合わない指揮官ぶりを知られていきます。こうして自分のものではないけれど、借り物忍者パワーと借り物一族郎党パワーを駆使して、勝千代は戦国を駆け抜けていきます。だから勝千代の強さを煎じ詰めていくと軍事力と言うより超自然のパワーを感じます。しかし「この時点で何を知っていて、何を知らないか」を作者がうまく管理していて、おかしさを意識することはほとんどありません。
最後に誰になっていくのか、マイソフには予想があるのですが、ひょっとすると別の人かなとも思っています。
---- ここから人名・勢力のまとめ ネタバレ注意 ----
時は永正(1504~1521年)[2-4話]。ところは駿河。と言うことは、主家の御屋形様は今川氏親です。嫡子が龍王丸(後の今川氏輝)であることと照応します。
主人公・勝千代は福島上総介正成[4-3話]の嫡子。なぜ嫡子かというと、上総介正成の亡き娘が御屋形様の側室となり生んだ双子の弟を、嫡子にすると言って養子にもらったからです[5-5話]。勝千代は上総介正成の血縁上の孫、そして養子ということになります。その兄の彦丸[名前は5-5話]は御台様の下で養育されていて、病死したので勝千代に会いたい、来てくれと言う御台様の手紙や礼物が勝千代に届いたこともありました[2-4~3-1話]。
側室桂殿と、庶兄である千代丸は、主人公をいぢめて、ゆっくり毒で殺そうともします[序盤の数話]。その桂殿と結託する主人公の叔父は福島兵庫介助春[3-1話]。兄弟の中でも五男[17-3話]。兵庫介は駿府でも側室松原殿[3-1話]の父、御屋形様の三男・時丸[18-7話]の祖父として登場します。この本拠地である城は、30-3話で高天神城と確定。掛川城と高天神城は10kmあるかないか。
龍王丸[18-6話]は年相応の言動をする御屋形様の嫡子で、御台様の子。勝千代の見た御屋形様は血色悪く、潜在的なライバルである勝千代を追い落とそうと蠢動する時丸派をわざと泳がせ、やがて処断して龍王丸の立場を盤石にする気か……と勝千代は推察します。
勝千代は時丸にも、御屋形様にもよく似ていて、接する人々の多くが「御屋形様御血筋」と勝千代を長七郎扱いしているようです。ああ駿府だしなあ。御跡目ワンチャンとまで思っているかは知りませんが。
上総介正成の庶子(養子として異母弟、血統上は叔父)幸松は駿府の福島屋敷にいます。その母、お要[19-2話]は勝千代にはひたすら恭順、なにか伝えたいことがあるようですが果たせません。家宰の戸田[19-3話]が横領を重ね、家中を支配しつつあることが段蔵の部下から報告され、それ関係かなと勝千代は思います。
江坂志郎衛門[18-3話]は分家した上総介正成の弟で、文官として御屋形様の側近のようです。駿府に戻った上総介正成から勝千代の「才気」について聞かされているらしく、終始勝千代に好意的です。
岡部二郎[親綱]は駿府方面の何者かに脅され、駿府にいる子どもたちを人質に取られて勝千代父子暗殺に協力させられています。岡部二郎の守る城でも父に眠り薬を盛られ争いとなったため、息子の一朗太を人質に取りますが、その際の父子の強さを見た一朗太は、脅迫のことをこっそり勝千代に告白します[5-3話]。
朝比奈泰能[11-4話]は山岡荘八『徳川家康』だと、家康の父・広忠が横死して家中騒然としたところ、何の対策も打てないうちに岡崎城を保障占領にやってきて、一同がっくりする印象的なシーンがあります。ここでは若手の城主級武将。その奥方は公家の出で、どうもこの人も陰謀に加わっているらしく、寒月邸で勝千代を襲撃させてしまい、城に乗り込んだ寒月にガツンとやられます。
興津[15-6話、16-1話]は今川家の馬回り「中間管理職系」。たまたま何度目かの勝千代暗殺者が部下から出たため恐縮し、どうも「じつは時丸様かも」と思っている風もありますが、御屋形様御目通りまで出来る限りの護衛をしてくれます。興津一族は静岡市の興津を発祥とする国衆です。
史実の福島家は今川氏輝没後のお家騒動で没落し、そのせいでまとまった系図情報が失われているようです。ですから志沢や渋沢、逢坂といった一族の皆様[17-3話]も、まあ、そんな人もいたかもしれません。
東雲[8-2話]は怪異幽霊の類が見える神職。しばらく共に行動したサンカ衆の万事[7-1話]にも怪異幽霊の類が見えるようです。東雲が間借りしている家主さんで、権大納言の寒月さん[13-5話]はいろいろ事情が謎。26-7で「中御門」の家名が出たので、御屋形様御台所様の実父で駿河に領地のあった権大納言、中御門宣胤(1442-1525)かと思ったら、27-2で「一条様」と。永正13年(1516)に権大納言になった一条房家(1475?-1539)でしょうか。「孫らの不始末(26-7)」とあるので、策動している掛川の奥様方は孫なのでしょうか。
如章[8-4話]は本願寺派の僧侶で、疫病発生をでっちあげて往来を止め、巻き込まれた有力者から金品を巻き上げるダークビジネスをしています。勝千代が事情を知らせる手紙を本願寺に送り、事態収拾のため興如[21-2話以降]がやってきます。「如」というのはこのころ、親鸞一族の中でも本願寺座主とその後継者クラスが法名に入れた、武家なら通字と呼ばれそうな漢字で、高僧の大スキャンダルを収めるために別の高僧が来たようですね。ちょっと如がインフレなこの作品。
寒月邸襲撃事件に関与したとして拘束された鏡如[28-2話で拘束]は「伊勢氏の庶子を名乗っている」と24-4話で興如が。 桃源院[18-3話以降]は御屋形様の生母で、まだご存命。この桃源院様は北条早雲(伊勢新九郎)の姉とも妹ともいわれる人。桃源院の伯父である伊勢貞親は松平信光(家康の6代前)をはじめ松平一族を三河と京都の両方で使っていました。むしろ今川は三河で松平の勢力と向き合っており、伊勢新九郎が今川軍を率いて松平と戦ったこともありました。時は永正(1504~1521年)。足利義稙の政所執事だった伊勢貞陸が当主ですが、桃源院から見れば「いとこの子」まで血が離れてしまっています。ですから松平氏を守るために伊勢氏本家が中御門(御台様の実家)を巻き込んで今川家弱体化を策してもおかしくはないですね。でも28-5ではむしろ北条(いまは氏綱の代らしい)、つまり伊勢新九郎に近い血筋と。
おそらく1513年(永正10年)、斯波義達が尾張から遠江に侵攻したことが下敷きになっているのでしょう。
人買いに連れられた幼女ナツ[8-6話]を助けたことから、その姉・夢路[10-1話以降]が寺に囲われていることがわかりました。その持ち物に入っていた紋所を見てみんな絶句するのですが、駿府で消息不明だった岡部二郎の娘、本名は志乃とわかります[12-3話]。御台様のお世話をしていたとか[12-2話]。
常森段蔵[2-2話]に率いられる弥太郎、楓[名前がわかるのは10-1話]らの風魔忍者一党は、上総介正成に雇われて勝千代を救出し、その後も護衛を務めつつ、シンプルな武辺者である正成が政治処理できそうにない案件を4才児の勝千代に振ってくるようになります。
いやあ、このめんどくさいのが歴史物ですよ。